嘘について少し考えてみました。そこで、僕はあることに気が付きました。それは、嘘というのはうそをつく側に情報アドバンテージがあるときになされるということです。そして、嘘つきがこの情報アドバンテージを失うとウソがばれるのです。
”自分だけが知っていること・情報”を持っている者はそれだけで求心力を得ます。「あれを教えてくれ」「これはなんなの?」というように人から尊敬と問いを集めるのです。
そこで、物語として嘘つきを改ざんします。それは、情報アドバンテージを持たないのに嘘をつき続ける人です。つまり、無知なウソつきです。
例えばその人は真昼間なのに「こんばんわ」と挨拶をしてきます。「いや、まだ昼だろ!」とあなたは太陽を指さします。すると、その人はお化けでも見たような顔をして言うのです。「おい、大変だ。さっきお前があっちの噴水広場で真っ裸のまま逆立ちしてたぞ」
あなたはあきれます。
「お前は何を言っている?俺はさっきからずっとここに居たんだぞ?」
「いや。そんなはずはない。ところで、お前の恋人が酒場で別の男とキスをしていたぞ」
「ふざけるな、俺に恋人はいないぞ!」
この人物はこのようにして、情報アドバンテージのない時に敢えて嘘をつき続けます。誰でも今が昼であることを知っているのに夜だと言い張り、相手のことは相手が一番理解しているにもか関わらずその人の行動や真理について嘘をつき続けるのです。この嘘つきはむしろ自分の方が知らないことについて嘘を言い続けるのです。
その人は小声になる。
「さっき、本を万引きしたでしょ。」
「え?」
「見てたよ。内緒にしてあげるからジュース買ってくれない?」
「い、いや。僕は万引きなんか!」
「嘘はだめ!」
嘘を支配から解放する。
「今は夜だよ」ではなく「こんばんわ」という嘘の方が良い。「あなたは私の夫です」よりも「hay!ダーリン。調子はどう?」という嘘の方が良い。つまり、嘘が前提でおしゃべりをするのだ。嘘がおしゃべりの話題ではなくおしゃべりの前提として嘘をつくのだ。
「ねえ、糸厘。結婚指輪を無くしたの。」
「え?誰の?」
「何言っているの?糸厘がくれたじゃないか!」 もし僕が自分の小説で支配する以外の目的の嘘つきを描くとしたら次のように書きます。
1,自分が相手と情報アドバンテージが同等またはそれ以下の話題についての嘘をつく。例えば、晴れの日に「こんばんわ」と挨拶するとか妹のいない相手に「妹さん美人ですね」とほめるとか。
2,かなりの頻度でパラドックスを引き起こす。例えば「私嘘つきじゃないもん」とか「私言葉喋れないんですよね」とか「わたし歩けないんですよねと言って散歩するとか」
3,嘘を前提として喋る。例えば、山本君に対して「田中君おはよー!」と挨拶するとか初めてあった人には必ず「久しぶりー」と挨拶するとか
4、かなりの頻度で矛盾を引き起こす。例えば「田中君、私の足返してよ」と怒るとかおじいちゃんを子ども扱いするとか。昨日は「14日だったから今日は13日か」など
5,変な質問をしてくる「田中君ってさ、なんで腕が二本しかないの?」とか「田中君、なんでお腹に耳がないの?」とか。