「もし、あのとき…」という人生の”分岐点”の数々
選ぶ道を変えて進んだ先が 無数のパラレルワールドとして広がっている
そんな「思想」を信じたときもあった
ただ最近は 数えきれないif…の向こう側が
この”私” から”独立して”
存在しているようには思えない
静まった湖面に 小石を落とす様に
現在を思う自分が いま 何を選択するかが
ここに実現しない 仮定の世界のすべてを
刹那の間に 塗り替えているという
そんな ”侘しさ”のような感覚に落ちている
自分のことにしても
これまであまりに散漫な注意しか 向けてこなかった為
平行世界の中の たった一つの自分に過ぎなかろうと
全くどうでも良かったのである
それがふと 自分が人間であったことを思い出し
真剣に
過去の迷いや、そのとき見ていた
多様な”価値”の比較衡量を いまさらのように取り出して
「たとえ今の自分でも」
「同じことを」
「しただろう」と
思うに至る
その選択が ここにある望ましくない現在の
すべての発端であったとしても
責めることも 憎み切ることも出来ない
他ならぬ”自分”であったのだと思う
「誰より自分が信用ならない」ということは
経験より学んでいるが 本当に
ここに至って尚 苦笑してしまうほどやるせなく
人生の紐解きを 続けている
その意味は「いつも」 重かったのだ