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青年の四季についての創作報告書42 エッセイについてのあれこれ。

『冬に映画を見ていると
 魚になったような気分になる』 
 そんな気分が分かる日々を過ごしています。

 小説の方はいかがですか?

 三連休の初日に菅田将暉と小松菜奈の熱愛が発表されて、二人が最初に共演したのが、「ディストラクション・ベイビーズ」だと、ネット記事で見て笑ってしまいました。

 ディストラクション・ベイビーズ!
 ある種のロードムービーなんですが、菅田将暉が演じたキャラが「一度、女子高生を殴ってみたかったんだよね」とか言っちゃう作品なんですよね。

 爽やかさとは無縁の泥臭い暴力ばかりの映画を熱愛の記事に書かれているって、他の俳優や女優ではあり得ないことなんだろうなぁと思うと面白くて、笑ってしまった次第です。

 僕は菅田将暉のラジオのリスナーなのですが、次の回ではKing Gnuの井口理がゲストで出演するんですよね。
 多分、熱愛については触れないんでしょうけど、楽しみが加算された気分です。

 井口理のラジオを聞いていたら、菅田将暉とご飯に行ったこともある、みたいな話をしていたので、交流もあるっぽいんですよね。
 上手く言えませんが、少し意外でした。
 けど、年齢も近いし、綾野剛とかも井口理のラジオのゲストに来ている訳なので、考えてみれば仲良くなって当然なのかな?
 ふーむ。

 みたいな、ことをつらつら考えている連休二日目です。

 今回の創作報告書で、僕が菅田将暉のラジオリスナーだと言う以外にも伝えたいことがあります。
 今年の五月で、カクヨムをはじめて二年になります。
 ビックリです。
 
 この二年間、僕はずっと毎週水曜日の18時に更新するエッセイについて常に考えていたように思います。
 不思議と書き溜めることもせず、一週間で思ったことや考えたことをエッセイにしてきました。

 僕はどうしてエッセイを書いていたのか、それを説明しようと思った時に、「車輪の再発明」という言葉を知りました。
 これは科学の中での言葉で、意味は「既に誰かが発見したことを自分で思いついたと錯覚すること」なんだそうです。
 僕はこの言葉をツイッターで知りました。

 そして、ツイッターでは以下のように続きます。

「過去にいろいろな研究をした人や、データを集めた人がいる。それをまず、心を澄まして学ぶことから始めなければいけない。学ぶ前に自分の頭で考えようとするのは愚かです」

「自分の頭で考えることは重要だが、その前に先人が残した知恵に心を開いて受け入れ、煩悩を排除して世界を見る」

 僕はこの考えに概ね同意します。
 ただ、この先人が残した知恵に心を開いて受け入れる為にも、知恵は必要であるという矛盾があります。
 とくに評論や文学という分野においては。

 その為、先人の知恵を理解する為に頭を絞って試行錯誤していたのが僕のエッセイでした。
 基本的にエッセイは考えながら書いて、答えらしいものを見つけて終わる、という構造になっていました。
 だから、エッセイの最初の方を読んでみると、恥ずかしくて死にそうになります。

 なんと未熟な考え方をしているんだ、と。
 けれど、それも一つの味わいですね。
 二十九歳である僕はもう大人ですから、二年前の未熟な僕を認めていく所存です(多分)。

 三年目に突入しても、変わらず先人の知恵を理解する為に頑張ります、でも良いとは思っていたのですが、僕は小説も書きたいと常々考えていました。
 エッセイと小説を両立させることが、もっとも健全な状態だと考えていた訳です。

 しかし、それは難しいんだなと最近ようやくですが、実感しました。
 さきほどの「車輪の再発明」の話で言うと、小説は「自分の頭で考えること(アウトプット)」になります。
 先人の知恵を学んだ上で(インプット)、自分の頭で考える(アウトプット)ことがもっとも健全な状態なのだと思います。

 僕は二年間、エッセイを通じて先人の知恵を学んできました。
 なので、そろそろ自分の頭で考える時間を作ろうかなと思います。

 と書くと、あたかもエッセイはもう書かない感じになってしまう訳ですが、ひとまず五月からエッセイを不定期連載にします。
 期間は半年。
 この半年間は自分の頭で考える小説をメインにして、時々先人の知恵を学びエッセイになれば、水曜日の18時に更新する。
 そういう時間を経て、10月頃にまた週一のエッセイの更新に戻れればと考えています。

 結局、先人が残した知恵を学ぶことは一生し続けなければいけないことです。
 なので、エッセイを書かなくなることはありませんし、エッセイは不定期連載にしますが、新しい連載もします。

 今はまだ仮状態ですが、郷倉四季と倉木さとしの往復書簡集(仮)というエッセイ?をしたいと考えています。

 往復書簡集は「特定の人物、ないし、テーマによる、多数の書簡(手紙)を収録、編集して、書籍にまとめたもの」だそうです。
 書籍にはまとめないので、タイトル通りのものではありませんが、僕か倉木さとしが一つのテーマを決めて、それに二人で答えていく、という形式のエッセイです。

 ひとまず、こちらを週一の更新で半年間、連載してみたいと考えています。
 一時期、カクヨム内で流行った「50の質問」を僕と倉木さとしで、質問も考えて答えていく連載と考えていただければ、分かりやすいかも知れません。

 そんな訳で今後ともよろしくお願い致します。

 最後に最新エッセイを宣伝させてください。
「29 「ノルウェイの森」のキズキはなぜ自殺を選んだのか。①」

 https://kakuyomu.jp/works/1177354054890981690/episodes/1177354054894814324
 
 実は②も同時に更新して、分量がまさかの7800字を超えていました。
 普段のエッセイが2000字から4000字の間なので、二週間分です。

 分割で、今週分に回せば良かったかな? と思いつつ、書いた時は妙なトリップ状態になっていて、手元に置いておくことができない精神状態だったんですよね。
 まさに取り憑かれるようにして書いた文章なので、良ければ多くの人に読んでもらいたいと思います。

 よろしくお願い致します。

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