繰り返しになるが、このアメリカの「単独主義」というものはアメリカが、「現在のところ圧倒的な力をもっているから」という理由のみに発するものではないのである。その正義の普遍性と「無私」の存在としての国際的な主体として、国連とアメリカは対等の存在だ、という発想がアメリカ人の中にはあるのである。これを言い換えると、アメリカは今後、徐々に自らの力の低下を自覚するようになったとき、いわゆる「多国間主義」に向かうよりも、むしろ孤立主義に回帰するだろうということが、このことから予言できるということでもある。
そして、さらにアメリカの力がいかに低下して、またアメリカがどんなに孤立主義に陥っても、「世界はアメリカであり、アメリカは世界である」という、その文明の本能はつねに確固たるものであることを知っておくべきだろう。言い換えれば、それがなくなったときはアメリカという国が地上に存在しなくなるときでもある。
こうして見ていくと、アメリカが西へ西へと進出してゆくときも、つねに「普遍を世界に広げる」という意識(かつて開拓され始めた西部の諸州を順次連邦に加盟させていったように、いわば「国連加盟国を増やしているのだ」という意識)が強くあった。そして、そこに「アメリカの正義」はこの世界の統合へと向かう発展のダイナミズムが証明している、という発想が生まれてくる。
新しいフロンティアで人口が増えるとそれを州に格上げし(いわば新興の独立国を国連に加盟させることとアナロジーにとらえて)、正式に連邦の一州にする。アメリカという国は、そうしたことを百数十年間やってきた。ここに、国際連盟も国際連合もいずれもアメリカ人がつくったということの一層深い意味がある。それは、自国の歴史経験を世界にあてはめようとする、その臆面もない‘‘独善``を導き、その正当性をアメリカ人に確信させるのは、「神の御意思により」つねに動き続け発展し続けているこのアメリカのダイナミズムへの揺るぎない信頼だったのである。
___(中西輝政『アメリカ外交の魂』)