はじめまして、もしくは、こんちは。
さとくらです。
まずは謝罪を。
毎月、15日に更新していました「オムレツの中はやわらかい方がおいしいのか?」なのですが、今回は難しい現状です。
なので、今回はお休みもしくは、9月中に更新ができればしたいと思います。
もはや誰が読んでくださっているのか、という連載なのですが、細々続けていますので、見捨てずたまに見に来て下さると嬉しいです。
さて、では言い訳を。
皆様は文学フリマをご存じですか?
公式サイトでは「文学フリマとは、全国で開催されている文学作品の展示即売会」だとあり、ここで言う『文学』とは「「自分が〈文学〉と信じるもの」が文学フリマでの〈文学〉の定義」だと言うことです。
ちなみに成り立ちは評論家の大塚英志が2002年に『群像』で書いたエッセイがきっかけになっています。このエッセイは文学フリマのサイト内で読むことが可能です。
https://bunfree.net/archive/articles/literature_as_bad_debts/ この文学フリマに参加される方のアンソロジーに僕の短編を載せてもらうことになり、その作品を書いていたらエッセイを書く時間が無くなってしまいまして、結果お休みもしくは、9月中の更新になってしまったんです。
本当にすみません。
ただ、このアンソロジーは郷倉四季名義で参加します。この辺は少々僕の意思とは違った部分が入ってくるんですけど、せっかく郷倉四季で短編を書くなら、ということで色々試行錯誤をいたしました。
当然、独立した短編としての完成度は一番に重要視したんですけれども。
ちなみに、僕が書いた初稿のタイトルは「深水家の崩壊」でした(推敲を重ねることでタイトルは変わりました)。
「眠る少女」を読んだ人が、ああなるほどね、となっていただける作品におそらくなっています。
とはいえ、僕が参加するアンソロジーを読む方の中に郷倉四季を知っている人がいるのか、という問題はあるんですよね。
なので、逆にアンソロジーを読んだ人が「眠る少女」に辿り着いて、ああこうなるのはそりゃあそうだよね、と思っていただければ良いなぁと思う次第です。
あと、カクヨムの郷倉四季アカウントは倉木さとしが作った架空の岩田屋町が舞台の作品を載せる、というコンセプトで始まりました。
岩田屋町はあくまで倉木さとしが作ったもの、という意識はあったので、今回のアンソロジーで僕は最後に町の名前を登場させています。
せっかくなので、この町を使って面白いことができないかな? と考えています。そして、それが紆余曲折あるにせよ、カクヨムで僕の作品を読んでくださった方たちに届いて、読んでもらえたら嬉しいなぁと思っています。
という言い訳でございました。
他にも今回のエッセイがお休みになった原因は友人と博多旅行へ行ったとか朝活を始めたとか、色々あるんですが、その辺はまた別の機会にエッセイか何かで書ければと思います。
最後に、昔からの読者の方が僕のアーティスト写真を撮ってくださいました。カクヨムにプロフィール写真というものがないので、載せる場所がありません。
なので、noteで設定した写真をこちらにアップさせていただき終わりたいと思います。
撮ってくれた人の腕前が素晴しいので、とても素敵な写真になっています。本当にありがとうございます。