幼少期に、国をまたがる"移住"をしたために
言語感覚と感情に、いくらかの隔たりがある。
自分にとって日本語は、極めて理性的な言語で
ものごとを説明したり、考えたりするための道具、の向きが強い。
反面、「どう思うか」、「どう感じるか」など
個人的な感想や希望を尋ねられると、すこぶる言葉につまってしまう。
相手から求められている答えを推測、判断し、返すことで
その場をしのいでいるが、内心汲々としている。
どうにも頭の回路が違うのである。
日本語でごく自然に、個人的な話ができない悩み。
出てこない言葉と、何かの計算ばかりしている頭。
ほとほとそんな自分にうんざりした挙句、
「書く」という中間領域を見出した。
私にとっては、日本語を「書く」ことが、「話す」代わりか
それ以上の手段なのかもと、改めて思う。