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青年の四季についての創作報告書⑭

 郵便局に曜日があるように、幸福にも休暇がある。

 なのに、小説家志望をしていると休暇がありません。
 幸福にだってあるのに。
 好きでやっているから、良いと言えばいいのですが。

 さて、そちらの小説の進みはいかがですか?

 ポストを開けると部屋の更新の保険料を払うようなお知らせが届いていました。
 まじか。

 今のマンションに住んで二年になるのか……。
 早いなぁ。
 
 引っ越しをした日にお隣さんが挨拶しにきてくれて「夫婦が来ると思ってた」と言われたのが懐かしいです。
 普通に考えれば二人で住むような部屋に僕は住んでいます。

 
 今日は「名探偵ピカチュウ」を最後まで見ました。

 下敷きにあるのは「ミュウツーの逆襲」があります。
 その上でハリウッド的な映像美とテンポの良さ、ついでに現代性も詰め込んであるので、「名探偵ピカチュウ」は非常に見やすい映画になっていました。

 ただピカチュウが出てくるまでの、主人公と父親のすれ違いや、わだかまりを描く部分に関しては、最後まで見れば必要とかろうじて頷ける代物で、正直もうちょっと上手くできたのでは? と思わないでもなかったです。

 ポケモンのテーマって異種間の友情とか、自然性に関するものだったりするのですが、
 こと「名探偵ピカチュウ」や「ミュウツーの逆襲」については、親と子のいびつさが生々しく描かれています。

 ある角度から考えるとですが、親と子の関係はオリジナルとコピーという図に落とし込んで思考できるそうです。

 親(オリジナル)
 子(コピー)

 という訳ですね。
 これを「ミュウツーの逆襲」に当てはめるとミュウ(オリジナル)から生み出されたのがミュウツー(コピー)ということになります。
 
 そして、コピーであるミュウツーは世界に対して、自分を産み出したものに対して怒り、逆襲をしようとするのが「ミュウツーの逆襲」となります。
 それは子供の反抗期に重なる感情でもあります。

 ――誰が生めと頼んだ! 誰が造ってくれと願った!

 ミュウツーの悲痛な叫びは同時に見ている子供の、将来に起こるだろう通過点を予感させます。
 そういう意味で、「ミュウツーの逆襲」を名作と呼ぶことに僕は異論はありません。

 ドラえもんやクレヨンしんちゃんの映画で、こういったテーマってあったりしまったっけ? 
 今、考える分にはなかった気がします。
 子供向けアニメーションでやるには重たく憂鬱なテーマですし(あったら、教えてください)。

 そんな下地を踏まえた上で「名探偵ピカチュウ」を見ると、反抗期的なニュアンスの次なるテーマを押さえて、作品が造られていることが分かります。
 
 何より、オリジナルであるミュウは登場せず、ミュウツーだけが映画に出てくる流れは非常に良いです。
「名探偵ピカチュウ」の中のミュウツーは、ミュウ(オリジナル)の遺伝子だかを使って、人の手で造られていたとしても、オリジナルです。

 コピーであることについて、ミュウツーはすでに悩んでいません。
 その点が、「名探偵ピカチュウ」の主人公の持つ悩みと繋がってくる後半は非常に素晴しい出来になっていると思います。

 と書いている僕の脳は睡魔と闘っていて、まったく頭が動いている気がしません。
 さっき、チョコレートとコーヒーは摂取しました(エサのように)。
 
 今回の文章を読み返して、もの足りなかったり上手くないなぁと思ったら、エッセイでリベンジしたいと思います。

 この後、小説を書けるのか。
 いや、書きましょう。
 意地でも。

 父と子の話で宣伝できるものはなかったかなぁ、と半分寝ている頭で考えたところ、「完璧な朝と冷たい牛乳が注がれたホットコーヒー。」がありました。
「拳銃と月曜日のフラグメント。」という、僕が掌編を不定期連載している作品群の中の一つです。
 最近、まったく更新できていません。

 地味に好きですと読んで下さった方から言われたことがあるので、更新したいんですが。
 ネタが出てこないんです。
 すみません(でも、書きたい気持ちはあるんです)。

 URLです。
 https://kakuyomu.jp/works/1177354054889114358/episodes/1177354054889187433

 よろしくお願い致します。

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