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一人の人間の死と生きることについて。

 はじめまして、もしくは、こんにちは。
 郷倉四季です。

 本日は節分とのことで、恵方巻きを高速バスの中で食べ、部屋に帰って年齢分の豆を食べました。
 高速バスの中では、さやわかの「僕たちのゲーム史」を読んでいました。2012年に出版された本で、コンピューターゲームの「変わらない部分」と「変化する部分」について書かれた、ゲームの歴史本です。
 面白くて読みやすく、そして、さやわかって本当にゲーム好きなんだなぁと思わせてくれる本でした。読んでいるのに疲れると欅坂46の新曲「黒い羊」のMVを見ていました。色々、考察のできる内容で、倉木さとしに自分の考えをLINEしてから、ツイッターで色んな人の感想や考察を読み漁ったりしました。
 倉木さとしの考察もとても面白く、なるほど、と思わされるものでした。
 ちなみに、「黒い羊」のMVを見た時に浮かんだのは、あいみょんの「生きていたんだよな」でした。共通点は少ないですが、一人の人間の死を意味する曲であることは間違いないように思います。
 丁度、僕は一人の死について考えていました。

 2019年1月30日に祖母が亡くなりました。
 祖母は一度、倒れていて、痴呆も進んでいる、という話でした。が、ここ一年は記憶もしっかりとしていたし、施設に入っていた時期はあったものの、家に戻って生活していました。
 亡くなった日の数日前に祖母の誕生日もあって、両親と祖母の三人でささやかな誕生会もしたようでした。80歳の誕生日です。
 その場で祖母は僕の話をした、と母が後になって教えてくれました。
 僕がまだ実家に住んでいた頃に、祖母の家に泊まり、そこで僕は「作家になりたいんだ」と言う相談をした、とのことでした。それに対して、祖母は自分の夫(僕から見れば祖父)の話をしたのだとのことでした。
 祖父は大工で、母が中学生くらいの頃に亡くなっていました。
 物を作ることに関する人の話を祖母が僕にした、という話を誕生会の席で両親が聞く、という妙な入れ子構造になっていますが、そういう話でした。
 実際に僕と祖母がそういう話をしたかどうかは、やや曖昧な部分がありますが、祖母がちゃんと僕のことを覚えてくれていたんだ、という実感が嬉しかったです。

 そうして考えてみると、僕はあと数日で二十八歳になります。
 作家になりたいと思って、書き出して、十年が過ぎようとしています。長い年月のようにも感じますし、祖母の生きた時間を考えれば、とても短くも感じます。
 生きることは決して容易いものではありませんが、安直になったり投げやりになったりせず、過ごしていきたいとだけ思います。

 書いている小説です。

「眠る少女」 2011年。春と夏。
 https://kakuyomu.jp/works/1177354054885776990

「あの海に浮かぶ月に触れる」 2007年。夏。
 https://kakuyomu.jp/works/1177354054886476922

「はつこいクレイジー」 2012年。秋。著者、倉木さとし。
 https://kakuyomu.jp/works/1177354054887384148

「南風に背中を押されて触れる」 2013年。夏。
 https://kakuyomu.jp/works/1177354054888222742

 エッセイです。
「オムレツを作るためにはまず卵を割らなくてはならない。」
 https://kakuyomu.jp/works/1177354054885784728

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