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オッズ当て配当ゲームの信念統計確率

 見込み損失の最小化あるいは見込み収益の最大化というオッズの付く投資とオッズの付かない投資を比較したとき、オッズの付く投資の方が「信念の割合としての期待値」は高くなるということ。そこから信念の割合によって投資の基準率を定めるという誤った帰納が生まれる。なぜなら明らかにオッズが付かない外れは引かない方が賢明だからである。ここで確率の見込み収益に対する期待値の信用の確実性がなければ、そのようなオッズが付けられる投資に実質的な利潤を期待できないという条件は無視できるものとする。なぜなら学習効率と投資との間に見込み収益としての比較が適用できる一意性が存在しないからである。だから逆に基礎的な投資の信念とは学問研究の参照クラスに対応した信念確率の客観性の履歴だという誤謬推理が定立する。この参照クラスから「外れた」基礎投資はすべて見込み収益の最大化の信念を有すると仮定される。しかし参照クラスの行動パターンが確率で表現される場合、その確率とは行動の基準値がクラス間の閾値の情報的パーセンテージで表記される集合であり、その信念の統計的な離散性を示しているわけではないので、確定行動の優先度の多数性を想定するエラー検出の否定行動が多数決を意味する少数派の否認衝動に置き換えられることで信念の割合に対する符号を一致させ、それが因果的であるかどうかを結果から判断するという種別性になる。ここで内容の質の劣化が少数派の排除と結び付けられることで反対派の意見を抑え込んでいるのだという錯覚を生じさせつつ学問の基礎づけの内容を投資の見込み収益に対する信念として流用させ続ける配置を維持できる。なぜなら技術記憶の評価の失敗を個人的な妨害の記憶の信念として扱うことに共通の尺度を設けられないという仮定で統計に対する不正がないという合意を生み出しつつ技術的集計に関する共有前提の仕組みを固有の信念の帰属にすることで利潤に対する差異化を保存するからである。
 意訳するとプラットフォームの合意形成とは信念同士の相互性ではなく技術的な使用条件が双方的であるかどうかで決まり、そのことで下がる見込み収益とは情報の共有性に対する教育の参照クラスの期待なのである。このことはプラットフォームが大量の情報を扱えるという性格と大量の教育に対する信念を意図的に付与できるという帰属の分離をもたらすのにそれを見込み収益で表す方法がないから大数の法則の統計をユーザー視線の選考という基準に置き換えて集計の含意を順位のリターンに関する投資の外れくじの排除だという風に抽象して参照クラスの価値を教育の質であるかのように復元するということである。それは単なる制度的不公正を守ろうとする行動だからアーキテクチャの方針を信頼性として確立することがユーザーの評価に対する統計のフィルタリングの論理を共有することになる。ただそれはフィルタリングが経営方針から歪められることがまったくないという意味ではない。だからフィルタリングに関する政治的表現は正当化の「度合い」が説話論的に因果関係だと説明される法的根拠の信念の崩壊具合で測定される。

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