はじめまして、もしくは、こんにちは。
さとくらです。
ここ数日、気を抜くとずーっと泣きそうになっています。
なんて書いても仕方ないんですけど、仕事中とか、ふと気づくと泣きそうになるんですよね。
ホント参ります。
一番参るのは、泣きたくなる癖に泣けないことです。
これは祖母が亡くなった時の感覚に似ています。
祖母が亡くなって葬式に出る時、この光景を絶対に忘れないって気持ちになればなるほど泣くよりも、その場を観察する方に頭がいったんです。
今の僕が泣くよりも観察に頭がいっているのは、24日の12:01に【速報】として報じられた「プーチン大統領がウクライナ東部の新ロシア派武闘勢力支配地域での軍事行動を承認」です。
戦争じゃん。
プーチン大統領はそう明言していませんが。
蓋を開けたら、ウクライナ東部とかじゃ全然ねぇウクライナ全域で、軍事行動っつーかミサイル攻撃がが行なわれているし、2020年代に街中に戦車が進むってなに?
しかも、翌日の25日にはウクライナのゼレンスキー大統領が国民総動員令を出して、18歳から60歳の男性市民の出国を全面禁止されて、いやいやっもうマジか!
そして、今ウクライナの首都キエフで戦闘が発生していると……。
僕、好きな小説にアンドレイ・クルコフの「ペンギンの憂鬱」っていうのがあって、この作品の舞台はウクライナの首都キエフなんです。
「ペンギンの憂鬱」の帯には「欧米各国で絶大な賞賛と人気を得た新ロシア文学」とあります。
だから、僕は「ペンギンの憂鬱」をロシア文学として受け入れていたけれど、著者のアンドレイ・クルコフの欄をよく読むと「ウクライナのロシア語作家」なんですよね。
ロシアとウクライナは2004年の時点では混同して語られていても問題ない(と言って良いか分かりませんが)空気があったことは伺えます(あるいは、アンドレイ・クルコフという作家が少し特殊な立ち位置にいるのかも知れませんけれども)。
また、「ペンギンの憂鬱」は新潮クレスト・ブックスから出版されていて、本の裏に紹介文というか、短い書評が載っているんです。
そこに伊井直行という方の文章がありまして、少々印象的なので引用させてください。
――主人公ヴィクトルは、ウクライナの首都キエフで新聞の死亡記事を書いて暮している孤独な男である。まるで十九世紀ロシア文学の登場人物のようだが、時代は一九九〇年代、ソビエト連邦は崩壊し、マフィアが暗躍している。主人公は旅先の街で、銃撃の音で目を覚ましたりする。まだまだ平和な日本からすると、はるか遠い国のようだが、読んだ印象は正反対である。憂鬱症のペンギンや、預けられたギャングの娘と寄り添って共同生活を営む主人公は、それがどんなに不可思議であろうとも、私たちの隣人のように思えてならないのである。
「私たちの隣人のように思えてならない」
その「隣人のように思えてならない」人たちが生活していた街にはミサイルが飛び交い、戦車が今にも入り込もうとしているんですよね。
本当に、本当に、勘弁してくれよ……。
いや、なんてことをね。
カクヨムの近況ノートに書いても仕方ないってことも分かってはいるんです。これを読んで暗い気持ちになる人もいると思います。
申し訳ありません。
ただ、書かずにはいられないことでしたので、ここに記載させていただきました。