→三島由紀夫が川端康成に小説の感想をもらったときの文章で
” うれしくて部屋中を歩き回り担当編集者の○○君には電話口で発話を固く禁じていかに私がうれしく感じているかをとうとうと聞かせた。”
というような文章がありました。(うろ覚え)
僕はこの文章を読んで、三島の動きがありありと想像されました。
その理由は”発話を固く禁じて”という禁じるという抽象的な動詞にあると思います。
この三島由紀夫の文章では担当編集者に言った言葉や具体的に何をしたのかは書かれていません。しかし、「僕に喋らせてくれ。嬉しくてたまらないんだ」という三島由紀夫のセリフや彼が受話器に唾を飛ばしながら喋っている様子が”禁じる”という抽象的な動詞から自然と想像されます。
ここで僕は、抽象的な動詞にアニメーション効果があることに気が付いたのです。もちろん、これは前後の文脈があってのことですが。抽象的な動詞をまるでそれが具体的な動作であるかのように使うのです。
例えば次のような用例を思いつきました。
”家に帰るとわんこが尻尾を振りながら僕に飛びついてきた。僕はわんこが尻尾を振らなくなるまで彼を愛した”
”上司のお説教は夕方までずっと続いた。僕はおよそ一般には知りえないような罵倒語を数え切れないほど学んだ。”
”○○君は朝からお腹が痛そうだった。彼が席を立とうとするのを僕は睨んで禁じた。そのまま戦うようにと”
”二人の恋人は互いに抱き合い唇の形を確かめ合った”
”真っ暗闇の中、僕は傘で段差を調べながら一段一段降りていった”