カクヨムを始めてから1週間弱ですが、3作品を公開しました。
これらはすべて、数年前に知り合いの間で紙媒体やPDFで回し読みをしていたものです。
そのとき、世界史を勉強していた高校生の女の子が『羅針盤は北を指さない』読んでくれ、
「セリム1世に興味を持ちました。是非、彼主役で何か書いて下さい」
と言われてびっくりした覚えがあります。ええ!?、私の書いた<冷酷者>(出てこない)、お気に召しましたか、みたいな(笑)「いや、私には手に負えないお方なので貴女が書いて下さい」とお返事したところ、小説まではいきませんでしたが、それこそこっちがセリム1世に興味を持つような話をすることができました。
高校の教科書とウィキペディアからそこまで妄想できるかー、みたいな(笑)想像力って素敵です(笑)もし、ここ見てたらお礼を言わせて頂きます。
歴史を題材にする面白さの一つは、「じゃあ、貴方が書いて下さい」って振れることかな、と思ったりします。ベースになる歴史的事実があるところは、二次創作と似ている(というか、本質的に二次創作)と思うのです。
誰か<兄弟殺し>で<冷酷者>なセリム1世のことを書いて欲しいのですが、なかなか書いてくれないので、そのうち自分で書こうかなーなどと思いながら、年末年始はトプカプ宮殿で「セリム帝メッカ征服500周年展」を見て、セリム帝の霊廟にお参りし、更にはセリム帝に粛清された王族たちのお墓を巡る旅をしてきました(笑)
更にはですね、セリム帝に殺されたお父様やお兄様が作曲した曲のCDも買ってきました!結構そういうの残ってるんだ~。
でも、霊廟巡りしていて一番テンションが上がったのは、セリム帝の叔父であるジェム王子です。もう、何といっても霊廟が美しすぎて。
彼は、父の死後、兄と王位を争って敗れ、ヨーロッパをさすらった末にナポリで変死します。チェーザレ・ボルジアによる暗殺とも言われ、ヨーロッパ史とオスマン帝国史の接点となるあたりです。ジェム王子の息子はイタリア貴族として生きたと言われています。
ジェム王子のような「反逆者」や、セリム帝によって処刑された王族たちのお墓が、普通に亡くなった皇帝などと同じように美しく装飾されたものであるのを見て、改めて、「どのような思いで処刑・埋葬をしたのだろう」と考えました。
というか、何でオスマン帝国で兄弟殺しが制度化したかって言えば、ジェム王子が反乱起こしたから「皇帝の兄弟は生かしておいては危険」ってことになったんじゃ…。
多分セリム帝は兄上の手を取って涙しながらジェム王子を恨んだのではないか、とか思ったり、でも、ジェム王子にはジェム王子の言い分があったのではないかと思うと、そういうのも書いてみたいなーと思ったりもします。
いつになるか、わかりませんが。
誰か「書くよ」という方いたら、書いて下さい、速攻読みに行きます(笑)