カクヨムを始めてから1週間弱ですが、3作品を公開しました。

これらはすべて、数年前に知り合いの間で紙媒体やPDFで回し読みをしていたものです。

そのとき、世界史を勉強していた高校生の女の子が『羅針盤は北を指さない』読んでくれ、

「セリム1世に興味を持ちました。是非、彼主役で何か書いて下さい」

と言われてびっくりした覚えがあります。ええ!?、私の書いた<冷酷者>(出てこない)、お気に召しましたか、みたいな(笑)「いや、私には手に負えないお方なので貴女が書いて下さい」とお返事したところ、小説まではいきませんでしたが、それこそこっちがセリム1世に興味を持つような話をすることができました。

高校の教科書とウィキペディアからそこまで妄想できるかー、みたいな(笑)想像力って素敵です(笑)もし、ここ見てたらお礼を言わせて頂きます。

歴史を題材にする面白さの一つは、「じゃあ、貴方が書いて下さい」って振れることかな、と思ったりします。ベースになる歴史的事実があるところは、二次創作と似ている(というか、本質的に二次創作)と思うのです。

誰か<兄弟殺し>で<冷酷者>なセリム1世のことを書いて欲しいのですが、なかなか書いてくれないので、そのうち自分で書こうかなーなどと思いながら、年末年始はトプカプ宮殿で「セリム帝メッカ征服500周年展」を見て、セリム帝の霊廟にお参りし、更にはセリム帝に粛清された王族たちのお墓を巡る旅をしてきました(笑)

更にはですね、セリム帝に殺されたお父様やお兄様が作曲した曲のCDも買ってきました!結構そういうの残ってるんだ~。

でも、霊廟巡りしていて一番テンションが上がったのは、セリム帝の叔父であるジェム王子です。もう、何といっても霊廟が美しすぎて。

彼は、父の死後、兄と王位を争って敗れ、ヨーロッパをさすらった末にナポリで変死します。チェーザレ・ボルジアによる暗殺とも言われ、ヨーロッパ史とオスマン帝国史の接点となるあたりです。ジェム王子の息子はイタリア貴族として生きたと言われています。

ジェム王子のような「反逆者」や、セリム帝によって処刑された王族たちのお墓が、普通に亡くなった皇帝などと同じように美しく装飾されたものであるのを見て、改めて、「どのような思いで処刑・埋葬をしたのだろう」と考えました。

というか、何でオスマン帝国で兄弟殺しが制度化したかって言えば、ジェム王子が反乱起こしたから「皇帝の兄弟は生かしておいては危険」ってことになったんじゃ…。

多分セリム帝は兄上の手を取って涙しながらジェム王子を恨んだのではないか、とか思ったり、でも、ジェム王子にはジェム王子の言い分があったのではないかと思うと、そういうのも書いてみたいなーと思ったりもします。

いつになるか、わかりませんが。

誰か「書くよ」という方いたら、書いて下さい、速攻読みに行きます(笑)


17件のコメント

  • 自分で書いて自分で補足ですが、

    オスマン帝国における「兄弟殺し」に関しては15世紀から一般的な権力闘争として行われていましたが、コンスタンティノープルを征服したメフメト2世が、それを制度化するように命じたのです。

    が、考えてみれば、この時点ではそれを無視することもできたはずです。別に兄弟生きてても危険とか、被害妄想じゃない、って考えることもできますし。しかし、メフメト2世の末子であるジェム王子が挙兵したことにより、「兄弟の脅威」はリアルなものとなり、16世紀、17世紀と兄弟殺しは制度化していきます。

    上でジェム王子のせい、的に書いたのはそういう意味です。

    あと、「セリム帝に殺された父」という描き方ですが、これもちょっと微妙なところで、確証はないのですが、息子に廃位された直後に病死って…ねえ。というところです。

  • こんばんは。
    ヒキコモリもよくないので、こちらに遊びに参りました。御足労頂き、誠にありがとうございました。

    猫の話も面白かったです。ムハンマドはもう少し友達にちゃんとすべき。



    霊廟巡りとはなかなか良いご趣味ですね。大陸や台湾に行くと寺廟を回りますが、電飾されていたりしてなかなか萎えます。



    兄弟殺しですか。。。思いあたるところとしては、モンゴルに代表される遊牧民は末子相続が多いですが、それ以前、匈奴や鮮卑は兄弟相続だった節ありです。
    それこそ、拓跋国家の一つの北齊(高歓が事実上の開祖)は、高歓の長子の高澄は即位前に死んだものの、その弟たちが次々と帝位に即いています。
    また、兄が弟嫁を、弟が兄嫁を奪ったという、儒教的には畜生以下の逸話も盛りだくさんですが、これは遊牧民の習慣から考えると珍しくなく、異とするに足りません(ホント?)。
    まあ、当時の女性は部族間の紐帯に等しく、だからこそ地位が高いわけですが、同時に個人ではなく、部族に帰属していた節があります。
    高歓も弟に妾を奪われているところから推して、高氏一族は遊牧民の習慣を色濃く残していた、と考えるのがよいかと思います。同じ鮮卑でも宇文氏や賀抜氏と比べて家格が低く、漢化も進んでいなかったでしょうしね。

    話がそれましたが、そう考えると、遊牧民における兄弟の相続順位は長幼の序により定まる漢族と比して近しく、それゆえに競争が激しいという事情があったのかも知れません。
    突厥は意識的に調べたことがありませんが、文化的には近いんじゃないですかねー、と思いました。

  • 河東さま

    お越し頂きありがとうございます~!

    ムハンマドと猫の話、何バージョンかありまして、有名なところでは猫が袖の上で寝ているから、袖を切って出かけたっていうのもあります。これ、漢の皇帝で猫ではなく美少年バージョンでなかったですか(笑)

    霊廟巡りは趣味というより、この度目覚めた感じです。
    昔はそんなに整備されていなくて行きにくい雰囲気でしたが、ブルサの霊廟群の看板を見ていると、2013年に大幅な修復がなされたようです。おそらく、大河ドラマの影響で外国からも観光客がやってくるようになったからだと思います。しかしその大河人気のせいでスレイマン大帝の霊廟の警備が厳しくなり、中に入れなくなりました!中身持ち帰ってクローン作ったりしないから入れてよ!

    おお、いろいろとご教示ありがとうございます。
    鮮卑といえば、皇帝(皇太子?)の生母殺しなかったですか。
    文成皇后のあたりでなくなりましたっけ。
    結構衝撃的な制度ですが、それだけ外戚が力を持ったということでしょうか。

  • お邪魔しております。

    〉漢の皇帝で猫ではなく美少年バージョンでなかったですか(笑)

    ほほう。劉邦に似たような話があったような気もします。このあたりは不調法でして、スルーした臭いです。漢代の本紀は通読したはずですが、人は興味があることしか覚えないものですね。


    〉大河ドラマの影響

    テレビや映画の影響は万国共通ですね。今年の鹿児島みたいです。それにより史跡の整備が進むのはありがたいことです。あっ、中に入れなくなる弊害もありますか。


    〉鮮卑といえば、皇帝(皇太子?)の生母殺しなかったですか。文成皇后のあたりでなくなりましたっけ。

    皇太子の生母殺しの風習は霊太后胡氏まで続いています。実質的には北魏を通じて行われたわけです。


    〉結構衝撃的な制度ですが、それだけ外戚が力を持ったということでしょうか。

    外戚と捉えるのがよいかは微妙ですかね。可敦または可賀敦と呼ばれたらしい生母そのものの地位が高いように見受けられます。この可敦や可賀敦は可汗を女性化した名詞なんじゃないかと疑っています。

    父親を殺すより母親を殺す方がその一族に復讐されるから危険という話があるくらい、母親は一族を背景として発言権が強かったようです。
    これは女性にも拡大できるかも知れず、白登山に囲まれた劉邦の解放にあたり、陳平は冒頓単于の夫人を籠絡して口添えを得ています。
    これは、夫人が軍事にまで一定の発言権を持っていたとも推測できますね。そういう役割も果たしていた、と考える方がよいのではないかと思います。

    鮮卑の北齊では高歓夫人の疋婁氏が晋陽にあって皇帝は国都の鄴にある二元体制でしたが、主力軍は晋陽にあったらしいんですよね。で、皇太后令による廃立も行われました。
    疋婁氏の権力は相当に強く、それは一族の力を背景としたものというより、高歓の妻、皇帝の母という高い地位がその源泉だったのではないかと思います。

    なので、臆説ですが北族における妻や生母の地位はそもそも高く、その高い地位が皇帝という統治者にも無視できずに統治を歪めることから、皇太子の生母を殺害するしきたりを作ったのではないかと推測しています。

    霊太后はそのしきたりを知りながら皇太子を生み、死を命じられることなく生き延びましたが、北魏の事実上の滅亡はこの方の死と時を同じくしたわけですから、皮肉なものだと感じました。

    雑談にしては長いですね。失礼しましたー。

  • 河東さま

    >漢の皇帝と美少年

    前漢の哀帝と大司馬董賢の話でした。「断袖之交」です。
    皇帝の寵愛だけにより、その歳や能力に就いた若者、という感じで語られる話としてもやっと記憶しておりました。

    で、オスマン帝国創作やっているときにふと思い出し、イブラヒムのような誇り高い奴隷は「そのような者」と見做されるのは屈辱だっただろうなあ、と思ったりしました。で、ウィーンで「お前ら<スレイマン様<私」というような傲慢な発言をかまし、ドン引きされたというような逸話が(笑)でも、オスマン帝国の奴隷は偉いのです(笑)

    スレイマン大帝時代の大河ドラマ、2011年から2013年だったと思いますが、未だブームは衰えず。トプカプ宮殿で大河衣装を着て写真撮影できるところが大行列だったり、ヒュッレム・スルタン・ハマムは予約で一杯だったり、まだまだ盛り上がっております。現地にはロシア人のファンが目立ちますが、ネット上では南米のファンの二次創作(?)のようなものが目立ちます。

    楽しいのですが、霊廟に入れなかったり、観光地がぼったくり料金になったり、多少の弊害はあります。

    >可敦

    はっ!もしかしてこれ、オスマン帝国の高貴な女性に使う敬称「ハトゥン」と同じ系でしょうか!多分それっぽい響きですね。テュルク系であるオスマンやサファヴィー朝では他にも「ハーン」→「ハーヌム」などの女性への敬称があります。ただ、オスマンでは16世紀から女性にも「スルタン」の方がよく使われるようになります。ちなみにハーヌムは今トルコでは、「~さん」くらいの感じで使います。

    母后の地位が高いのはオスマンでもそうです。ヴァリデ・スルタンと呼ばれ、玉璽の管理なども行うので、朝鮮王朝の大妃のような感じでしょうか。

    兄弟にしても母親にしても殺害されるというのは、本来それだけ強い力を持つ存在であるから、というのがあるのかもしれません。

  • こんばんは。
    面白いお話をありがとうございます。

    〉前漢の哀帝と大司馬董賢の話でした。

    御指教ありがとうございました。王莽登場直前なんですね。「断袖」が「男色」の異称とは知りませんでした。気をつけよう。何に?


    〉誇り高い奴隷

    中国史では子飼いの奴隷を側近に登用したという話はあまりないように思いますね。奴婢と主人の関係性の違いなんでしょうか。中国史目線では、一族郎党ではなく、奴隷を側近にしたという事実が興味深いです。それだけ関係が近しいんですかね。


    〉スレイマン大帝時代の大河ドラマ、2011年から2013年だったと思いますが、未だブームは衰えず。

    そるは息が長い。こういうのは作品そのものの出来にも左右されますから、質が良いものだったんでしょうね。にしても、ロシア人や南米で人気というのはスゴイなあ。N H Kもガンバレ。


    〉多少の弊害

    有名税ということで、一つ。


    〉オスマン帝国の高貴な女性に使う敬称「ハトゥン」と同じ系でしょうか!

    素晴らしい。
    「可敦」と言われても、漢文専門の私としては「そうですか」としか言えないわけですが、崩紫さんのようにトルコ語の知識があれば、別の理解ができて違う見方ができる。小説でも論文でも、この複眼が独自性につながるわけですよね。その目線で中国史も面白いと思いますよ。
    トルコ語いいなあ。でも、辞書を買っても分からないんですよね。読めないから(泣

  • 河東さま

    そうなんです、中国史にもこういうエピソードがあるのです、気をつけましょう(何に・笑)

    イスラーム世界の「奴隷」についてはちょっと特殊で、オスマン帝国に関しては「縄と鎖」のあとがきに書かせて頂きました(って何かあとがきが本体のようになっているw)が、サファヴィー朝なんかでもやはり奴隷軍人の力が強かったようです。

    本当は「奴隷制なんて非人間的だから駄目」というのがイスラームの教えなんですが、何故かよじれて奴隷の方が主人より偉くなっていく王朝が多いです。

    トルコは実はアメリカに次ぐ、世界第二位のドラマ輸出国なのです!日本ではそのスレイマン大帝のやつしか放映されていませんが。私、hulu契約していないんでyoutubeでトルコ語のを見ただけなんですが、韓国の歴史ドラマなんかの緻密な造りと比べると大味というか雑というか、殴って解決!なところがあるのですが、衣装豪華(胸の露出と盛り方?がすごいw)ですし、トプカプ宮殿でロケやってますし、何より役者さんたちに謎の勢いがあって、よくわからないままわくわくしながら見ました。

    でも、長いです。2時間×130話くらい(笑)
    ロシアの朝ドラとかもそれくらいの長さのがありましたが、みんな暇なのでしょうか(笑)

    トルコ語はラテンアルファベットだからいいんですけどねー。オスマン語になるとアラビア語なんで一気にハードル挙がります。母音の種類が多いテュルク系言語を母音3つしかないアラビア文字で表記するのは非合理的だと思うんですが、まあ、アラビア文字を捨てるとコーランから遠ざかりますからねえ。仕方がなかったとは思いますが、鬱陶しいです、アラビア文字が(笑)

  • こんばんは。

    〉「縄と鎖」のあとがきに書かせて頂きました

    拝読しました。
    なるほど、奴隷階級かつ行政官候補なんですね。ふうむ。何となく中国史の内廷における宦官に近いものを感じますが、より政治的な印象です。
    しかし、郷挙里選や科挙に比して人間の業が表れやすい危険な制度のようにも感じました。何というか、曰く言い難い歪さのようなものがありますね。


    〉トルコは実はアメリカに次ぐ、世界第二位のドラマ輸出国なのです!

    それは知りませんでした。
    物語を好む素地があるのですね。しかし、陰山界隈にいた頃は文字もなく、「勅勒歌」のような素朴な歌謡らしきものしか残っていませんから、西遷後に定住して得たものなのでしょうね。


    〉トルコ語はラテンアルファベットだからいい

    それにしても、音が分かりませんからね。論文中にアルファベットで記載されても、うー、という感じです。英語風に読んでよいのか悪いのか、そこから不明ですからねえ。


    〉母音の種類が多いテュルク系言語を母音3つしかないアラビア文字で表記する

    文字が分からない上に構造的にもハードルが高そうです。やっぱり言語は学生のうちにやれるだけやるべきですね。あーあ。

  • 河東さま

    あ、確かに宦官に近い面も。古い時代、奴隷軍人は去勢されておりましたし、去勢されなくても結婚が禁じられたりしていました。要するに、世襲の豪族(トルコ人ムスリム)を排除するために異教徒を奴隷として登用したわけなんですが、結局はそれが世襲化していきます。

    トルコ人、おしゃべりが好きだから、おしゃべりの延長で長い物語ができていくのかな~と、トルコドラマの長さについて思ったりします。

    えーっと、現代トルコ語の表記はかなり規則的なので簡単です。cをジェーと読む、とかいくつかの法則を覚えるだけなので。

    ただ、オスマン語になると、「母音を表記しない方がインテリ」とか、漢文に訓点を打つのを嫌がる日本の知識人のようなこだわりがあって、本気でめんどくさいです(笑)

    ええ、言語は若いうちにやっておくものですね(遠い目)

  • こんにちは。
    長々とお付き合いありがとうございます。

    〉世襲の豪族(トルコ人ムスリム)を排除するために異教徒を奴隷として登用した

    豪族抑制のために異教徒を登用、兄弟殺しと同じく近いほど危ないという認識なのでしょうね。民族の障壁の低さはさすが遊牧民だと感じます。


    〉おしゃべりが好き

    あ。たしかに、口承文芸の伝統がありますね。
    東洋文庫の『ナスレッディン・ホジャ物語』『アルパムス・バドゥル』を読みましたが、いずれも地域によってバリエーションがかなりあるという話ですし、語り部のような職があったんでしょう。


    〉cをジェーと読む、とかいくつかの法則を覚えるだけ

    例外だけ覚えれば、音は分かるようになりますかね。鮮卑や高車の名前や字は、抜抜陵陵とか彌賀突とか「漢語のわけないでしょこれ」ばっかりなので、モンゴルかトルコからアプローチするしかないんですよね。壁高いまくりです。


    〉「母音を表記しない方がインテリ」

    母音の数が多いとなおさら分からなくなるじゃないの。。。何でそうなった。


    という感じで、中国史経由でトルコ史に興味があってもなかなか手が出ない人もいますので、今後の御作も楽しみにお待ちしております。
    でわでわ。

  • 河東さま

    いつもおつきあいありがとうございます。

    >民族の障壁の低さ
    これ、よくオスマン帝国の美点としてあげられますが、厳密にはそうとも言えないです。
    というのも、最大多数を占めるアラブ人の地位の低さを見落としているのです。
    アラブ人はイスラームの本家とも言えますから、トルコ人はコンプレックスがあるのでしょう。
    結局キリスト教からの改宗者が優遇されるんですが、ここで、「アラブ人のキリスト教徒」は事実上排除されているのです、数は多いにも関わらず。
    かつては非常に高い地位にあったアラブ系の教会も、オスマン帝国時代にはギリシア人の統治下に入ります。当然、ギリシア系キリスト教徒はオスマン帝国政府との強いコネクションがあります。
    アラブ系キリスト教徒の一部は憤ってロシアに行ってしまったりします。

    一応今は独立してアラビア語典礼を行っておりますが、今もパレスチナ問題の一角として残っています。というか今エルサレムで揉めてます~~~!

    『ナスレッディン・ホジャ』とかが入っているあたり、東洋文庫すごいなーと思うんです。というか、日本の翻訳カバー率はなかなかのものだと、たいていの外国と比べて思います。

    多言語やっている人がたいてい言うのが、「表記と発音の例外が多いのが英語と日本語」というやつです。私もそう思います。この二つに耐えてきたのだから、理論上は何語であっても耐えられるはずです。しかし、やはり年齢の壁というのが大きいと感じます(笑)

    今書いている『県知事様はライトノベルが書きたい』は、文体は一番軽いんですが、内容的には一番真面目かもしれません。一神教にとっての「絶対的な真理」と「解釈」の問題です。まあ、それ自体私の「解釈」なので、別に勉強にはならないと思いますが(笑)、興味を持って頂けたら、と。でもまだその話ではなく、前半は「書くこと」「読むこと」みたいな話です。

  • こんばんは。
    また面白いお話をありがとうございます。

    〉アラブ人の地位の低さ

    なるほど。多数派であるはずのアラブ人が貶められたのですね。確かに恐ろしい存在だったはずですから、何となく分かります。


    〉今もパレスチナ問題の一角として残っています。

    現代に続く問題なのですね。。。痛々しいです。


    〉東洋文庫すごいなーと思うんです。

    このあたりはガラパゴスの極致ですが、日本人の侮れないところです。母国語でこんだけ色んな文化に接することが出来る環境はあまりありますまい。


    〉理論上は何語であっても耐えられるはずです。

    理論上は然り、ですね。人間はナマモノなので仕方ないところありますが。。。


    〉前半は「書くこと」「読むこと」みたいな話です。

    興味深く拝読しております。なかなか根源的な問いですね。書くか。別になくても生きられるんですけどね。面白いかはともかく。それだけに、問いとしては深いです。何故書くか、と言われましてもなあ。みんな答えは持っているんでしょうけど。。。

  • 河東さま

    やっぱりアラブの連帯感ってすごくて、宗教を越えたものがあります。
    今現在、トランプ政権に対してキリスト教徒とイスラム教徒が「うっせー!オレたちはアラブ人なんだよ!」と団結して戦ってるあたりとか。
    何だろうなー、あの感じ。
    アラブ人ではないキリスト教徒の私から見てもちょい疎外感を感じるので、
    オスマン帝国のトルコ系(混血していてもはやトルコとも言えませんが)の人々からすると、非常に鬱陶しかったと思います。
    そういえばトルコ系はオスマン帝国でも、サファヴィー朝でも、ムガル帝国でも、「テュルク」であることを何かで隠す方向です。

    日本の翻訳文化はすごいですね。
    というか、河東さまがカクヨムであんなすごい翻訳事業をやっておられることにびっくりです。
    是非、東洋文庫に(笑)

    まだ「ライトノベル」という名の結構真面目な話は続きます。多分あとがきも本編の予定です。

  • こんばんは。
    県知事サマのお話も楽しく拝読しました。文体はゆるふわ風でしたが、神学的なお話がムリなく織り込まれておりますね。
    日本人と神というより日本人の倫理は興味がある分野なので、他文化の倫理は参考になります。

    山川草木悉有仏性神仏融合文化の人間には肌感覚として分からないところがありますが。。。

    〉うっせー!オレたちはアラブ人なんだよ!

    これ。
    地続きなのに民族意識を維持できる原理がよく分からないのですね。意識以外に共通点はなさげなのですが。。。
    中国の南北朝時代にはあからさまに異民族である万俟氏や呼延氏、宇文氏に達奚氏は複姓を維持するかは別として唐代には漢人化しています。
    まあ、唐の雑種性もありますけど、万俟姓は清代まで残っており、女真族から見れば漢人姓です。当人も意識は漢人だったでしょう。

    なので、四世代くらいで融けこむやろ。。。と思うのですが、アラブあたりは違うみたいですね。


    〉「テュルク」であることを何かで隠す方向です。

    それは興味深い。。。支配民族がそれを隠すというのは、普通には考えにくいはずなんですけど。何なんでしょうね。少数派だから?女真族もそうでしたけど。


    〉翻訳事業

    あれは古文の現代語訳なので、あまり大したことないです。長いだけ。明治の人はこんなん読んでたらしいよって話なので。もう少し質がいいと楽しいんですけどねーとか言うと怒られるかなあ。。。序に書いているからいいや。

  • 河東さま

    早速お読み頂き、ありがとうございました~!

    何か一神教って厳格なイメージがあるようですが、私のような者からすると、神が唯一であり絶対でることとか、当たり前すぎて普段あまり意識せず、割と適当に生きています。一神教は他の宗教に寛容ではないと言われることもありますが、本当に自分がしっかりと信仰を持っていたら、他の人が何を信じていようと、ごちゃごちゃ言う必要はないはずです。

    自分が神様になったかのように他人を「間違っている」と言うことこそ、一神教の本質から外れていると思うのです。それで、スレイマン様が語る「500年後のほんわり幸せな結末」になりました。

    なので、オスマン帝国によくいる(?)「ちょいルーズなイスラーム教徒」(酒飲んだり同性愛に走ったり)や「改宗したけど別にアイデンティティが特に揺らいでいない元キリスト教徒」は、宗教的にいい加減なのではなく、根っこのところでブレてないからそうなのかな、と勝手に思っていたりします。

    実際、よくわかりません。狂信的な一神教の人はいますし、怖いですし、一緒にされたくないという切実な思いもあります。
    (無意識のうちに一神教の“ゆるいくてぶれない人々のあり方”を描きたくなるのはその現れかもしれません)

    古代の民族意識と近現代の民族意識には違いがありますが、それがどの程度、どのように違うのか、というのは近現代史の最重要とも言えるテーマです。いわゆる「ナショナリズム論」なのですが。

    ベネディクト・アンダーソンという東南アジア近代史の方がおりまして、この方の『想像の共同体』という書物に学生時代大きく影響を受けました。我々は「同じ民族である」のではなく、「同じ民族であるという想像」を共有している共同体に過ぎない、と、粗っぽく言えばそんな感じです。

    で、アンダーソンだけでなく、ホブズボームのように「伝統の創造」、つまり、「伝統」と言われているものも、多くは近代において「つくられた」「作りなおされた」という考え方はある程度定説となっています。

    ですから、アラブナショナリズムも、かなりの部分、オスマン帝国崩壊期に、様々な要素をかき集めて「作りなおされた」ものであると言えます。

    もっとも、近代に再構築・或いは創造・想像された面を強調するアンダーソンに対し、スミスの『ネイションとエスニシティ』のように、古代から続いている要素をもう少し強調する考え方もあります。

    いずれにしても私は、このような「近代」の特徴をどのように考察できるか、中国近代で取り組んでみたのですが(上海で「イスラエル」を作ろうとする人や、「上海人」というものを作ろうとする人や、ちょっとマイナーなあたりから)オスマン帝国はもっともっと顕著に表れている地域なので、こっちで取り組めば良かったかと、今更ながらに思っています(笑)

    19世紀における「アラブ人」の創造、「ギリシア人」の創造とか、史実と虚構の織り交ぜ方が検証のサンプルとしては扱いやすい、が、中国近代史から来た者には言語の壁が(笑)

    「イスラエルをつくる」の方に入らなかった上海のユダヤ人の話(卒論・修論ベースの創作)も、もうちょっと改稿したらアップする予定です。

    テュルクを蔑む傾向なテュルク系国家のメンタリティーとしては、北魏の孝文帝なんかに近いんでしょうかねえ。オスマン帝国においては支配階級は「オスマンル」(いろいろ混血してやつ)であって、「テュルク」は「田舎者」を指します。ライトノベルの方ではわかりやすく「トルコ語」としておきましたが、イブラヒムが学んだのは「オスマン語」です。ただ、オスマン語がいろいろ接ぎ木しつつも、ベースがテュルクなあたり、テュルク語を捨て、ペルシア語を用い、「イーラーン」になったセルジューク朝やサファヴィー朝とは違うのでしょう。

    サファヴィー朝の二代目の国王は、オスマン帝国のスレイマン1世の葬儀の時に『王書』の写本を贈るのですが、これは「イーラーン」(文明人、いい奴)と「トゥーラーン」(テュルク、野蛮人、悪い奴」という構図の話なので、サファヴィー朝(イーラーン=文明人)、オスマン(トゥーラーン=野蛮人)と言いたい感じなのかなーと思いました。でもあんたのお父様のイスマーイール1世はテュルク語(アゼルバイジャン語)で痛い詩を書いてましたよ、と突っ込みたくもなり(笑)

    そんな『王書』を始めとするペルシア文学の多くが東洋文庫に入っている日本の翻訳文化の高さ(笑)

    >もう少し質がいいと
    ええ!?(笑)
    でも、劉淵の設定とか、面白いじゃないですか。

  • こんばんは。
    上海租界は浅田次郎さんがさんざっぱら書きましたけど、カオス感がたまりませんね。

    民族について考えると、足が竦むかんじがあり、時間がかかりました。難しいけど面白い命題です。

    〉一神教の“ゆるいくてぶれない人々のあり方”を描きたくなるのはその現れかもしれません

    生まれ育ちが多神教の総本山みたいな地域なので、正直に言えば一神教は分かりません。親戚にはいますが。。。
    ただ、砂漠地帯を見て、なるほど、この世界には多神教はないな、とは思いました。だから、出自は厳しい宗教なんだと思います。その証拠に、温帯では一神教は発生しませんでした。
    黄巾の乱や孫恩の乱みたく多神教にも狂信はありますから、一神教の専売特許でもないんですよね。自戒自戒。


    〉「ナショナリズム論」

    ナショナル=領域国家という概念そのものが、ウェストファリア条約以降のもののように思います。しかし、語源的にどうなのかな。分かりません。
    東アジアに領域国家はなかった、というと語弊がありますが、冊封体制や羈縻支配を考えると、領域国家とは明らかに違うと思います。もっと緩い。
    むしろ、遊牧民の方がそのあたりは厳しかったんじゃないかなあ。彼らは牧草地が死活問題だったわけですから、当たり前なんですけど。
    個人的見解ですが、古代には生産様式、風習、言語が先にあったのではないかな、と。それが類似する限りは同じ民族である、と考えないと説明がつかない事象が多々あります。東魏の漢人と鮮卑の諍いとか、面白いです。
    さらに遡れば、殷人と周人の違いがあったわけですが、融和は急速に進んでいる。金髪碧眼がいた匈奴を考えると、容姿はむしろあまり関係なく、習俗が大きいのかなとも思います。
    だから、古代史にナショナルという概念を持ち込むのは大変に危険で、弓月君や秦氏は日本人じゃないの?と聞いて、即答できる人はおそらくいないんじゃないですかね。当時はそんな概念がなく、百済や新羅の人も大した区別はなかったと思うのです。


    〉「伝統の創造」、つまり、「伝統」と言われているものも、多くは近代において「つくられた」「作りなおされた」という考え方

    面白いけど、普遍的ではないかも知れません。伝統の創造は古代からなされていると考えます。例えば、魏晋南北朝の夷狄は大半が黄帝を出自としています。むろん、正史においてですが。
    これも恐らくは同じことで、「黄帝の子孫がすなわち漢民族だった」のだと思います。
    だから、彼らは漢人の文化風習に同化した時に黄帝の子孫になった、と考えるべきかと思います。逆に言えば、「黄帝の子孫」を名乗れば漢民族になれたのでしょう。
    これは伝統の創造であるとともに、漢民族の文化が空間的に拡大する原動力となったと考えています。


    〉スミスの『ネイションとエスニシティ』のように、古代から続いている要素をもう少し強調する考え方

    だから、こちらのが考え方として好みです。ただ、何をもって古代から続く要素とするかは課題が多いと思いますが。。。
    というわけで、近代には意識が及ばない古代史止まりの人間からすると、民族の再編成は古代から常になされており、古代・中世と近代を分けるのは民族観ではなく、国家観ではないかな、と考えます。民族観は今もあまり変わらないのかも。


    〉北魏の孝文帝

    漢化の代名詞ですね。この最終到達点が唐太宗李世民の皇帝=天可汗だと考えています。それなら都は長安より大同の方が良かったはずで、だから爾朱榮は遷都を考えた、というとマニアック過ぎますね。
    しかし、鮮卑国家の目標はおそらくこれだろうと思います。そういう面では、孝文帝は唐の出現を遅らせた罪人かも知れません。


    〉『王書』

    そんな経緯があるのですね。買ったけどまだ読んでないのです。しかし、訳書があるのはありがたいですね。訳がないと読めないですからねー。

    しかし、民族かあ。。。もっとちゃんと考えないとダメですね。信仰がない人間にはキツイかなあ。

  • 河東さま

    早速読んでいただき、ありがとうございました~!

    熱い話になってきたので、私ごときの解釈ではなく、もうちょっとちゃんとした概説書を2冊紹介しておく方が誠実なような気がしてきたので挙げます。

    谷川稔『国民国家とナショナリズム』、1999年、山川リブレット

    発行年は少々古いですが、日本でこの系のテーマを考えるときの入門書として、大学でもよく使われます。
    フランス革命期のご専門の先生なので、そのあたりの例が多いですが、様々な議論を簡潔に紹介しています。
    古代と近代の民族概念の違いなんかも。

    中田考『イスラーム入門』、2017年、集英社新書

    数ある類書と違うのは、「日本人のイスラーム法学者」によって書かれているということです。

    スンナ派とシーア派の区別すらきちんとできていないいい加減な入門書が多い中(一応言っておくと、イスラームに関するよくある。そして最大の誤解が「砂漠の宗教」で、正しくは「都市の宗教」です)、スンナ派四大学派の違い(←すごく大きい)をきちんと説明しています。新書としてはつめこみすぎ、厳密であるが故の難解さはありますが、論理的な名著です。

    でも読みやすさなら2015年に同社から出ている『イスラーム 生と死と聖戦』という、タイトルも帯の写真も怪しいことこの上ない新書(多分今もAmazonで帯見れます)の方がいいかもしれません。多くのイスラーム研究者は「イスラーム」と「テロ」を結びつけることを回避するあため、不必要なまでの持ち上げをして気持ちが悪いことがありますが、この方はタリバーンも裸足で逃げ出すような原理主義者なので、そんな「配慮」は一切無し、ただただイスラーム法に照らし合わせて、ムスリムたちの行いをばっさばっさ斬ってます(笑)

    ちなみにこの方、コミケでは『俺の妹がカリフなわけがない!』。『イスラームとBL』などのライトノベルも書いておられます(笑)ライトノベルを書くイスラーム法学者、というイメージはここから生まれました(笑)
    マーリキー学派(ちょっと堅い)の法学者なので、私が舞台としているハナフィー学派(ゆるい)のオスマン帝国とは考え方がかなり違うのですが、いろいろ参考にさせてもらっています。

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