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AならばB

Aを(ソクラテスは死んだ)としてBを(π>3)だと定義した時、AならばBという命題は真だろうか。答えは真である。なぜなら(ソクラテスは死んだ)という事実と(π>3)という事実はともに真であるからAならばBは成立する。このときAとBにいかなる因果性があるかどうかには関わらない。ということはAならばBを否定するときにA(π<3)ならばB(ソクラテスは死んだ)という条件とA(π<3)ならばB(ソクラテスは生きている)という条件のどちらをとってもそれは偽であるということがわかる。ここで否定というのは(π<3)がどのように(ソクラテスは生きている)に対して間違っているかどうかにはやはり無関係である。そしてAならばBの条件において(π>3)が「ありえないとき」にはそもそもソクラテスの生死にかかわらず「ならば」は成立しない。
(日本の憲法の正当性に問題がある)と(日本の憲法は改正されるべきである)という点に関してAならばBを当てはめることは可能である。ただしA(日本の憲法の正当性に問題がある)がB(日本の憲法を改正すべきである)に対して因果的な関係を持っているかどうかはAならばB命題の真偽に関係しているのではない。そしてかつそれの否定がAの否定に関係しているのでもない。この場合のAならばBの否定とは(日本の憲法が改正されるべきではない)ことは(日本の憲法の正当性に問題がないことにはならない)でなければならない。そして(日本の憲法が改正される)ことが正当性の意味でありえないのなら日本の憲法の正当性に対して改正は「ならば」としては成立しない。それゆえ(日本の憲法の改正に反対する)ことが(日本の憲法の正当性を問題にしない)という意味で利用される場合にのみAならばBは成り立つ。これは(改憲の勢力に劣悪な人間が多い)と何も矛盾しないが(憲法改正に反対する勢力が正しい)という命題では矛盾が生じる。なぜなら勢力が何であるかはAならばBの条件と無関係だからである。
たとえば勢力の名を利用した次の文章を考えよう。(日本でファシズムを支持している人間は憲法の正当性を問題にする)。これはAならばBの条件に当てはまる。ただし(日本でファシズムを支持している人間)は(憲法の正当性を問題にする)ということが因果関係において意味が成立する必然性はない。もし(憲法の正当性を問題にする)ことが因果関係に関わるのなら(ファシズムを支持するか否かに関わらず)、(憲法の正当化を問うこと)には因果関係があるのでなければならない。その場合ファシズムを否定することは憲法に正当性があるかどうかには関係がないということになる。ここでファシズムを支持していて憲法改正を望んでいる人間がいることはこれらの条件と何も矛盾しないしそれを否定しても何も変わらない。変わる場合があるのは(ファシズムを支持していて憲法改正を望んでいる人間)は(憲法の正当性を問題にするのにファシズムを否定する)条件においてであり、この否定は(憲法の正当性を問題にする人間)は(ファシズムを支持するかどうかにかかわらず憲法改正を憲法の正当化を問う手段としては使わない)でなければならない。

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