身体感覚ファンタジーの次なるステージを僕は見出しました。
それは人間では感じることのできない感覚を物語の世界で結ぶというアイデアです。
人間では感じることのできない感覚を表現するには次のような方法があります。
一つ目は錯感のように既存の感覚で感じられるが人間が感じたことのない感覚です。光のスープや、眩しい味などの矛盾した感覚がそれにあたります。
二つ目は第7感です。人間には存在しない感覚器官をでっちあげそれを物語の生き物に具えさせるのです。その場合その感覚器官に対する適刺激とその感覚を表す言葉は全く架空のものとして造語する必要があります。
以前考えた冥臓を感覚器官をも兼ねる内蔵とするアイデアを考えました。
冥臓で感覚することを"かやぐ"と名付けます。
かやぐ・かやらぐは耳で言うところ聞く 目で言うところの見る他にも触る 嗅ぐ 匂う 味わうに相当する動詞です。それがどういう感覚なのか作者も読者も知りえません。なぜならそれは人間では感じることのできな感覚だからです。
では、声や光、熱や臭い、味に相当する冥臓の適刺激はどうしようかなと思っています。今のところいい言葉が浮かばないので 仮に”無”もしくは”冥”と呼びます。
次のような文章になります。
” かなたは”無”をかやいだ。
かなたの冥臓を無が満たしていく。
大きな無がかなたの冥臓でかやらいだ。”
当然 冥臓は内臓でありかつ感覚器官でもあるので”錯感”が存在します。また、そのほか五感にも”かやぐ”ことにたいして錯感が起きます。
次のような例になります
錯感する冥臓の例
”冥臓が乾いて小さく縮んだ”
”冥臓が針で刺されたように眩しかった”
”冥臓に味蕾が生えたみたいに暗く味わった”
かやぐ五感の例(五感に起こる第七感との錯感)
”かなたの鼻は明るい色を見てかやらいだ。
”ニカの手が霊化したみたいに壁の冷たさをかやらいでいく。”
”リラの心臓が美味星の光を拍動でかやらぐ”
”りんごの脊髄が無に圧迫されて折れそうになる。”
三つ目のアイデアはとにかく矛盾した刺激・事象を描くことです。その刺激や事象を登場人物が扱うことでその行間に”ありえない感覚”が生じます。これは、錯覚絵の文章バージョンでもあります。
例えば、四角くて丸いその石をかなたは握りしめた。などです。四角くて丸い石はそもそも存在しえない物体です。丸である場合四角ではありえず四角である場合丸ではありえません。しかし、かなたはその”四角い丸”を物語の中で実際に掴んでいます。この事象の行間にこそ”ありえない感覚”が生じています。そして、身体にはそのあり得ない事象をあり得ないなりに受け入れる胆力があります。
そこにあるけどない
見えないけど触れる
小さくて大きいくて重たくて軽いなどです。
例↓
” その生物は見えないけど美しい 人々はその美しさに心を支配された メキキラピカ かなたはその生きていてかつ死んでいる者をそう名付けた。「そうだ。みんながメキキラピカになるべきだ。」かなたの気まぐれな思い付きのせいで星水の丘は地獄になった”
” その石は熱くて冷たかった。だからニカはその石を焼きながら冷やしたんだ”
” それは本質的な余白だった。りんごはそのど真ん中にある隅にわかりやすく目印を引いた”
” りんごは熱い氷を湖に投げ入れた。湖の生き物はみんな窒息して腹を向けて死んだ。その熱い氷のせいで湖は蒸発してしまった。しかし、その熱い氷が溶けたことで再び湖に水が満ちた”
” 長い点をりんごはいくつも壁に打っていった。”