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【書き込み用】リレー小説「ムーンフォレスト ――赤の国の章 世界の再生(仮)」

リレー小説、始めます!
ここは物語書き込み専用の近況ノートです。
よって、物語以外の書き込みは削除します。

■リレー小説の進め方

①書き込み方
「第〇話 名前」と書いてから、物語を書きこんでください。
*書き込みがあったら、すぐに「ムーンフォレスト」https://kakuyomu.jp/works/16817330665501426594に投稿します。
訂正したいことは、投稿したもののコメント欄にお書きください。

②自分の書き込みが終わったら、次の方の近況ノートに「次お願いします」とお知らせください。
*書く順序
  1.つくもせんぺいさんhttps://kakuyomu.jp/users/tukumo-senpei
  2.モリイさんhttps://kakuyomu.jp/users/moriikunosusi
  3.西しまこhttps://kakuyomu.jp/users/nishi-shima
  4.結音さんhttps://kakuyomu.jp/users/midsummer-violet
  5.綴さんhttps://kakuyomu.jp/users/HOO-MII
  6.十六夜 水明さんhttps://kakuyomu.jp/users/chinoki
  7.あまくにみかさんhttps://kakuyomu.jp/users/amamika
  8.UDさんhttps://kakuyomu.jp/users/UdAsato
  9.月森乙さんhttps://kakuyomu.jp/users/Tsukimorioto
 10.KKモントレイユさんhttps://kakuyomu.jp/users/kkworld1983

③3日をめどにして書いてください。でも、「もう少し待ってください」もありです!(【語らう場】https://kakuyomu.jp/users/nishi-shima/news/16817330669766575382にコメントくださいね。)
*ただ、リレー小説を書いている間は毎日ログインして、物語がどのように進んでいるか確認してくださいね(出来るだけ)。

④文字数は1000字~2000字程度(あくまでも目安です)。

⑤一人称視点でも三人称視点でもいいことにします(前回意外にうまくいきました!)。
*一人称視点=心情が分かる 
*三人称視点=俯瞰的な視点で物語を進める

⑥3周で物語を終わらせましょう!

⑦伝えたいことなどは【語らう場】https://kakuyomu.jp/users/nishi-shima/news/16817330669766575382に書き込みください。

⑧一番大切なのは、楽しんで書くことです! お互い思いやりを持って書きましょう!!



■物語設定

前回は「はじまりの章 ――ムーンフォレストを継ぐもの」としました。
今回は「赤の国の章 ――世界の再生」(仮)とします。
サブタイトルは途中で変更するかもしれません。

①主人公:クレタ
②舞台:クレタが赤の国に戻ったところから。つまり赤の国が主のお話にします。

*つくもせんぺいさん!! 始まり、よろしくお願いします!!


*****共通認識*****

リレー小説「ムーンフォレスト」
https://kakuyomu.jp/works/16817330665501426594

◎スピンオフ
「白き月うたう~記憶のカケラ~」結音(Yuine)さん
https://kakuyomu.jp/works/16817330666954289950

「ムーンフォレストのすべての国へ ~ 『黒の国』の記録(アズール・フィン)」
KKモントレイユさん
https://kakuyomu.jp/works/16817330667092272881

「青き心のハレー」つくもせんぺいさん
https://kakuyomu.jp/works/16817330667137321395


◎つくもせんぺいさんがまとめてくださった、設定
(つくもさん、ありがとうございます!!!)

ムーンフォレスト設定部屋~登場人物編~
https://kakuyomu.jp/users/tukumo-senpei/news/16817330668489879082

ムーンフォレスト設定部屋~世界・物品編~
https://kakuyomu.jp/users/tukumo-senpei/news/16817330668508298881

ムーンフォレスト設定部屋~伝承編~
https://kakuyomu.jp/users/tukumo-senpei/news/16817330668508470968

ムーンフォレスト設定部屋~スピンオフ編~
https://kakuyomu.jp/users/tukumo-senpei/news/16817330668577060961


◎KKモントレイユさんによる地図など(ありがとうございます!!)
https://kakuyomu.jp/users/kkworld1983/news/16817330666972893855


27件のコメント

  • 二章 第一話 つくもせんぺい




     確かなことは二つある。

     一つは、ムーンフォレストの王となったあの日。愛は光となって降り注ぎ、世界を癒し……平和と共存をもたらしたということ。
     もう一つは、そこに至るまで逃げてきた八年間はなくならない。そして、短くないってことだ。

    「ねぇクレタ、愛はどんな風に広がっていると思う?」
    「やぁルナイ、また来てくれたんだね。そうだなぁ、傷ついたムーンフォレストがあっという間に復活したんだ。きっとすごい速さなんじゃないかな?」

     ムーンフォレストでの一件で、オレは赤の国とムーンフォレストの王となり、その日からたまにルナイが夢に遊びに来る。
     ルナイが現れる夢の光景は、決まってあの日みんなが集った神殿の入り口。ひときわ大きな木の根元だった。

     あれから集った王たちは、困難があればお互い協力することを約束し別れた。
     ルーナジェーナも、ムーンフォレストの守護と消えた母上の痕跡を探すと言ってくれて、森に残っている。

    「そっか。ねぇクレタ、キミが立ち上がるまでに時間が必要だったように、愛の癒しと成長にも時間が必要なんだ。愛が染みわたり、満たされるまで……何があっても僕はキミの味方だよ」
    「……ルナイ?」
    「失くしたものが多くても、いまこうやってまた話せてる。忘れないでね」

     何を言いたいの?
     そうオレが疑問を投げかける前に、ルナイは眩い光に包まれ、夢は終わった。



     木の葉の囁きも、虫の歌も聴こえない。
     夢に現れる森よりも静かな城の中。

     赤の国に戻ってまだ少しの日数。
     目覚めの孤独感を一層感じるのは、王という言葉にまだ抵抗があるからかも知れない。思わずため息が漏れる。

    「おはようございマス。あれ? もしかして泣いているのデスカ?」
    「まさか」

     ベッドから出るよりも前に、アルテミスがカシャカシャと音を立ててオレの頭まで這い上がって来た。心地よい重みと、無機質な声が届く。
     戦いで傷ついたアルテミスは、時間とともに治癒していた。言葉も流暢になったど、独特のカタさが少し残っている。「これが本来の性能デス」と、得意気だったから言わないけど。

    「なら支度をしてくだサイ。もうお疲れもとれたでしょうシ、今日から国を回るのデス!」
    「分かってるよ。……アルテミスは、森に残らなくて良かったのか?」
    「ワタシを遠ざけようナンテ、そうはいきまセン。ワタシはクレタさまの観測機、お目付け役なのデス」

     前足を上げて胸でも張ろうとしたのか、アルテミスがオレの頭の上でバランスを取ろうと残りの足にぎゅっと力を込めたのが伝わってくる。
     そういう意味で言ったんじゃないけど、オレはその指摘を飲み込む。
     変わらず側に居てくれること、その態度が嬉しい。

    「じゃあ行こうか、アルテミス」
    「ハイ、クレタさま。あ、顔を洗って、朝食を済ませてからデスヨ」
    「わかってるよ、もう子供じゃないんだから。アルテミス、母上みたいだ」
    「ふふふ」

     オレがムーンフォレストの宿命から逃げ、母上が自身を封印してから経過した長い期間。赤の国は、多くの民と臣下によって支えられていたとアルテミスは教えてくれた。その時間が決して短くはないとも。

     失ってきた信頼と、これまでの感謝を。

     オレがもたらせる愛を、これから世界に拡げていかないといけない。
     まずは、赤の国からだ。

     
     


     
  • 2章 第2話モリイ

    朝食と顔洗いを済ませてからオレはアルテミスと共に広場へと歩き続けた
    「クレタさま、後もう少しで広場デスヨ…あの月に向かって歩き続けるのデス」
    「ありがとうアルテミス」僕は前を向いて言った

    それから数十分歩き続けると広場の旗が見え始めてきた。

    「あれデス。クレタさま」
    「着いたね。意外とすぐだったよ」
    門がオレの目の前に待ち構えていて、石で作られた道が門の先に広がっていた。
    どうやらここが赤の国の広場なのだろう。

    この広場を一見しただけでも他の国よりも文明が発達していることが感じられた。

    その時奥の方から赤の国の王が演説をしている声が聞こえてきた
    「赤は革命。何事も保守的な考え方は捨て、この赤の国は新しい事に特化していこうではないか‼︎」
    その時国の民は歓声を上げた

    「凄い…」オレは咄嗟に呟いた
    数分ほどで演説は終わり、僕は国へ感謝を伝えに広場の真ん中へと立った
    これまでの時間の感謝をやっと伝える時が来たのだ。
    「クレタさま、今までの感謝を伝えるのデス」
    「うん、分かっているよアルテメス」

    オレはこれまでムーンフォレストの宿命から逃げてきたんだ。
    失ってきた信頼と感謝をこの世界に広げて行くのだ

    「これまでの間、僕がムーンフォレストの宿命から逃げてきた。この時間…」
    オレは続けた
    「ありがとうございました」涙と共に出た言葉はそれだけだった。
    オレはこの感謝の伝え方が緊張のあまりなにも言葉が出てこなかった

    広場はあっという間に静まり返った。
    僕はこんなものではダメだと思い、話を続けた。


  • 2章 第3話 西しまこ

    〈しっかりして、クレタ‼ 赤の国王はあなたなのよ!〉

     なおも話し始めようとしたとき、頭の中に声が降って来た。
     この声は、ルーナジェーナ?
     どうして?
    〈五色の王の剣の誓いがなされたから、心の回廊が繫がったのよ。そしてわたしも、本来の力を取り戻したの〉
     本来の力?
    〈それぞれの色の王には、特有の力があるのよ。黒の国王の力の一端を、あなたも見たはずよ。青の国王は水見の力、黄の国王は古の力が使える。ドラゴンを召喚していたでしょう? そしてわたし、白の王は他と通じる力を持つ――つまり今は、クレタ、あなたと心の回廊を繋げている。そして、時間に干渉してほんの少し時間を止めているわ。さっきあなたが話し始めたところから。――五色の王の剣の誓いを思い出して!〉

     ルーナジェーナのつよい声が心の深いところに刺さった、
     そして、アルテミスが歌った。実に流暢に。

     はじまりは白
     目の醒める黄
     希望の赤に
     美しき黒、月の影
     青は何者、何になろうか

     アルテミスの歌が、クレタの靄を晴らした。そしてクレタは、あの感動的な五色の王の剣の誓いをはっきりと思い出していた。

     ムーンフォレストを統べる主《あるじ》となるものを見届けるために、ムーンフォレストに各国の王が終結した。そしてムーンフォレストの化身であるルナイが現れ、五色の王たちは剣の誓いをし、ムーンフォレストは蘇り愛《めぐみ》がもたらされたのだ。
     ――そうだ。
     あのとき誓ったではないか。
     世界の統一と発展を。
     そして平和で豊かな世界を。
     どうして抜け落ちてしまったのだろう?

    〈ムーンフォレストに長く居過ぎたせいね。記憶や能力が欠落した状態で、ムーンフォレストの巨大な力を当たり前にその身に受けていたから。ムーンフォレストを出てその力が及ばないところへ来て、障り《《・・》》が出たのね。……でも、もう大丈夫よ〉
     ありがとう、ルーナジェーナ。
    〈そしてクレタ。失われていたムーンフォレストの記憶も蘇るはずよ。乗り越えていくべき試練も〉
     ああ、ほんとうだ。ムーンフォレストの記憶が、身体中に満ちてくる感じがする。そしてオレ自身の宿命も。
    〈……ルナイとは夢で繋がっているんでしょう?〉
     ああ。
    〈わたしたちの繫がりは消えないわ、クレタ。遠くにいても、いつも思っている。さあ、赤の王にしてムーンフォレストの主《あるじ》よ、為すべきことをしなさい!〉

     オレは再び、広場の真ん中の壇上へと向かった。
     みなの視線がオレに突き刺さる。
     さきほど、「赤の国王」と思った人物を見る――兄上だ。母が違う、一つ年上の異母兄。
    「兄上。……カルロ兄さん」
     赤い髪に金色の瞳の人物がオレを見る。
    「お前は誰だ?」
    「クレタだよ」
    「――我が弟、クレタは死んだのだ。それにクレタは、濃紺の髪に夜蒼の瞳をしていた。お前のような金色の髪ではない」
    「覚醒したんだ」
    〈力を見せてあげて〉
     ルーナジェーナの声が脳内に響いた。
     オレの力。
     記憶とともに、封印されていた能力。

     オレは目を閉じて意識を集中した。
     そして、広場にあたたかい、でも燃えない小さな炎をいくつも出した。その炎は優しくきらめき、まるで小さな太陽のように広場中を巡り、人々の顔を明るく照らし出した。
     その炎を媒介にして、オレは言う。

    「オレはクレタ・オルランド。先代の赤の国王ダーリオ・オルランドと、先代ムーンフォレストの主《あるじ》ダイアナ・オルランドの長子にして、現ムーンフォレストの主《あるじ》である」

    炎の力を伴って、オレの声は広場にいる人々の心の奥底まで届いた。

    「そして、オレが正統なる赤の国王だ。炎の力を持つことが、その証《あかし》だ!」

     小さな太陽のような炎は、きらめく尾を引きながら、ぐるぐると美しく回った。その様を見た人々からは驚きと歓びの声が上がった。

    「赤の国王の炎! なんて美しい! 素晴らしい‼」
    「これぞ、正統なる赤の国王の証《あかし》! 炎の力‼」
    「なんって、きれい! 気持ちがあたたかくなるわ」
    「初めて見たよ、炎の舞いを」
    「これほどの炎の力……癒される……!」

     炎は人々の心の奥底に届き癒し乾きを満たし、そしてムーンフォレストの愛《めぐみ》の光をも届けた。

    「長い間、不在にして申し訳なかった。そして、その間、この国を治めてくれた者たちに深く感謝する! しかし、オレは還ってきた。ムーンフォレストに力を取り戻し、五色の王たちと剣の誓いを果たし、世界に愛《めぐみ》の光を降らせ、オレは帰って来たのだ、祖国赤の国に!」

     広場に割れんばかりの歓声が響き渡る。

    「ムーンフォレストの主《あるじ》にして、赤の国王たるクレタが約束をする。赤の国王の証《あかし》である炎の力でもって、この国を発展させ、豊かで平和なものにすることを!」

     広場の向こうに、青くきらめく海が見えた。
     赤の国は、広く湾となって海に面していて、森だけではなく海からの恩恵もあった。そして、暖流の影響で国土は暖かく住みやすい気候で、人々の気質はとても明るく陽気なものだった。
     彼らの笑顔を守りたい、と心から思った。
     そのためには、様々な試練を乗り越えていかなくてはいけない。そして己の宿命をも。

    「城に戻ろう、兄上」
     一つ年上の異母兄は苦虫を嚙み潰したような顔をしていた。
     ……そうだろう。
     まさか、オレが戻ってくるとは思っていなかったはずだ。……父上も。
     八年前、オレを襲った黒い心の闇がまた蘇った。
     ルーナジェーナ! そしてルナイ。それから、スファレ、アズール、ミカエル。
     剣の誓いを思い出す。
     
     負けない。
     オレは、絶望しない。
     母上――オレは、だいじょうぶだ。

    「クレタさま、ご立派でしタ」
     アルテミスがオレの肩によじ登って来て、言った。
     オレには他の王たちとの繫がりがある。ルーナジェーナとは心の回廊が繫がっているらしいし、ルナイとは夢で繋がっている。そして、相変わらずしゃべり方が独特なアルテミスがいる。今は、アルテミスの独特のカタさが愛おしい。
    「城に行きまショウ、クレタさま」
    「うん、アルテミス。失われた八年を取り戻そう」
     

     オレはアルテミスに向かって微笑むと、顔を上げ、広場に集まった人々に向かって力強い声で言った。
    「城へ! 王の帰還である」
  • 2章 第4話   結音(Yuine)


     城に着くと、奇妙な音が近づいてきた。

    「おかえりなさい。お兄さま!」
     弾けるような声。

     その視線がオレの顔を捉えると、息をのんだ。
    「……!!!」
     赤みがかった茶色の髪の少女の顔が驚きに染まる。
    「あなたは、だれ?」

    「おジョウさん。あなたこそ、ダレですか」
     アルテミスが、少女に問う。
     
    「すまない。自分から名乗るべきだな。オレは、クレタ。クレタ・オルランドだ。
     先代の赤の国の王ダーリオ・オルランドと。先代ムーンフォレストの主《あるじ》ダイアナ・オルランドの長子にして、現ムーンフォレストの主《あるじ》である。
     そして、オレが正統なる赤の国王だ」

     先程、広場で述べたと同じ台詞《セリフ》を口にする。
     二度目だと、こうも すらすらと言えるものなのだな。
     アルテミスが、横で うんうんと頷いている。

    「どういうこと?」
     少女は、齢《よわい》10歳くらいであろうか。
     そのくるくると癖のついた髪を指に巻きながら、口を尖らせる。

    「王の帰還である!」
     しっかりと肺腑に吸い込んだ息を吐きながら、はっきりと宣誓する。
     そう、オレは正統なる赤の国王なのだ。堂々としていなくては。

     少女にようやく追いついたらしい側仕え達が、王の宣誓に驚いて、視線を向ける。そして、更に驚いた顔をして、頭《こうべ》を垂れる。
     まるで、信じられないものでも見たかのような表情だ。

    「クレタ様。よくぞ、ご無事で……」
    「クレタ様。まさに、ダイアナさまに生き写しのお姿……」
     宣誓の声につられて、あちこちの扉から、人が現れる。

    「おかえりなさいませ、クレタ様。」
     執事とおぼしき初老の男性が歓迎の意を表する。
     一方で、
    「何事ですの?!」
     ヒステリックな女性の声が、正面の階段から降ってきた。
     洋扇で顔を隠し、コルセットで締め上げた体躯《からだ》に乗せたドレスを大きる揺らしながら。
     手指には大ぶりの石が指輪となってくっ付いている。
     少女とよく似た赤みがかった茶色の髪が縦に巻かれて、跳ねる。

    「エレナ様、こちらは、あなたの異母兄《おにい》さまですよ」
     揺れるドレスに目もくれず、執事は少女に説明する。

    「エレナには、お兄さまが、ふたりいるの?」
     
    「そうです」と答える執事の声に、
    「いいえ! カルロだけよ!」と、縦巻きロールの金切り声が重なる。
    「カルロは、どこ?!」
     ヒールの音がわざとらしい。

    「カルロさんなら、カメリアの花をもった女性と……」と、告げようとすると、
    アルテミスが「お久しぶりデス。フィオレさん」と、前に出て、その機械の腕でオレの口を遮った。


  • 2章 第5話  綴


    「アルテミス、貴方まだいたの?」
     アルテミスに声をかけられたフィオレはドレスの裾をわざとらしく整えながら、ふんっと鼻を鳴らす。突然の出来事に動揺して苛々を隠せないようだ。 

    「ハイ、フィオレさん。ワタクシはクレタ様のお目付け役なのデスから」
     アルテミスはカシャカシャと音を立てながら、オレの肩に登りフィオレにわざとらしく会釈をして見せる。その姿を見たフィオレの表情は歪み、眉間に皺を寄せる。


    「おかえりなさいませ、クレタ様! 随分とご立派なお姿になられて……」
     執事とおぼしき初老の男性が、その瞳にうっすらと涙を浮かべながらオレに声をかけてきた。白髪混じりの髭は綺麗に整えられ、目尻には小さな皺と見覚えのあるホクロがある。 

    「……んと……」
     失った記憶の糸を懸命に辿ると、幼い頃の景色が頭に浮かんできた。


    『クレタ様なら、きっと大丈夫です』
     まだ小さかったオレのシャツの襟を直しながら、優しく笑みを浮かべる男性の目尻にホクロがあった。



     そして目の前に立つ初老の男性と姿が重なる。
    「……バート? バートなの?」
    「クレタ様! 思い出してくださったのですね! やはり正統なる赤の国王として戻って来られると信じてお待ちしておりました。それにアルテミスも!」
    「あぁ、バート! オレは戻って来たんだ」

     アルテミスは嬉しそうにカシャカシャと俺の頭の上に移動する。

    「ねぇ、やっぱりクレタもエレナのお兄さまなの?」
     エレナは髪の毛を指に巻き付けたまま、もう一度聞き返してくる。クリクリとした瞳でオレとバートを交互に見つめている。

    「エレナ、貴方のお兄様はカルロだけよ! そろそろお部屋に戻りなさい! ピアノのレッスンのお時間ですよ」
    「はい、お母様……」
     エレナは側仕え達に寄り添われて部屋へと戻って行った。


    「私は認めないわ! 赤の国の国王はカルロよ! これまでカルロがこの国を守ってきたのだから! あなたに赤の国を守る力なんてあるはずがないもの! カルロは一体どこにいるのよ!」
     フィオレは相変わらずヒステリックな声を出し、コツコツとわざとらしくヒールの音を立てながら落ち着きなく歩き回っている。

    「義母様《ははうえさま》、長い間留守にして申し訳ございませんでした。不在中にこの国を守って頂いたカルロ兄さんや義母様《ははうえさま》、赤の国の全ての民にも感謝をしています。クレタ・オルランド、ムーンフォレストの主《あるじ》となり、赤の国の国王として戻って参りました」
    「クレタ、今さら何を言ってるの! 赤の国の国王はカルロよ! エレナの兄はカルロだけ! バート、早く城から追い出してちょうだい!」

     フィオレの背後にある窓の外には城の庭が広がっている。美しく整えられて、赤の国を象徴するかのように赤い花が咲いている。
     そこにカルロスらしき男性がカメリアの花を持った女性と戯れている姿が視界にはいった。


    「何事だ! 騒がしいぞ!」
     そこにいた皆が声の主の方に振り返り会釈をしている。車椅子に座った男性がこちらに向かってくると、皆が一歩後ろへ下がり道を開けた。
     赤い髪は綺麗に整えられ金色の瞳が窓から降り注いでくる光に照らされる。


    「ダーリオ様、クレタ様が赤の国王となり、ムーンフォレストの主《あるじ》としての記憶を取り戻されたのです」
     バートが車椅子の前に跪き、そう告げるとダーリオの視線はクレタに向けられた。金色の瞳がギラリと光る。


    「お前は……、なぜここに戻って来れたのだ! 赤の国王はカルロだ! ムーンフォレストの主《あるじ》だと? 何を言っている?」
     

     その声を聞いた瞬間、オレの頭の中に途切れ途切れの映像が浮かんで来る。冷たくギラリと光る金色の瞳と、同じように赤色の髪に金色の瞳をした少年の姿がある。
     そしてオレの視界が少しずつ暗くなっていく……。

    ーーーそうだ! あの日、オレはまだ赤の国王だったダーリオ《ちちうえ》様とカルロ兄さんに呼ばれたのだ。
  • 2章 第6話  十六夜 水明


    ▣8年前▣

     僕が、父上とカルロ兄さんに呼ばれたのは、ずんと重い日の光を通さない雲で覆われた午後。薄暗い父上の執務室だった。

    「……父上、ただいま参りました。なに用でしょうか?」

     僕は恐る恐る、少し声を上ずらせながら声を発したんだ。何でも、僕がここに呼ばれることなんて今までで1度もなかったから。

    「よく来たな、クレタ。今日は、お前の母について話がある」
    「っ?! 母上ですか! 母上の居場所が分かったのですか?」

     そう。1年前、母上は姿を消した。ずっと今までで一緒にいてくれたのに。守ってくれたのに。突然いなくなってしまったのだ。

    「まぁ、そう興奮するでない」
    「そうだよ、クレタ。そんなに急がなくても、義母上様とは《《直ぐに》》会えるよ」

     聞いているのは、2人の優しげな言葉のはずなのに嫌な違和感がある。
     なんて言えば良いのだろうか、黒い靄がかかっているみたいだ。

    「それで、それで母上何処に!」

     でも、今はそんなことを考えている暇はない。一刻も早く母上に会いたいんだ。
     それ一心に父上に問うと、勿体ぶったようにその口は開かれた。

    「お前の母はな、
     ────『ムーンフォレスト』にいる」

    「?! ムーン……フォレスト?」
     聞き覚えのない土地の名前に、僕は混乱した。そして、その単語を聞いた直後に父上を中心に先ほどまで感じていた黒い靄が一層濃くなった感じがした。
     目を凝らすと可視出来る程のそれは、執務室一帯を包み込んでいる。
     異常なまでもの瘴気を体で感じた。

    「あぁ、クレタは知らないんだね。ムーンフォレストは、赤の国と面した大きな森の事だよ。なんでも1度入ったら出てくるのが難しいと聞くよ」

     そしてカルロ兄さんからも父上とは、また違う黒い靄が発生しているように見えた。


     そして、聞こえたのだ。
    『あんな森に母親《ダイアナ》がいるわけなかろう』
    『クレタは単純で楽だなぁ。優しく言えばコロっと騙されてくれるんだもん。これで《《邪魔な》》クレタがいなくなってくれる』

     これが、嘘か本当か分からない。でも、今まで軽蔑してきた2人の態度がガラッと変わったのを考えると嘘と考えるのが普通だろう。

    『人は、嘘をつくと体から黒い煙を出すんだよ』
     昔、母上が言っていた気がする。その時も、父上から黒い靄が出てたっけ。

     そこからは、もう抑えが効かなかった。
     こんな人達といたら、それこそ自分までもがその瘴気に毒されてしまいそうだ。

    「──嘘だ」

    「なに? クレタ」
    「何か言いたい事があるのならば言ってみろ」

     ここまで、しらばっくれている姿を見ると笑いが自然と零れてくる。そんなこと、1ミリも思ってないくせに。

    「何で嘘をつくの? って聞いたんだよ。父上、カルロ兄さん。母上がムーンフォレストにいるって嘘でしょ」
    「何を言っているのだ、クレタ。そんなわけなかろう」
    「そうだよ。何で父上と僕が君に嘘をつく必要があるんだい? 1年間ずっと母上様を探してきたと言うのに」

     隠されるというのは《《気持ちが悪い》》。思っているなら、ちゃんとぶつけて欲しい。中途半端が一番良くないと、僕は感じた。
     なにが『探していた』だ。名目上こそ、母上を探すというものだったが、実際は他国への軍事演習だったはずだ。

    「探していたのも嘘でしょ、最初から探す気なんて無かったくせに。父上たカルロ兄さんは、僕が邪魔だったんでしょ」

     瞬間、父上とカルロ兄さんは、先程までの薄っぺらい笑みを無かったもののように目尻を吊り上げた。金の目がギラギラと光って、凄く怖い顔だ。

     これが人の本性か。
     そう思わされる顔だ。

    「あぁ、そうだよクレタ。お前がいなければ僕は皆から構ってもらえたのに! お前のせいで、力の強い母を持つお前のせいで僕は……!」
    「カルロ、もういい。どうせ|クレタ《こいつ》は居なくなる。そうすれば、皆お前の事を見てくれる。比べられずに済むのだ」

    「カ……ルロ兄さん?!」

     そんな事、知らなかった。僕とカルロ兄さんが比べられていたことも、待遇が違かった事も。みんながみんな、僕達のことを同じように扱っていると思っていた。

    「クレタ。お前は、その《《力》》が無ければもう少し長生きできたのに。あんな母を持ったせいで、本当に可愛そうだ」
    「母上は悪くない!」
    「いいや、悪い!! そもそも、王族に嫁ぐのに同色系統の赤で無いのが悪いのだ。あの家は、白の国だけでない。あの青の国の血も引いているのだ。そして、お前もだクレタ。本当に穢らわしい!」
    「それの何が悪い! 母上が悪い事ではない!」
    「ええい、煩い! お前の母は死んだのだ! 諦めろ!」
    「そんなわけない! 母上は生きている!」

     怒りに任して、僕は父上に掴みかかった。
     否、掴みかかろうとした瞬間。見張りをしていた兵に引き離された。それも強引に。

    「ふざけるな! 母上は死んでいない!」
     捕らえられてもなお僕は叫んだ。
     手足を縛られ、目隠しをされても。そして縄の猿轡をされても。

    「ん゛──。ん゛────!!」

     そんな中、耳に入ってきたのは父上の優越感に浸った笑い声だった。

    「安心しろ、直ぐにお前も母の所へ行ける」

     そこで僕は意識を失った。



     あれから、どれだけ経っただろうか。

     暗い場所だ。何も見えない。手足が動かない。

     さっきのは、夢だったのかな。
     母上は死んでないし、カルロ兄さんと待遇が違っただなんて信じられない。

     もし本当の事なら、これ程までに最悪なことなどないだろう。絶対に嘘だ。
     父上とカルロ兄さんのあの黒い靄は、なんだったんだ? それに、青の国と白の国って?

     何も分かんないよ。
     もう、何も。

     全て消えてしまえばいい。
     僕と母上だけを残して。
     僕は、母上はいれば十分だ。
     母上、どこにいるの? どこへ行ってしまったの? 寂しいよ。寂しいよ。

     あぁ、母上ももういないのかな。会えないのかな。
     嫌だよ。嫌だ嫌だ嫌だ――――。

     もう、こんなの嫌だ!
     
     そこで、僕は目を覚ました。ここはどこだろう。どうやら、森の中らしい。あの鉛色の空を見ると、まだ今日であることが分かる。

     ゆっくりと立ち上がると、10|m《メートル》ほど先に馬車が、その隣に父上とカルロ兄さんがいた。
     やはり、夢ではなかったのだ。あの悪夢は、現実だったのだ。

    「父上、カルロ兄さん……!!」

     握った拳に爪が食い込む。痛い、痛いけどそれ以上に胸が痛い。ポタポタと生温かい何かが手から垂れる。

    「クレタ、お前は殺さない。だが、このままなら、勝手に死ぬだろう。だが、運が良ければ生き延びるだろう。それもまた一興。まぁ、どうせこの森に喰われるだろうがな」
    「そうだよ、クレタ。戻って来なくていいよ。そうすれば、ちゃんと僕が王になれるからね」

     そう言って、2人は僕を見下し、笑いながら馬車に乗り込んでいく。その目は、勝利を確信した悪者のようにも見えた。

    「待って──!」
     手を伸ばしても、全力で走っても、僕の手は馬車に届かない。僕を《《捨てた》》2人には届かない。今もなお、酷いことをしてきたあの2人に助けを求めるのは正直、自分に腹が立つ。
     でも、やはり父親なんだ、兄なんだ。それは変わりようのない事実なんだ。

    「ッうわ!!??」

    ────バタン。

     転んでしまった。両膝からは、血がダラダラと流れている。

     顔を上げると、そこにはもう馬車は跡形もなく走り去っていた。


     あぁ、僕は捨てられてんだな。

     僕、死ぬんだ。
     もう、疲れたよ。母上。本当にどこに行ってしまったの?

     神様にも母上にも、それに父上やカルロ兄さんに見捨てられた僕は、これからどうしたらいいの?

    「取り敢えず、歩かなきゃ……」
     もし、母上が生きていたら会えるかもしれない。そして、会えたら言ってもらうんだ。

     頑張ったね。って。

     自然と涙が溢れてきた。涙は手の平に落ちて溜まる。そして、溢《こぼ》れていった。
     まるで、これまでの思い出が消えていくように。


     そこから、どれだけ歩いたかは分からない。ただ歩いたんだ。何か大きな力に、それこそこの森に導かれるままに。


     広い泉がある場所に出た。もう夜になってしまっている。
     昼間、あれ程に空を覆っていた鉛色の雲は晴れ、金に優しく輝く月がこちらを見ていた。

     そんな中、乾いた喉を潤すために星月が映る泉の水に血が止まった手を付ける。爛々と輝く星月とは正反対に僕の心は未だに曇りだ、いや嵐だな。

     そんな皮肉めいた事を思いながら、水を口に運ぶ。星空が映った水を口に運ぶ。

     そして、口に流し込む。
     まるで『星』を飲むように。

    「君、こんな所でなにやってるの?」

     暫くの間、必死に水を飲んでいると後方から声を掛けられた。

    「……え?」

    「ああ、アズール様。なにやってるんでるか!」
     僕が、驚いて後ろを振り向くと青い髪の少年と青年が立っていた。


    ──これが、僕とアズール、そしてハレーとの出会い。

     そこから、僕は色々な事を見聞きして8年間ハレーやアズールと共に過ごしたのだ。
  • 2章 第7話 あまくに みか


     鈍い痛みを感じて、オレはこめかみを押さえた。

    「思い出しましたよ、父上……」

     低い声が出た。記憶の底にある、寒々しくて、ねっとりと暗い場所から這がってきた声。
     ダーリオの表情が一瞬引き攣ったのをオレは見逃さなかった。

     このまま掴みかかってやってもいい。
     父とカルロ兄さんがオレを陥れたことを、この場で暴露してやってもいい。そうすれば誰もが「《《可哀想》》なクレタ様が、英雄となって帰ってきた!」と、御伽話の英雄のようにオレを担いでくれるだろう。

     ——だが。
     それは違うと思った。オレが、今やるべきことはそんなちっぽけな復讐ではない。

     ゆっくりと目を閉じる。まぶたの裏には、ムーンフォレストの光景が見えた。大地を潤し緑を萌えさす愛《めぐみ》の光。繋がっている。ムーンフォレストの主として、オレは愛を届けたい。

     例え、愛されていなくとも。そこに、大きな溝があろうとも。歩み寄ることを、諦めたくない。

     ——だって、オレは。

    「オレはムーンフォレストの主であり、赤の国の王だ」

     目を開いて父親を見つめた。
     ダーリオも、フィオレも、バートも。誰もが目を丸くしてオレを見ている。畏れと驚愕に満ちた表情で。

    「瞳に……! 炎を宿しておられる!」

     バートが叫んだ。

    「クレタ様こそ、赤の国の正統な王!」

     まず先にバートが片膝をついた。それに倣うようにして、ダーリオの側近や衛兵たちも一斉に片膝をついて忠誠を表した。
     動かなかったのは、ダーリオとフィオレだけであった。

    「おいおい。お前ら、騙されるな」

     風がさっと吹いた。真っ赤な花弁が、一枚、また一枚と城の中に入り込んでくる。

     振り向くと、開け放った窓からカルロが顔を出していた。手にはカメリアの花があり、乱暴に花弁を引き千切っては投げ捨てている。


    「突然帰ってきて、炎を見せつけ、オレは偉いから跪けだと? ふざけるな! こいつは民を裏切ったんだ!」

     カルロが投げつけたカメリアの花が、オレの頬に当たった。
     

    「こいつが王座から逃げ続けた八年間、誰がこの国を守った? バート、言ってみろ!」

     目を剥いてカルロは叫ぶ。名指しされたバートは、オレを見てから申し訳なさそうに目を伏せ、声を震わせた。

    「……カルロ様でございます」

    「皆、こいつの魔術に騙されるな! 力があるならば、本当にこいつが赤の国の王ならば、天災から意図も簡単に民を守れたはずだろう? なのに、こいつはそれをしなかった!」

     カルロの言葉に、先程まで忠誠を表していた者たちが、よろよろと気まずそうに立ち上がり始めた。

     その時。
     オレは「声」を聞いた。その場に満ちていく、声なき声。
     隙間から煙が入り込んで、やがて充満していくように、その「声」たちは大きくなってオレに襲いかかる。


    『カルロ様の言う通りだ』
    『騙されるところだった』
    『力があるなら、あの時どうして守ってくれなかった』
    『私たちはずっと、耐えてきたのに』
    『守ってくれなかった』
    『信じられない』

    『この男は、信用できない!』


    「ま、待ってくれ! オレは——!」
    「裏切り者を捕まえろ! 赤の王、カルロが命じる!」

     衛兵たちがオレを捕まえようと手を伸ばした。

    「クレタさま!」

     アルテミスがオレの前に立ちはだかった。

     ポップーン!

     場違いな可愛らしい音と共に、ピンク色の甘い香りのする煙幕が立ち昇る。

    「一旦、退却デス!」
    「色々突っ込みたいことあるけど、助かった! アルテミス」

     オレは床に落ちていたカメリアの花を拾い上げると、窓の外からわめいているカルロの顔めがけて投げつけた。

    「ぎゃふん!」

     カルロが情けない声をあげて倒れる。カメリアの花が顔のど真ん中に命中した。

    「これで昔のこと、ちゃらにしてやるから、兄さん!」

     窓とカルロを飛び越えて、オレは庭へ潜り込む。
     走りながら振り返ると、大の字に倒れているカルロの姿が目に入った。小さな花が当たった程度で倒れてしまったカルロの姿がおかしくって、笑みがこぼれた。

    「アルテミス、オレがいなかった間、この国に何があったか知らなくちゃいけない」

     赤い花園を走り抜けながら、オレは空を見上げた。太陽は少し傾いて、黄金色をしている。青空の端が、夜に染まろうとしていた。

     その景色は、オレをひどく奮い立たせてくれた。
     繋がっている。
     オレは、独りじゃない。

    「オレは、もう絶望しない!」

    「ハイ、クレタさま。とても、素敵なお言葉ですケド。どこに逃げるつもりデスカ?」

     尋ねられてオレは困った。オレがいた頃と城の様子は変わっているように思えた。塀を越えるには高すぎる。城の中に入れば、衛兵がいる。

    「どうしたものか……」

    「異母兄《おにい》さま、こちらへ」

     茂みから声がして、オレは立ち止まる。金色の大きな瞳がこちらを見ているのに気がついて、一瞬カルロかと思い、ドキリとした。

    「エレナ?」
    「こっち、ついて来て!」

     ドレスを翻して少女は茂みの中を走り抜ける。慣れているのだろうか、足取りは迷うことなく庭を駆け抜けていく。

    「ここよ、飛び込んで!」

     赤い花の群生に向かって少女は身を投げる。地面に体が叩きつけられると思いきや、少女の体はするりとその場から消え失せた。

    「え?」

     困惑するオレの遥か後方で「探せ!」とカルロのわめく声が聞こえてくる。

    「クレタさま、突っ込メー!」

     アルテミスがオレの背中を押した。抗議する暇もなく、オレの体は赤い花に包まれる。そのまま、地面の中にオレは落ちた。

    「痛ッ!」
    「クレタさまは、よく穴に落ちますネ」

     遅れて安全に降りて来たアルテミスは、オレの頭に着地する。見上げれば、花々が覆い被さり天井となっている。

    「驚いた? ここ秘密基地なの」

     癖のついた赤茶色の髪をなびかせて、少女は自慢気に言った。

    「エレナ、だよね?」
     
     尋ねると少女はお腹を抱えて笑いだした。

    「ぶぶー。ハズレ! あたしはセレナ。エレナとは双子なの!」
    「ああ、どうりで……似ていると思った」

     オレは頭を抱えてその場に座り込む。

    「エレナは優等生だけど、あたしはぜーんぜん。ピアノなんて退屈しちゃう。そんなことより、異母兄さまの方が刺激的! ね、ワイン飲む?」

     セレナはオレの前にあぐらをかくと、どこから出してきたのか、ワインを差し出した。

    「だめだめ。子どもが酒を飲むなんて」

     ワインを取り上げると、セレナは手を叩いて笑い出す。

    「ウソだよ! それ、ただのいちご水!」

     オレはため息をついて、両肩を下げる。妹というのは、こういう悪戯をするものなのだろうか。

    「ね、あたし退屈は嫌いなの。クレタ兄さまは、あたしを退屈にさせないよね?」

    「どうして欲しいんだ?」

     尋ねると、セレナは金色の瞳を大きく見開いて顔を近づけてきた。

    「カルロ兄さまより先に、あの海の化け物をやっつけてみせてよ」
  • 2章 第8話 UD

    「海の化け物だって?」
     思わず一歩下がってセレナの大きな金色の瞳を見つめ直す。

    「そう。カルロお兄さまもあの海の化け物には手を焼いているわ」
    「ちょっ、待ってくれ。セレナ、今は僕が帰って来たことによる混乱を」
    「だからよ! 今の赤の国の混乱を治めるには先に海の化け物をやっつけて異母兄さまの力が赤の国に必要なんだって示せばいいのよ」
    「うーん。それはそうかも知れないけど、だけどどうしてそれをオレに?」
    「だから言ってるでしょう、私はエレナとは違う。私は退屈が嫌いなの。だから、ね」

     どうやらセレナには何か想いがあるようだ。
     クレタはずっと見つめてくる妹を前に大きくため息をつくと
    「はぁ。わかった。で、海の化け物の話を聞かせてくれる? なんの情報もなけりゃ倒すにも倒せないよ」
     セレナは唇を突き出して、不満そうに答える。
    「異母兄さま、おぼえてないの?! 森の力が弱まると海の力が強まる。ただの昔話だと思ってたのに、本当に海から化け物が現れたのよ!」
     オレは苦笑して、いちご水を手に取り、セレナに渡す。

     セレナはいちご水を一気に飲み干すと、赤みがかった瞳をこちらに向けて、海の化け物について語り始めた。

    「異母兄さま、森から戻られてムーンフォレストの王となられたのですよね? 伝承がどこまで本当なのかはわからないけれど白・黄・赤・黒・青の前に始まりがありましたよね?」
    「始まり? はじまりの白の事? この地に降り立った一族の長はこの地の若者と恋に落ち、天には戻らず、この森に根を下ろしこの森の王となった、だね」
    「その前の事です。伝承では、はじめに混沌ありけり、です。光が生まれる前の混沌」
     セレナは立ち上がると、いちご水が入っていた瓶を窓にかざし、海の化け物はその混沌です、と口早に言った。

     海の化け物、それは混沌から生まれしもの。
     セレナの言葉の意味をオレは必死に考える。

     白い一族の前に現れた混沌とは何だ? 伝承では、黒は影、黒の国は存在し森の大切な仲間となったはずだ。

    「ふふふ。異母兄さま、まだ話は終わっていませんよ。混沌の黒は月の裏側の黒とは別のものです。ムーンフォレストに白き光が落ちる前、この地は混沌に包まれていたのでしょう?」
     セレナはオレの前に顔を寄せると、ニッコリと笑う。

    「南の海には黒の国に集まれなかった、いえ、集まらなかった混沌が今もいるんです。だから、森の力が弱まると海の力が強まる。八年ものあいだ森の力が弱まっていたのです。海の化け物は、月が満ち、欠けるごとに力を増し、赤の国に厄災をもたらしてきました。黄・青の国も厄災をもたらしてきましたが彼らには王がいました。でも、もう限界なのです。ムーンフォレストの主の力がなければ海の化け物は倒せません」

     ——この海の化け物を倒してみせたら、民はオレを認めてくれるだろうか。

     考えるオレをセレナの瞳が見つめて、その小さな口が言葉を紡ぐ。

     はじめに混沌ありけり。
     月の雫が落ちて、混沌に光生まれたり。
     混沌は生命の源。影は光。両者は同じものなり。
     光は色をつくり出せり。
     月の雫は白くまばゆい月長石―ムーンストーン―となりて
     森―ムーンフォレスト―の礎となりぬ。
     そは、はじまりの白とぞなりにける。
     白から、黄が生まれ赤が生まれ黒が生まれ、青が生まれたり。
     白の一族は、森ムーンフォレストの王となりて、その後番人とぞなる。
     森―ムーンフォレスト―の主は各々の国の王族から森―ムーンフォレスト―が選びしものを。

     始まりの白、広がりの黄、統一の赤、深淵の黒、繫がりの青。

     異なる種が重なり合うことで、美しき光、何色にも見える光が生まれ出づることを識しれるためなり。
     はじまりの白、目がさめる黄、希望の赤、月のうらがわの影の色の黒、なんにでもなれる水の青。
     五つが混ざり合い溶け合い、手を取り合えば、大地を潤し緑を萌えさす愛めぐみの光もたらされん──

     セレナは語り終えるとこちらに振り返る。

    「セレナ、君はいったい?」
    「ふふっ。言ったでしょう? あたし退屈は嫌いなの。赤の国の王として、ムーンフォレストの主として、海の化け物を倒して。異母兄さまなら、きっとできるはず」

     セレナの思惑はよくわからないが、オレには力がある。
     赤の国、いや、ムーンフォレストが危機に瀕しているのならばなおさらだ。

     赤の国の王として民に、王族に認められることも大事だけど、それよりもムーンフォレストの主として大切なことがあるはずだ。
  • 第2章 第9話 月森乙

     それは今、この小さな妹に大切なことを教えること。

     オレは小さく首を横に振った。

    「オレには、できないよ」

     すると今まで楽しそうな光が浮かんでいたセレナの瞳に怒りの色がにじんだ。

    「……どうして⁉ 王になりたいんでしょう⁉ みんなに認められたいんでしょう⁉ だったら……」
    「いいかい、セレナ」

     オレは、セレナの瞳をのぞきこんだ。セレナは口を閉じたけれど、怒りは消えない。

    「退屈が嫌いだからとか、自分の名声が欲しいからとか、海にいる者が自分と違うからとか、そんな理由で誰かを攻撃してはいけないんだ」
    「でも」

     怒っていたはずのセレナの瞳の色が、落胆と悲しみに変わっていくのを感じていた。

    「いくら海にいる者たちが混沌だからといって、こちらに何か困ることがなければ、むやみやたらに攻撃するなんて間違ってる。そんなことをしたらさらに大きな力で仕返しをしてくる。結局仕返しの応酬になって国は疲弊する。実際、今、カルロは王としてこの国を八年間もおさめた。そのおかげで……」
    「わかったような口きかないでよ! なんにも知らないくせに!」

     セレナは、いやいやをするように激しく首を横に振った。その瞳は涙にぬれ、幾筋もの涙が頬を伝って落ちた。

    「カルロ兄さまたちが今までどうやって海の化け物を抑えて来たか知ってるの⁉ あの人たちはね、半年に一度あの化け物にお供え物をすることでこちらに厄災をもたらさないようにお願いしてきたの。最初は小鳥一羽だった。それが次第に小動物になり、野生の大きな動物になり、そして、家畜へと変わった。そして今回、あいつらはもっと大きなものを、と言い出した。今のまま生贄を差し出すだけでは足りない、もっとこの国と絆を強めることのできる何かがほしい、と」

     セレナの言葉に、信じたくないことを想像した。それが本当でないことを祈りながら、彼女の口の動きを追った。

    「純潔の乙女を差し出せと」

     やはり、という思いと、どうして、という思いが交錯する。

    「それも、普通の国民じゃダメ。もっと強いつながりを築くためには王族から一人寄こせ。……そしてこの国には純潔の王女が二人いる」
    「まさか……」

     セレナはこくりとうなずいた。

    「お義兄さまだってご存じのはずよ。この国で、双子はあまり縁起のいいものではないと思われていること。それが王族ならなおさらよ。そして、あの人たちがかわいがっているのはエレナ。……わかる? お義兄さま。わたしたちは同じなの。あなたはお母さまの力が強いせいで、そしてわたしはエレナと同じ時期に生まれてしまった子供だというせいで、忌み嫌われている」
    「まさか、カルロたちは本気で……?」

     セレナは頬を震わせた。

    「あの人たちに、国を治めるほどの器量も力もない。そんなの混沌たちはお見通しよ。その化身である海の化け物はずば抜けてその能力を見抜くのがうまいのよ。当たり前よね。人ならざるものなんだから。表情や甘い言葉や嘘の行動に騙されたりなんかしない。だからこそ、赤の国は自分たちが治めるべきだと思っている。それがふさわしいと思っている。でもカルロたちはそんなことに気づいてない。今回あたしを差し出せば、厄災が起こるどころか、あの混沌を味方につけて、ほかの国よりもさらに大きな力を持てると信じてる。……そんなこと、あるわけないのに!」

     セレナは涙にぬれた顔を上げた。

    「お義兄さま。どうか、あたしを救って。あたしと、この国の国民をカルロ兄さまと海の化け物から救ってほしいの。そしてそれができるのはお義兄しかいない。あたしはそう、信じてる」
  • 第2章 第10話 KKモントレイユ

     オレは怒りが込み上げた。
     オレは赤の国の王であり、ムーンフォレストの主《あるじ》でもある。国のために何が最善か考えることは大切だ。
     しかし、その前にオレはセレナの兄だ。助けを求めている妹を救うことができなくて、何が国民を守るだ。
     薄っぺらい言葉を重ねて何もしない王など国民は求めていない。自分のためとか、王家のお家騒動ばかりに躍起《やっき》になっている王など国民は必要としていない。
     今は海の化け物に苦しんでいる人たちを救うのが王ではないか。目の前の災厄に苦しんでいる人たちが見えていなくて誰の王だ。苦しんでいる国民を一刻も早く救わなくてはならない。
     オレがセレナを守れるか、全国民が見ている。

    「セレナ、必ず君を守る。化け物のことを知らなければならない。オレに協力してくれる信頼できる者を集めたい」
     そこへバートがやって来た。
    「クレタ様、お手伝いさせて頂きます。このバートが信頼できる者を急ぎ集めます」
    「ありがとう。バート」
    「クレタさま、こちらへ」
     バートが二人を案内する。城の中は敵に攻められたときのために、いろいろな抜け道やここに住んでいる者でも知らない部屋がたくさんあった。
     たどり着いた部屋の扉を開けると数人の側仕えがいた。
    「ここは?」
    「ここはカルロ様やフィオレ様も知らない部屋です」
     石壁の部屋で城のどの辺りなのか分からないが窓から城外の景色が見える。
     礼拝堂のようにも見えるこの部屋は城内の者からも見つかりにくい構造になっているらしい。

    「クレタさま、ここはかつて、ダイアナ様に仕えていた者たちが控えていた部屋でございます」
     バートが天井を指差した。
     天井を見上げたクレタは、今までの不安が一瞬で消え去った。
    「母上」
     そこには美しいダイアナの肖像画が描かれていた。クレタの瞳に涙が浮かんだ。
    「ここには今もダイアナ様にお世話になった者たちが集まっています。あなたの味方です」
    「バート、ありがとう」
    「必要なものは私たちに申しつけください」
    「情報、情報が欲しい。化け物の情報。そして、信頼できる強い仲間……」

     その時、バン! と扉が開いて一人の少女が入ってきた。誰だ……一瞬、全員に緊張が走った。
     月光のような長い髪と夜のあおを集めたような瞳。白いドレスに身を包んだ少女が現れた。
    「君はルーナジェーナ、どうやって、ここに」
     セレナもバートも信じられないという表情だった。
    「お久し振り。お困りのようだから。心の回廊がつながっているの」
    「でも、どうやって誰にも見つからず」
     ルーナジェーナは人差し指を立ててクレタの目の前でくるっと手を回した。すると、まるで周りの景色が歪むように旋回した。一瞬めまいを感じた。

     その時、バン! と扉が開いて一人の少女が入ってきた。誰だ……一瞬、全員が振り返った。
     月光のような長い髪と夜のあおを集めたような瞳。白いドレスに身を包んだ少女が現れた。
    「な、何をした!」
     クレタもバートも何が起こったか理解できなかった。セレナも目を丸くしている。
    「ほんの少し時間を操れるようになったみたい」

     アルテミスがくるくる回って喜んだ。
  • 第2章 第11話 つくもせんぺい


    「封印されていたチカラが、戻ってきたみたいですネ」

     ルーナジェーナはアルテミスに頷く。その瞳は、なぜだか少し涙で濡れているように見えた。

    「スゴイよ、ルーナジェーナ! 時間が操れるってことは、何があってもやり直せるってことでしょう?」

     オレはこのルーナジェーナのチカラで、目の前の困難を乗り越えられるように思え、気持ちが昂る。
     でも、オレの言葉に彼女は驚いたように瞳を丸くし、そして少し寂しそうに変化した。

    「クレタ? ……それは違うわ」

     ルーナジェーナはゆっくりと俯き、否定する。
     オレと、彼女自身にも言い聞かせるように言葉を続けた。

    「月明かりの時間にだけ、物語一ページ分の僅《わず》かな時間にはさめる栞《しおり》。……今のわたしに出来ることは、それだけ」
    「……どういうこと?」
    「時間を操るって、際限なくやり直せることじゃないの。今みたいな数秒、出来て数分」

     はぐらかしているような、戒めているような、静かな声音。
     彼女は部屋の花瓶から一輪手に取り、花びらを千切って、時間を戻す。何度か繰り返すと、花びらは戻らず床に落ちた。
     
    「ほら。強くなったクレタが今も思い悩むように、わたしの能力も万能じゃないの」
    「それでも! 誰かが傷つき倒れた時、助けらてあげられるじゃないか」
    「目の前なら、ね。この力があったって、わたしはダイアナ様が苦しんだあの時には戻れない。あの時は何もできなかった……今なら何かできるかもって、そう思うのに」
    「ルーナジェーナ……」

     再会を喜んだルーナジェーナの笑顔は、もう陰ってしまっていた。
     部屋に居る誰もが、雰囲気に呑まれ口を開けずにいた。
     ある一人を除いて。

    「……辛気臭いデス」

     まぁ、人じゃないんだけど。
     オレの頭によじ登り、アルテミスはガチャガチャと音を立てながら部屋に居るみんなをぐるっと見回し、言葉を続ける。

    「ルーナジェーナ、今は再会を喜ぶべき時デス。顔を上げて。そしてクレタサマ、あなたはお説教デス」

     と、グリグリと頭を足で締めつけるアルテミス。
     痛みが走り、何がしたいのかと振り払い文句を言うと、テーブルに着地してアルテミスは造り物らしからぬため息を吐いた。

    「クレタサマ、成されるべきことを決められたのですか?」
    「それは……」

     無機質な指摘に言葉が詰まる。
     海の化物をどうするのか、カルロ達をどうするのか。そもそも、オレが赤の王になるべきなのかも、自分の中で確固たる意志はない。
     アルテミスは呆れたようにカチャカチャと前足をあげて見せた。

    「仕方のない人ですね」

     でも、そう口にした声音は、なんだか上機嫌に聞こえる。

    「皆サマ、少しこのアルテミスとクレタ様に時間を下サイ。ルーナジェーナ、ワタシとクレタ様をルナイ様の元へ」
    「……分かった」
    「二人とも、何を言っているんだよ?」
    「クレタ様、では、おやすみなさい」

     刹那、アルテミスからジェットの音がして、オレの眼前に迫っていた。





    「いてて……うわ!」

     目を開けると、女の子がオレをのぞき込んでいた。
     慌てて起き上がると、上も下も分からないまっ白な空間。オレの姿と、女の子の姿だけ、くっきりと形づくられている。

    「落ち着いてください、クレタサマ」
    「その口調……アルテミス!?」
    「ふふ、正解デス」

     アルテミスと思しき女の子は、オレが見たことがない不思議な格好をしている。子どもの頃に異国の物語で読んだ、着物に似ていた。空間に溶けるくらいにまっ白で、なんだか近寄りがたい澄んだ空気を纏《まと》っている。

    「ここは?」
    「クレタ様がルナイ様と繋がっている精神世界……に行くつもりだったのですが、少々ワタシとルーナジェーナのチカラが足りずに、ワタシ達だけ夢で繋がったようですね」
    「夢って、まっ白じゃん。それに、急にぶつかってきて痛かったし」
    「だって……あの時、眠かったですか?」
    「全然」
    「ならワタシの機転に感謝してくださいね。ワタシもエネルギー消費で休眠するから、良い判断でした」

     暢気に笑うアルテミス。初めて出会う彼女の人としての姿は……見た目は全然違うけれど、なんというか。

    「あんまりいつものアルテミスと変わらないね?」
    「失礼ですネ、こっちの方がカワイイ女の子ですよ?」
    「うん、そういうとこ」

     アルテミスの調子につられて笑う。なんだか、久しぶりにこんなに穏やかな気持ちで過ごすような気がした。
     そんなオレに、アルテミスは優しく問いかける。

    「これからのことが話したかったんです」
    「……わかってる」

     ゆっくりと、でもしっかりと頷いた。二人でまっ白な空間に腰かける。

    「海の混沌たる化物、怖いですか?」
    「そうだね、怖い。でも生贄なんて許しちゃいけない。そこに迷いはないよ」
    「さすが、お兄様ですものね。では、カルロ……様のこと、憎いですか?」
    「陥《おとしい》れたこと、怒ってはいる。でも、憎いとは……違うかな、悔しい。オレが逃げた時間に、アイツ等が国のためにしたことは確かだ。赤の国は発展し、民は日々を過ごしている。本当にオレが今、力だけで無理矢理赤の王になることが正しいことなのか、まだ分からない」

     上手く言葉に出来ているかは分からない。けど、アルテミスは待ってくれていた。

    「あなたを殺そうとしたのに?」
    「国をめちゃくちゃにしたくて、オレを森に放り出したのなら簡単だったよ。でも違った。アイツ等が混沌に呑まれながら行ったことは、母上とオレのチカラを恐れたからであって、国を害するものじゃなかった」
    「本当にそう思いますか?」
    「だって国を治めるって、オレを憎んでいたとしても、どこかで国を好きじゃないとできないって思わない? オレはムーンフォレストに選ばれてからも、重圧に負けそう……実際に負けたし」
    「ふふふ、そうですね」

     いつものアルテミスでもたまに聞こえていた、柔らかな笑い声。
     人としての彼女には初めて会うけれど、同じなんだと実感する。

    「どうして笑うのさ?」
    「クレタ様はまだ覚醒されて間もなく、障りによって思い出されていないことも多いです。ですが、優しいところと少し臆病なところは……ずっと変わってないですね」

     アルテミスの姿は、オレよりも幼く見える。
     けれど、瞳の穏やかな光に感じる安心感は、きっと過ごしてきた時間の長さが生みだしたものだ。
     姿は違うけど、気づけばずっとそばに居てくれた。

    「お目付け役ではなく、アルテミスとしてお願いがあります」

     そんな彼女が、オレに望むこと。

    「《《優しいクレタ様》》。どんな選択をしてもいい。ただワタシは、胸を張って選び掴んだ未来を誇る、《《カッコイイクレタ様》》が見たいです」

     いつもふんわりとした言葉で、答えはくれない。
     でも彼女の願いが、オレの心に明かりを灯す。

    「カッコイイ……か。そういえば、二人で話すつもりだったんじゃないのか? なんでルナイが居るところに繋ごうとしたの?」
    「ああ、ルナイ様なら、お兄ちゃんのカッコイイところ見たい! 混沌なんか吹き飛ばしちゃえって……そう言って下さると思ったんです」
    「アハ、なんだよそれ。でも、そうかもね」

     オレとアルテミスは、顔を見合わせて笑った。
  • 2章 12話 モリイ

    (カッコいいクレタ様…か)
    __________

    その時、ぼんやりとしていた視界がはっきりとしてきた。
    「起きましたか、クレタ様」上の方からアテミスの声がした。

    「カルロともう一度話したい」アルテミスと話しているうちにオレがするべきことが何となくだか、はっきりとしてきた。

    たしかにカルロはオレを殺そうとした。だが、話し合わなければ海の化物を止める事は出来ないと思った。

    「え、成されるべき事はもうお決まりになられたのですか?」彼女は口を大きくして疑うかのように言う。

    「うん。カルロと一度話し合いたいんだ」オレの声が一つの迷いもなく石の壁に響き回った。

    「でも、まだ何も計画してないんだよなぁ…」オレは小さく呟いた。
    「クレタ様、計画性がナイ。相変わらずデスネ。」アルテミスは最初は驚いた顔をしたが、微笑みながら言った。

    「カルロとそう簡単に話せないと思いますよ…」ルーナジューナは顔を曇らせた。

    「計画はまだない。だけどカルロと話すことが必要で、それをしなければ何も始まらないと思うんだ」
  • 2章13話 西しまこ

    「カルロ兄さまと話せないわけ、ないじゃない! だって、カルロ兄さまはクレタ兄さまを捕まえようと、今も捜しているのよ。それに、お母さまが違っても、きょうだいよ! えいっ」

     セレナは明るくそう言うと、扉からクレタたちを押し出し、クレタたちは転げるように部屋から出た。
     すると、すぐにクレタたちの背後から声が聞こえ、同時に慌ただしい足音も聞こえた。カルロたちが駆けつけてきたのだ。
    「クレタっ! 見つけたぞ! ――あれ? エレナ……じゃなくて、セレナ?」
    「カルロ兄さん! えへへ」
     セレナはいちご水の入った瓶を片手に、いたずらが見つかった子のように笑い、続けて言った。

    「ね、カルロ兄さん。クレタ兄さんは裏切りものじゃないわよ? 海の化け物をやっつけてくれるって!」
    「何? あの化け物を?」
     カルロはクレタを一瞥し、「……王の間に行こう。話がしたい」と言った。


     王の間には、カルロとカルロの側近たち、そしてクレタ、セレナ、アルテミス、ルーナジェーナ、バートがいた。遠くからピアノの音が聞こえてくるので、エレナはピアノの練習をしているのだろう。

    「カルロ兄さん。八年前のこととか王位のこととか、それから八年間のこととか、言いたいことや聞きたいことはたくさんあるけれど、まず海の化け物について教えて欲しい。この赤の国を守るためにも、セレナのためにも。天災から民を守れたはずだ、というのは、海の化け物のことか?」

    「……海の化け物だけじゃないけどな。八年間、大変だったんだよ、クレタ。しかし、海の化け物のことがいま、一番大きな厄災であることは間違いがない」
     カルロがそう言うと、クレタの横でセレナが「そうよそうよー! あたし、供物《くもつ》になりたくないっ」といちご水を瓶から飲みながら言った。
    「……だいじな妹をほんとうに供物《くもつ》にするわけないだろう。でも、だから困っていたんだが」
     カルロは大きく溜め息をつきながら言った。

    「で、海の化け物とは、どのようなものなんだ?」とクレタが言うと、すかさずセレナが「すっごく大きくて、気持ち悪いんだよっ」と言った。いちご水がちょっとこぼれた。
    「……セレナ。いつの間に見に行ったんだ?」
     カルロが苦虫をつぶしたような顔をして言った。
    「えへへ。あたし、エレナがピアノやダンスの練習をしている間に冒険したり、禁断の書を読んだりしていたの。ないしょだけど、ムーンフォレストにもちょっと行ったことあるんだよ。だってあたし、退屈嫌いだもん!」
    「……セレナ……」

     カルロはこめかみに指をやり、眉間に皺を寄せた。それはそうだろう、姫の立場のものがあちこち危険と思われる場所に自由に行っていたのだから。ムーンフォレストと聞いて、ルーナジェーナはくすりと笑った。そして、クレタは、セレナがムーンフォレストのことやその伝承に詳しい理由が分かった、と思った。

    「あのね! 海の化け物はね、巨大イソギンチャクに脚がいっぱい生えたみたいな形なんだよ。赤黒い色で色も気持ち悪いの。うげーだよ。あたしはべろべろがいっぱい生えた口が一番気持ち悪いかなっ。それで、人間の武器は全然通用しないの」
    「その通りだ。――クレタ。都合のいいことを言っているのは分かっている。しかし、海の化け物を、その赤の王の力で退治して欲しい。それはこの国の民の願いでもある」

     カルロはまっすぐにクレタを見た。
     クレタは、カルロの言葉に嘘はないと思った。黒い靄は見えない。
     八年前の遺恨はある。
     しかし、今はまず赤の国を脅かしている海の化け物を退治したい、とクレタは思った。赤の王としてムーンフォレストの主《あるじ》として、そして何より兄として、それは為さねばならないことだと強く感じた。


    「森の力が弱まると、海の化け物が強くなる、とのことだったが、ムーンフォレストの力が蘇り愛《めぐみ》の光が降っても、まだ脅威なのか?」
     退治する意志を固め、クレタは言った。
    「ああ。かなり弱体化はした。しかし、一度ある大きさに育ってしまったものは、愛《めぐみ》の光だけでは死なないらしいんだ」
     カルロは溜め息をついた。
    「そうか。でも、愛《めぐみ》の光は効いたんだな?」

    「うん! あの光、よかったよー! 海の化け物、小さくなったし、脚も少なくなった!」
     セレナが横から口を挟んだ。相変わらずいちご水の瓶を持ったままである。
    「なるほど。武器は効かない、でも愛《めぐみ》の光は効く――ということは」
     クレタはそうつぶやき、ルーナジェーナとアルテミスの顔を見た。
    「ええ、きっと武力ではないもので浄化するのでしょう」
    「そのとおりデス、くれたサマ」
     二人はそれぞれ、答えた。
    「武力ではないもの? それはなんだ?」
     カルロがいかしそうに言う。
    「焼き尽くす炎ではなく、おそらく愛《めぐみ》の光のような――」


     クレタが話しかけたそのとき、扉が開いて、まっすぐな赤い髪の美しい女性が顔を出した。
    「カルロさま」
     その女性は、さきほどカメリアの花を持って、カルロと戯れていた女性だった。遠慮がちにカルロを呼んだ、その表情はとても愛らしかった。
    「リアーナ!」
     カルロは立ち上がって、リアーナと呼んだ女性のところに行った。カルロの表情はとてもやわらかく、クレタは驚いてその様子を見ていた。カルロがこんな表情《かお》をするなんて。

    「その女性は?」
    「私の婚約者だ」
     カルロの隣に座り、リアーナはにっこりと笑った。
    「あのねー、リアーナ、赤ちゃんいるんだよねっ!?」
     セレナはしれっと爆弾発言をして、「かんぱーい」といちご水を瓶から一人で飲んだ。
    「えっ!?」
     クレタが思わず驚いて声を発すると、「まあ、まだ秘密なのだよ。……ったく、セレナはどうして知っているんだか」とカルロが言った。

     クレタはリアーナのお腹をじっと見た。
     まだ平たいそのお腹が、なぜだか光っているような気がした。
    「そんなわけで、私も自分の子が生まれてくる国をほんとうに平和なものにしたいんだよ」
     カルロはそう言って、リアーナを抱き寄せた。
    「愛だねっ」とセレナは言い、にこにこと笑った。


    「カルロさま。生きたお供え物を必要とする、あの海の化け物、恐ろしいです……!」
    「リアーナ」
     クレタは寄り添い合う二人を眺めながら、カルロも八年前とは違うのだ、と思った。自分と同じように。

    「ねえねえ、クレタ兄さま! すぐに退治しに行こうよ、巨大イソギンチャク!」
    「セレナ。そうだね、すぐに退治したいよ。ただでも、仲間が欲しいな」
     クレタがそうつぶやいたとき、ルーナジェーナが言った。
    「だいじょうぶよ、クレタ。もうすぐアズールさまとハレーさまがいらっしゃるみたいだから」
    「え? ほんと?」
    「ええ」
     ルーナジェーナはにっこりと笑った。
    「アズールというのは、青の王の?」
     カルロが尋ねる。
    「そうだ」
     アズールとハレーがいるなら、心強い、とクレタは思った。
    「それに、ほら、これも」
     ルーナジェーナは樹の刻印が入った水袋を渡す。
    「これはもしかして」

    「そう、【はじまりの泉】の水です」
  • 第14話。 結音(Yuine)

     ルーナジェーナから渡された【始まりの泉】が入った革袋。その刻印に、クレタが触れようとした、

     その時、


     くすくすくす

     どこからか、笑い声が聞こえた。
     得体のしれない《《何か》》が、クレタを囲む。

    ――だれ?

     身構えるクレタ。


     くすくすくす

     灰色の靄《もや》が クレタを捕《つか》まえる。
     何も見えない。
     誰も、いない。


    ――ルナイ?

     まさか、そんなはずはない。

     ルナイなら、こんな邪悪な感じはしない。

     なんだろう、この悪意を纏《まと》った靄は。



     くすくすくす

    ――だれ? 誰なんだ!
     

     苦しい。

     靄がクレタを締め付ける。
     悪意がクレタを囚《とら》えて離さない。


    ――助けて。

      助けて。

      助けて!


     クレタの声にならない叫び声に、《《誰か》》の声が重なった。



    「――クレタ!」

     《《外》》から呼ぶ声がする。

     でも。まだ、《《ここ》》から出られない。


    ――アルテミス
      ルーナジェーナ

     頼りになる人の名を心のなかで唱えてみる。

    ――バート
      カルロ
      エレナ
      セレナ

     そう。
     セレナを、
     赤の国を救うと決めたのだ、
     だから。

     きゅっと唇を結んで、クレタは顔を上げる。

     アルテミスと約束したんだ。
     カッコいいクレタを見せるって。

     ヌメッとした《《何か》》が、クレタの頰をなぞる。


     笑い声の向こうから、

    『クレタ。おまえがムーン・フォレストの主《あるじ》だというのなら、その証《あかし》を見せてみよ』

     不気味な《《音》》が近付いてくる。

     それでも。
     クレタは、怯《ひる》まない。

    ――アズール
    ――ハレー

     心のなかで、友の名を確認する。


     ぴしゃり

     頬に水がかかって、先程のヌメヌメしたものが、落とされた。

     ぴしゃり

     今度は、クレタの体に水がかかって、
     クレタを捕らえていた靄が霧散した。

     最初の水は、ほのかにいちごの香りがした。

     次の水は、なんだか、懐かしい……


     すぅっと、
     クレタの視界を覆っていた靄が晴れると、

     目の前には、空っぽになったいちご水のビンを振りながら、いたずらっぽく微笑むセレナと、

     少し呆れ顔のアズールと、ハレーの姿があった。
    「まったくキミは……」と、ふたりの男の口からもれたのは、クレタへの親愛の情であり、優しい笑み。


    「クレタさま、ご無事デシたか?」
     アルテミスとバートが、クレタに駆け寄る。

    「化け物に魅入られたのなら、居場所を突き止めるのも簡単だな」
     足元に残るヌメヌメの欠片をつまみ上げるカルロ。

    「これを持っていけば、巨大イソギンチャクに会えるわ」
     空っぽになった いちご水のビンにヌメヌメの欠片を収めるセレナ。

     ルーナジェーナの表情は引きつって、固まった。

    「さぁ、行こうか」
     誰からともなく発せられた言葉に、付き従うクレタ。


     潮風に混じって、生臭いにおいが皆をかすめる。
     違和感に歩みを止めると、

    「きゃーーーーぁ!」
     つむじ風が《《彼女》》をさらっていくのが見えた。



  • 第二章 十五話  綴。


    「……やっぱり……」

     悲鳴がつむじ風と混ざりあって海の方へと消え去っていった後、悲痛な表情でルーナジェーナがため息混じりに呟いた。

     言葉を失ったクレタのその手には、しっかりと【はじまりの泉】の水が入った水袋が握られている。その顔や体は少しヌメヌメとした水に濡れ、金色の髪の毛からポタリと滴が落ちる。
     アルテミスの足元にカメリアの花びらが一枚残されていた。

    「リアーナ? リアーナ! どこに行ったんだ! リアーナ――――!」

     カルロのすぐ側にいたリアーナの姿が消えていた。カルロの顔は蒼白くなり、目が血走っている。

    「もしかして、さっきの悲鳴は!」

    「どうして? 次の供物《くもつ》は、あたしだったはず! ねぇ、どうして? どうしてリアーナが連れていかれちゃったの?」

     セレナはいちご水の瓶に入れたヌメヌメの欠片を眉間にシワを寄せながら見て、不思議そうな顔をしている。瓶を振るとヌメヌメがゆっくりと動き、生臭さと甘いいちご水の香りが混ざって広がる。

    「あぁー! 気持ちわるいっ! ねぇ、持ってて!」

     セレナはクレタにその瓶を渡した。

    「リアーナ! 俺の大事なリアーナ!」
     カルロの心は乱れ、赤い髪の毛を両手でぐしゃぐしゃにしながら膝から床に崩れ落ちた。
     アルテミスはクレタの頭の上に乗り、ヌメヌメが入っている瓶を覗きこんでいる。

    「もしかしたら、リアーナのお腹の中に赤ちゃんがいたからかもしれません」

     しばらく黙り込んでいたルーナジェーナがクレタを見ながら言った。
     その時クレタは、リアーナの平らなお腹が光っているような気がしたのを思い出していた。


    「……そんな……。リアーナとお腹の子供を供物《くもつ》として拐っていったというのか! そんなの、あんまりだ……」

     ガックリと肩を落として動かないままのカルロの前にクレタは歩いて行き、しゃがみこんだ。下を向いたままのカルロの肩に手を乗せて声をかける。

    「カルロ兄さん! 行こう! リアーナを助けに行くんだ!」

     クレタの夜蒼の瞳はしっかりとカルロの金色の瞳が写っている。前に進まなきゃ、ムーンフォレストの主《あるじ》でも、赤の国の王でもない! そう自分を奮い立たせて、カルロの肩に乗せた手に力を込める。

    「でも、どうやって?」
     クレタはカルロにこくりと頷いて見せた。

    「アズール! ハレー! 青の国の門はいつでも開いていたよね?」
    「もちろん!」

     アズールはすぐに返事をし、ハレーは大きく頷く。

    「急いで用意して欲しい物があるんだ! お願いできる?」
    「キミの頼みなら、急いで用意するよ!」

     アズールとハレーは笑顔で答えた。

    「カルロ兄さん、船はすぐに用意できますか? 出来るだけ大きな船を!」



    ────────

     いつもは穏やかでキラキラと輝いている海が大きくうねりをあげて荒れている。


    「くれぐれも気をつけて……」
     ルーナジェーナ、セレナやバートに見送られて海へと出発した。

     カルロは船が波にのまれないように、しっかりと舵をとる。

    「リアーナ! どうか無事でいてほしい!」
     何度も何度も心で願いながら。

     アズールは船の帆をしっかりと握り、両足を開いて立っている。
     ハレーはクレタに頼まれて持ってきた樹の刻印が押してある【水ゼリー】が入った袋をしっかりと両手に抱えて、荒波に揺れる船にしがみついている。

     クレタは【はじまりの泉】の水袋とヌメヌメの欠片が入った瓶を持ち、船の先頭に立ち波しぶきを受けながら前を向いている。潮風に弱いアルテミスは濡れない安全な場所を探して隠れている。

     やがて空が真っ黒な雲に覆われて、海は灰色に染まった。
     そしてまた、あの声がどこからともなく聞こえてくる。



     くすくすくす

     得たいの知れない《《何か》》が、今度は船を囲んでくる。


     くすくすくす

     悪意を纏った靄が大きな渦を巻きながら、船の周りをぐるぐると周り始めた。


     ざぶぁ───ん!
     大きな音とともに姿を表した!

    「来るぞ! アズール! ハレー! カルロ兄さん!」

     セレナが言ってた通りの、ぬめぬめとした大きな体にべろべろがいっぱいついた口をした物体。その口を開けて何か気持ちの悪い音を響かせている。

     ハレーは樹の刻印が押してある袋をアズールに渡した。

     クレタはギュッと目を閉じて、大きく深呼吸をした。


     ざぶぁ───ん!
     大きな音が船のすぐそばまで来ていた。
  • 第16話  十六夜 水明

    『くすくすくす──』

     またあの《《声》》だ。
     先程までの、遠くから聴こえるような感じはしないな。
     大波の比ではない、耳にへばりつくような声。
     不愉快極まりない《《音》》。
     あの海の化け物からの声ってことか。

     かなり遠くに見える、海の化け物を観察しながら、更に耳を澄ませた。

    『すくすくすく──』

     やっぱりだ。
     どこか、ルナイのような不思議な雰囲気を持っているような気がする。でも、何かが違う。
     ルナイは、光るような白い音なんだ。
     それに対して、これは全てを呑み込むような闇の音。
     色々なものを、集めて煮詰めたような……そう、混沌みたいな。

    「ねぇ、カルロ兄さん。なんか声、聴こえない?」

     これは、他の人にも聴こえているのだろうか。それにしては、誰も反応しない。

    「? いや、何も。お前は聴こえるのか?」
    「……うん。さっきも聴こえた嫌な声だよ」
    「そうか。また、化け物に魅入られたんじゃないだろうな」

     やはり聴こえないんだ。他の人には。オレにしか聴こえないんだ。

    「大丈夫。今のクレタからは、城でのような嫌な気配はないからね」
     だから安心して、と船の帆を器用に操りながらアズールはそう言った。
    「ありがとう、アズール。君にも声は聴こえないかい?」
    「……。うん、僕には何も聴こえないや。ただ、そこらじゅうに城で観たような黒い靄が立ち込めてるのは分かるよ」
     少し目を伏せ、考えたような素振りをし、アズールは答えた。

    「それも《《真》》の王の力……なのか?」
     オレとアズールの会話を横から聞いていたカルロ兄さんが、突然聞いて来た。 
     眉を潜めて、じっと俺を見てくる。
    「なんで?」
    「大したことはない。私には……いや、俺にはお前達のような力がこれっぽっちもない。だから、声も聴こえないし、黒い靄も見えない。改めて、お前達が選ばれた王なんだって思っただけだよ」

     少し自嘲気味に言う カルロ兄さんの姿に少し胸がチクッとした。なんでだろう。8年前の兄さんと重なる。

    「ッ、そんなこと───」
     そんなことない。その一言が出てこない。やはり、自分にとってあの出来事は忘れきれないんだ。

    「いいよ。俺に力が無いのは変えようのない事実だ。気にするな」

    「カルロ兄さん……」

     カルロ兄さんは、そう言ったきりオレに口を利いてくれない。
     オレが国を空けていた間、兄さんに何があったんだろう。全てが終わったら、話を聞けるだろうか。
     そもそも、オレにそれを聞く覚悟と権利があるのか? 8年間、ずっと居なかったオレが。

     そんなことを自問自答していると、
    「クレタ様、海の化け物が──!」
    「え?」
     思考をぐるぐると頭の中で巡らせているうちに、化け物が船に向かって迫って来る?!
     というのも束の間。海の化け物は、船の手前で進行を停止した。

     これだけ近いと、更にルヌルヌとべろべろが際立って見える。
     そんなことを真剣に考えていると、海の化け物の天辺に、ヒト型の何かがニョキッと生え、形作られる。

    『何をしに来たんだい? 無力な人間が』
     
     あの声だ。ずっと聴こえていたあの声。

    「なんだ?! あの化け物、喋るのか?」
    「ら、しいね……。なんか天辺に人がいないか? ヤバい、吐き気が……」
     どうやら、この声はみんなが聴こえるらしい。

    『人間がいくら群がったって、《《僕ら》》には勝てないのにね~。それなのに、たった4人なんて。バカなのかなぁ~?』
     声は、海の化け物からじゃない。化け物の天辺にいる人間から発せられるものだった。

    「お前は誰だ! リアーナを返せ!」
     何処にいる! 、とカルロ兄さんは化け物の天辺にいる人物に怒鳴った。

    『あ〜あ、怖い怖い。これだから人間は嫌いなんだよ』
     ピーチクパーチクうるさいからね、と冗談交じりに天辺の人物は笑った。
    「クソッ!」
    「カルロ兄さんは落ち着いて!」
     オレは、カルロ兄さんが船から乗り出そうとするのを必死に止めながら、海の化け物の天辺にいる人物を観察した。

    「え……」

     驚いた。声を失った。
     海の化け物の天辺には少年がいたのだ。
     ルナイと同じくらいの少年だ。顔立ちもルナイと似ている。でも、少しだけ大人びているかな。
     しかし、青紫銀の髪と夜蒼の瞳のルナイと比べて、彼の色は全てが違っていた。

     髪も瞳も、深淵のような黒だった。黒の国の《《あの黒》》ではなかった。あんな高貴なものじゃない。全ての色を混ぜるだけ混ぜてできたような光を反射しない黒。 
     混沌の声は、近づくと更に破壊力を増した。そこは一体が嵐に見舞われているようだ。

    「一旦、退こう! あまりにも危険だ」
     アズールは、コントロールが利かずばったばったと暴れる帆を動かないように抑えながら叫んだ。 

    「でもリアーナが!」
    「リアーナさんは生きているはずだ。見ただろう、あの化け物は動きが鈍い。リアーナさん達はまだ無事なはずだ!」
     カルロ兄さんは、リアーナさんのことがきがかりのようだ。オレがなんと言っても撤退することを拒んでくる。
    「でも!────」

    『その必要はないよ』
     その場にいた全員の頭にその声は響いた。
     鈴を転がしたような可愛げがあり、しかし凛とした声。

     ハレーがいる船尾の方から聴こえた。
     
     船尾に振り返ると、夢の中でよく見慣れている少年の姿があった。

    「ルナイ!」
    『やぁ、クレタ。久しぶり。』
     ルナイは、青紫銀の髪を荒れ狂う海風に流し、夜蒼の瞳には目の前の海の化け物を写し出している。

    「でも、どうしてここに? 森から出られないんじゃないの?」
    『クレタ達が危険だと思ってね。それに、ここにいられるのはハレーのお陰だよ』
    「ハレーが?」
    『そう、ハレーが【はじまりの泉】の水を持って来てくれていたから』
     だからハレーに感謝するんだよ、とオレ達にルナイは言い聞かせる。

     どうやら、森の1部がある場所へなら転移をして自由に行き来できるらしい。森から出られないとはいっても、抜け道があるんだな。

    「ねぇ、ルナイ。あの海の化け物の天辺にいるのって人?」
    『ん? どれど…………え?』
    「どうしたの?」
     化け物の天辺にいる少年の姿を見たルナイは、目を見開いて言葉を失っていた。

    『う、嘘だろ? まさか、リライ……?』

     リライ? リライって、誰のことだろうか? ルナイにとってとても大切な人物であることは、その反応で手に取るように分かる。

    『リライ……! ねぇ、リライなの? ねぇ!』
     
    「ルナイ、リライって──」
    『リライ! 聴こえてるの?』
     ルナイは、オレたちの事など眼中にないようだ。

    『ッはぁ~、煩いな。聴こえてるよ、ルナイ』
     リライと呼ばれた少年は、ルナイの事を見下すかのように、薄っぺらい笑みを顔に張り付けた。

    『今までどこにいたの? 森を飛び出して、どこを旅していたの? どうして《《そんな》》になっちゃったの?』 

     眉間に皺を寄せ、苦虫を噛み潰したように顔を歪めたルナイは、どこか納得がいっていないようだった。

    『どこにって……。そりゃ、ここだよ、ここ。あれから人間界をひと通り旅をしたんだ』
    『だからって、何故混沌に呑まれたの?』

     混沌。やっぱり混沌だったんだ。 あの不快感は。
     
    『俺は、呑まれたつもりはないよ。まぁ、ただ争いばかりを繰り返しす人間達にはうんざりという程、絶望させられたけどね』

    『それを呑まれてるって言うんだよ!』

    『違う、俺達は共存しているんだ!』

    『っ! リライ、まだ一体化が完全に済んでいない。まだ戻れるんだよ!』

     帰ってきて! とルナイが手を伸ばす。

     しかし、
    『煩いな! お前には関係ないんだよ!』

     しつこいルナイに苛立ちを覚えるリライは、腕をこちらに付き出す。

     次の瞬間……。

    「っ、うわぁ!」
    「ヤバい! 船が沈む!」

     先程以上の強風が、オレたちの船を襲った。

    「ルナイ!」

    『はぁ、なにを言っても、君は聞いてくれないんだね』

     ルナイは、両手を広げ目を閉じた。
     次第に、船の周りに白銀の繊維ようなものが円形に展開されていく。

     どうやら、バリアを張ってくれたようだ。

    『ふぅ、取り敢えず時間稼ぎは出来るかな。クレタ』
    「ッな、何?」

     体が強ばっているところに急に声をかけられて、一瞬反応に遅れた。どうしたんだろう?

    『リライ……あの少年について君たちには知っておいて欲しいんだ』

    「「「「あぁ」」」」

    『リライは、僕の片割れなんだよ。月が僕で、太陽がリライだったんだ。リライと僕、2人でムーンフォレストだったんだよ。リライは、僕が引きこもりなのと比べて旅好きでね。時々、色々な国を旅していたんだ。あの時は、僕と喧嘩して森を出ていっちゃってね、そう言えば、あの頃からムーンフォレストは少しづつおかしくなっていったんだっけ。あぁ、話が脱線したね、クレタにはやって欲しい事があるんだ。リライの中に入って、リライに何があったのか探って。君には人の心と自身を繋ぐ力があるはずだからね。そして残り3人はクレタを守って欲しい』

     いいね? という問い掛けに全員が真剣な面差しで頷く。

     人と自分を繋ぐ? 一体どうやったら……

    〈ルナイと繋がった時と同じよ!〉

     ル、ルーナジェーナ?!

     え、それって一体どうしたら……。

     
  • 第17話 あまくに みか


     ——森の声《こころ》を感じるんだ。

     ルナイと繋がった時、オレは声を聴こうとした。だから、今度も——。

    「みんな、ごめん。頼みがある」

     三人が神妙な表情で振り返った。オレはぎゅっと拳を握りしめる。

    「悪いけど、あの化け物に食べられてくれないか」

    「はあ?」とカルロ兄さん。
    「ちょ、クレタ様?」とハレー。

     あはは、と笑ったのはアズールだった。

    「服が汚れるのは、ちょっと嫌だなぁ」
    「アズール様! なに呑気なこと言っているんですか!」

     思わずハレーが主君にツッコミをいれる。

    「クレタ。策があって言っているんだろうな」

     カルロ兄さんの鋭い目がオレをとらえた。その眼光の強さには「お前を信じていいのか」と問われているような気がした。

    「ああ、この状況をひっくり返す策がある! オレを信じろ!」

     風が波を運んで、水飛沫が降りかかる。オレは三人を見回した。


    「仕方がないですね、クレタ様。のりましょう!」

     ハレーはそう言うと、クレタを思いっきり突き飛ばした。


    「クレタ様! ひどいです! 聞いてませんよ! こんなルヌルヌベロベロの化け物と戦って、勝ち目なんてあるわけないじゃないですか!」

     ああ〜おしまいだー! とハレーは大袈裟に叫び声をあげて、化け物の方にヨロヨロと近づいて倒れた。

    「みんな食べられちゃうんだー!」

     ハレーはチラッとアズールに目配せをする。

    「わたしは青の国の王アズール! こんなところで化け物に食われる運命だとは……! ああ、なんて嘆かわしい!」

     胸を抑えて、アズールはノリノリの演技でハレーの隣に倒れ込んだ。最後に残ったのは、カルロ兄さんだった。

     引きつった表情で倒れ込んだ青の国の二人を眺めて、それからオレに視線を移した。

    「く、クレタ。オマエというのは、なんというやつだー。俺たちをくもつにして、にげるとはー」

     多少棒読みだったが、三人の演技は混沌の化け物とリライの気を引きつけたようだった。


    『くすくすくす』

     リライが笑った。

    『ムーンフォレストの主が、仲間を見捨てて逃げ帰ったなんて、めちゃくちゃ面白いよね』

     ねえ、とリライは混沌の化け物の頭を撫でる。

    『あの三人、食べちゃおっか』

     応えるように灰色の海から、化け物の足が現れる。船が大きく揺れ、腐臭が辺りに漂った。胃の底を刺激され、吐き気が込み上げてくる。

    『みんな、混沌に戻ればいいんだ』

     見下ろしながら、リライがぽつりと言った。

    「それがお前の心の声なんだな!」

     驚いた表情のリライが振り返る。ルナイの手を握ったオレは混沌の化け物の上に降り立つ。

    『いつの間に——』

     飛び退こうとしたリライの手を強引に握った。
     途端、オレとリライの間から光が弾けた。



    ****


     ——どうして。どうして。

     漆黒の闇の中から、声がした。リライの声ではない。子どもの声だ。

     ——にんげん。きらい。
     ——ぼくの、ものだったのに。
     ——かってにやってきて、うばわれた。
     ——きらい。きらい。ひどいやつら。

    『よお、化け物』

     ——ばけものじゃない。

    『じゃあ、なんだ? 何色にもなれなかった先住民とでも呼べば満足か?』

     闇の中からポッカリと白い顔が現れた。青紫銀の髪と夜蒼の瞳を持った少年。

    『お前、居場所ないの?』
     
     少年は混沌の前にしゃがみ込むと、小馬鹿にしたように笑った。

    『影は光。俺たち元々は同じものなのにな。どうして仲良くなれないんだろうな』

     ——おまえたちのせいだろう。

    『そうだな』

     節目がちに少年は答える。

    『なあ、人間はどうして戦うんだと思う? どうして戦うことをやめられない? あいつら、いつもそうなんだ。自分と違うものを見つけて、排除しようとする。幼い子どもたちだって、自分を守るために誰か一人を吊し上げて、生きるすべを身につけているんだ』

     ——いけにえ。こっけいだ。

    『そうだな』

     少年はその場に仰向けになる。混沌がそれを上から覗き込む。

    『俺を食うか? いいぞ。俺はもう疲れた。疲れたんだ』

     少年は目を閉じた。ようやく、安心して眠れる場所を見つけた旅人のような、穏やかな表情をしていた。

     だが、混沌は少年を担ぎ上げると、頭の上にのせた。

     少年も混沌も、言葉を発しなかった。

    『居場所をあげようか、お前に』

     しばらくして、空を見上げたまま少年は言った。

     ——おまえがくれるのか?

    『いいや。お前と俺で。ちょうど混沌に呑まれている国が一つあるんだ』

     ——こんとん。ぼくのいばしょ。

    『そう。馬鹿みたいな人間がうじゃうじゃいるんだ。俺たちが治めた方が、まだましな世界になるだろうさ』

     ——いいよ。やろう。ぼくたちで。


     闇が渦巻いて、瞬きの瞬間、場面は海の上に変わっていた。


     ——もりが、ちからをとりもどした。
     ——ぼく、きえちゃう。

     真っ黒な髪をかき上げて、リライは体を起こした。黙ったまま、ムーンフォレストがある方角を一心に見つめている。

     ——りらい。なまえ。なまえをくれよ。

    『名前?』

     ——うん。なまえがほしい。

    『……まだその時じゃない。赤の国はもうすぐ手に落ちる』

     ——でも。

    『人間みたいだぞ。名前を欲しがるなんて』

     ——にんげん。うらやましい。
     ——あかんぼう。なまえ、もらえる。
     ——ぼくは。

     ——ばけもの。


    「オレが名前をつけてやるよ」

     リライと混沌の記憶に、オレは飛び込んだ。
     リライと混沌の輪郭が歪んで、伸びて、弾けた。


    ****


    『勝手なこと言うな!』

     目の前に怒った顔のリライが立っていた。

    『ついさっきムーンフォレストの主になったやつが、何もかもわかったような口を聞くな!』

    「ああ、わからない! オレは、まだ、なにもわからないさ」

     でも、とオレはしゃがみ込んで手を伸ばした。リライにではなく、リライの後ろに隠れるようにしている、小さな混沌に。

    「わからないから、知りたいんだ。君たちを」

     混沌が顔をのぞかせていた。よく見れば、小さなクラゲのような形をしている。

    「それが、君の本来の姿?」

     混沌がうなずいたような気がした。

    「名前が欲しいのはさ、特別な存在になりたいからだろ?」

     オレが言うと、隣に立つリライがハッと息をのんだような気配がした。

     リライもわかっていたんだ。混沌の本当の声を。けれど、聞こえないふりをしていた。

    「オレはさ、ムーンフォレストの主になって、赤の国の正統な王だってわかっていてもさ、心が揺らぐんだよ。これでいいのかな。オレなんかで、いいのかな、でもやらなきゃ、ダメなんだろうなって。強い力を持っていてもさ、怖いって思うんだよ、本当のところはさ」

     でも、とオレは混沌の、そのいくつかある足の一つに触れる。

    「それが人間なんだ。愛する心も弱い心も、穏やかさも、憎しみも。色んな感情を行き来するのが、人間なんだ。だから、力を貸して欲しい」

     リライを仰ぎ見た。

    「すぐに道を踏み外しそうになる、オレたちを。見守ってくれないか」

     立ち上がって、今度はリライと視線を合わせる。黒い瞳が揺らいで、閉じられる。リライの輪郭が光っているような気がした。

     小さな混沌が浮かび上がって、リライの頭にのっかった。その様子は、オレとアルテミスの様でもあった。

     ——なまえ、くれるのか。
     ——ぼくなんかを、あいしてくれるのか。


    「ああ、名前をやるよ。オレは、ムーンフォレストの主だからな。まあまあ、偉いんだ。だから、お前にも居場所をあげるよ。オレの隣でよければ」
  • 第18話 UD

     リライの頭の上にある混沌はあの時の自分とアルテミスのようだ。

     記憶をなくしたオレと、オレを守るために存在するアルテミス。
     同じように混沌はリライを守るために存在しているのではないだろうか。

     だが何かおかしい。
     ルナイの話ではリライは太陽。
     
     月の雫のようにムーンフォレストに降り立った光を受け止めた混沌とは違う、別の存在ではないのか?

     もしそうなら……

    「おまえに名前をやる。お前の名はエクリプス。深淵の闇、光を覆う混沌」

     エクリプス?
     それがぼくのなまえ?

    「ああ。人間は弱くて脆い。俺たちは常に迷い悩み、少しずつ前に進むんだ。光と闇だけじゃないんだ、エクリプス」

    「ひかりとやみ、だけじゃない?」
    「そう。赤の国の民はオレが、王がいない間、進むべき道を探していたんだ。もちろん皆が正しい道を進めるわけじゃない。ま、赤の国だけの話じゃないけどな」
     クレタの話を聞きながら、頭の上のクラゲのようなエクリプスはゆらゆらと揺れている。

    「でもリライが……」
    「大丈夫、リライも一緒だ。オレの隣にいてくれないか? 一緒に赤の国の民みんなのことを見守ってほしいんだ」

    「でも、でもにんげんはかってで、ぼくからなにもかもうばっていったよ!」 
     エクリプスから黒い靄が伸び、リライの周りに黒い靄が広がる。
     エクリプス自身、自分の力をコントロールできていないようだ。

    「なあ、リライ。君は世界を見て回ったんだよね?」
    「あ、ああ」
     突然のクレタの質問に戸惑うリライを見ながらクレタは続ける。

    「そこで多くの人たちの争いや怒り、妬み、悲しみを見てきたんだよね」
    「そうさ。だから僕は絶望したのさ」
    「うん、オレもそうだった。だけどな」
     リライを見つめるクレタの髪が金色に変化していく。

    「なにもかもを飲み込んでしまってはだめなんだ。そしてそのために誰かを供物として捧げさせるなんて許されることじゃないんだ」
     クレタの身体から炎風が巻き起こる。
     それを察知したエクリプスはリライを守るために黒い靄でリライを包み込む。

     クレタはゆっくりと黒い靄に近づいていき、炎と黒い靄がぶつかり合う。

    「もう終わりにしよう、リライ。君にもわかっているはずだ。オレの炎は愛《めぐみ》の炎、太陽の君になら」

     烈しくぶつかり合う炎と黒靄の中でリライに変化が起こる。
     ルナイと共に過ごした日々。ムーンフォレストの恵みの中にいる人々。

    「……リプス、エクリプス。ごめんよ」
    「え? リライ、どうしたの?」
    「僕の、僕のせいなんだ。君を巻き込んでしまった。僕は、僕の中に混沌を作り出してしまったんだ。エクリプス、君は僕だ」

     リライの告白と共にエクリプスの黒い靄は小さくなりクラゲの形もなくなってリライの周りをふわふわと黒い光を点滅させながら飛んでいる。

     それを見たクレタの炎もおさまり、髪の色も元に戻っていく。

    「リライ。生贄にされた人たちを元に戻して。そして、オレと、みんなと一緒に一度、赤の国に戻ろう」
  • 第19話 KKモントレイユ

     今まで漂っていた生臭い臭《にお》いは消え去った。

     心地よく爽やかな海の香りが漂う。
     船の帆がやわらかい風に微笑むように揺れている。

     オレとカルロ兄さんの前に立つリライの後ろからリアーナが現れた。

     一瞬、自分の居場所を理解できないような表情で辺りを見回した彼女はカルロ兄さんを見つけると、まるで迷子になった子が母親を見つけたかのように彼のもとに走ってきた。

    「リアーナ」
     カルロ兄さんがリアーナをやさしく抱きしめる。

    「……うわーん」
     リアーナはカルロ兄さんに抱きしめられて、やっと安心した様に泣き出した。やさしく抱きしめるカルロ兄さん。みんなが二人に微笑む。

     リライがそばにいるエクリプスの光に耳を傾けると光は優しく語りかける様に瞬《またた》いた。リライが微笑みながら言う。
    「今まで恐怖に捕らわれていた人達も、もう恐れるものはなくなったと思うよ」

     オレたちの表情に微笑みが広がった。

    「帰ろう。みんなのところへ」
     オレの言葉に皆が頷く。

     晴れ渡った天空から吹き降ろすように暖かい風が海原を走る。
     アズールは慣れた手つきで帆を操る。帆いっぱいに風をふくんだ船は心地よく海原を走り港に向かって行く。

     港ではたくさんの人がオレたちを待っていた。
     小鳥がさえずりながら嬉しそうに空を舞う。歓喜が渦巻く人々の周りで生命《いのち》の力があふれている。
     小さなねずみやリス、イヌやネコたちも生き生きと戯れている。赤の国に生命《いのち》の力が戻った。

     アズールとハレーは手際よく船を港に着けた。潮風を気にしていたアルテミスが、やっと安心した様にくるくる回った。出迎える人々の前に。カルロ兄さんはやさしくリアーナをエスコートする。

    「クレタ様、万歳!」
    「カルロ様、万歳!」
    「リアーナ様、きれい!」
    「アズール様、ハレー様、今宵《こよい》は異国の話を……」
     歓声が飛び交う。

     オレが、カルロ兄さんが、リアーナが微笑む……ルナイやリライ、美しく瞬くエクリプス。アズールやハレーも船から下りてきた。
     ルーナジェーナ、セレナ、バートたちが迎える。

     赤の国に笑顔とやさしさが戻った。

     その後ろで冷ややかな目線を向ける者がいた。
     フィオレと数人の付き人たち。
     そばにいるエレナが呟く。
    「お母さま、あの人が王になるの?」
    「……」
     苦虫を嚙み潰したような表情をするフィオレ。

     港は賑やかな群衆で沸き立っていた。

    「ん?」
     ふとルーナジェーナが港から少し離れた小高い丘の方に目を向けた。
     丘の方を凝視するルーナジェーナ。

     なにかを感じる……
     この『何か』は知らない『何か』ではない。しかし、感じるはずのない感覚……

    「どうしたの?」
     オレはルーナジェーナに目を向ける。
    「え、いえ」
    「変なの」
    「クレタ、何か感じない……」
    「え?」
     オレも丘の方を見つめ意識を集中する。
     何か……何だろう……確かに何かを感じる。
     気が付くとルナイとリライも同じ方を見つめていた。エクリプスの光が穏やかに瞬く。

    「どうしたの?」
     カルロが不思議そうな顔をしている。

    「いや、なんでもないよ」

     ルーナジェーナは丘の上にいるものと心を通わせようとするが、なにか、とてつもなく大きな強い力で遮られる。


     町から海まで一望できるその丘の上から一部始終を見ていた二人の女性がいた。
     月光の髪に夜蒼の瞳の美しい女性。そして、切れ長の美しい瞳の女性。二人は優しい表情で賑わう町の人々を見下ろしていた。

     切れ長の瞳の美しい女性は笑みを湛えて呟く。
    「彼の操る美しい愛《めぐみ》の光は人々に幸せと優しさをもたらす。あの炎こそ『真《しん》の赤』……焼き尽くす炎ではない、やさしい炎、あらゆる生命の中に燃える『真《しん》の赤』……彼は素敵な王になるわね」

     女性の後ろにいる白と金色を纏ったドラゴンが美しい光を反した。
  • 二章 第二十話 つくもせんぺい


    「皆、疲れているだろうが見届けてほしい。剣を持て、クレタ」
    「カルロ……兄さん?」

     出迎えてくれた国民へ報告は改めて行うと宣言し、オレ達は城へ戻って来た。
     休息の前に今後の話がしたい。
     そうカルロ兄さんが呼びかけ、向かった先は会議所ではなく謁見の広間。

     ルーナジェーナやアズール達、海の混沌と対峙した面々だけではなく、ダーリオとフィオナ、そしてバートをはじめとした一部の臣下も集められた中で、兄さんはオレに剣を差し出した。
     オレはその瞳を見つめ、真意を探る。

    「カルロ兄様! まさかあの戦いで混沌に?!」
    「黙っていろ!」

     戸惑うセレナにカルロの一喝が飛び、臣下のどよめきが生まれる。
     けれど、リアーナがそっとセレナを抱き寄せ、首を横に振った。

    「セレナ様、良いのです。皆様も、この一時《いっとき》は夫の望むままに」
    「……リアーナ?」

     リアーナの制止に納得がいかない表情のセレナ。
     二人のやりとりを見ながら、なんのことだか分からないといったように首をかしげるエレナが視界に入った。オレはその光景に姉妹一緒に居ることが許されるようになったことを実感し、思わず笑みがこぼれる。

    「ここで笑うか。随分と余裕だな、クレタ」
    「兄さん……そんなことないよ。ただあの二人、双子だけどあんまり似てないなと思っただけ」
    「そうだな……宿命がセレナに早熟を強いたのは、私の罪だ。だが、これからは違う。この国は、もっと豊かに変わるのだ」

     差し出された剣を受け取り、構えずに距離をとる。
     余裕、確かにそうかも知れない。
     この国に戻ってすぐのオレなら、剣を向けられた状況に慌てているだけだったかも知れない。兄の意志の籠った言葉に、揺れていたかも知れない。

     ――不思議だ。みんながよく見える。

     緊迫した状況を、アズールが面白がり、ハレーがたしなめていた。そんな二人の意志の強さが、今はハッキリと理解できる。
     ルーナジェーナと視線が合い、彼女が強く頷く。出会ってからずっと、オレを支えてくれている。
     彼女の手のひらの上に居るアルテミスは……あの前足はきっと「やってしまえー」だな。相変わらず前向きで、いつもオレの背を押してくれる。

     ――きっとこれからも、何が起きたって《《みんな》》となら大丈夫だ。

     まだ、言葉にはしない。
     ルーナジェーナの側で見守る、不安そうなルナイ達。
     だから、大丈夫だよって教えてあげないといけない。

    「ルナイ、リライ、エクリプス! 見届けてくれ。兄さん、オレはもう彼らの心を曇らせるわけにはいかないんだ!」

     剣を構える。使い込まれた握りの剣だ。
     臣下の緊張した表情。フィオナの、カルロに縋《すが》るような瞳。
     ダーリオは黙ったままこちらを見つめている。
     
    「ならばその決意を見せてみろ! カルロ・オルランド、参る!」

     カルロは素早く間合いを詰め、剣を突き出した。
     半身になって避け、叩き落すためにオレは剣を振り下ろす。
     それを読んでいたのか、急停止したカルロは身体を回転させ、振り向きざまにオレの剣筋に沿うように斬り上げてきた。
     咄嗟に後方に跳び、間一髪で直撃を免れる。風切り音が耳に届いた。

    「――ッ! 随分と派手な技だね!」
    「避けたか。なに、曲芸は最初だけさ」
    「ホントに殺す気?」
    「死ねば私が王というだけだ。問題ない」

     再び斬りかかってくるカルロを、今度は正面から受け止める。甲高い金属音が城内に響き、何度も繰り返された。
     最初とは違い、カルロは態勢を崩しながら打ち込んでくることはしなかった。姿勢も剣筋も美しく、彼の研鑽が現れている。オレが握る剣もまた、彼が積み重ねた時間に立ち合ってきたのだろう。

     けれど、オレにはその剣がハッキリと見切れた。
     ムーンフォレストでの覚醒と海の混沌との戦いを経て、カルロとオレにはハッキリと力の隔たりがある。

    「その目だ! 私はお前が妬ましかった! 憎かった!」

     カルロが声を荒げたのは、オレの哀れみにも似た感情を見透かしたからだろう。

    「力在る者の子に生まれただけで、世界から選ばれたお前が! いつも周りを窺《うかが》い、申し訳なさそうに怯えた目をしたお前が! 王たるべきなのに弱いお前が!」

     鍔迫り合いのまま、カルロは剣を圧しつけてくる。
     けれど荒げた言葉とは違い、その瞳はまっすぐに澄んだままだ。

    「お前さえ居なければと。私だってやれると、そう思っていた。……だがお前が宿命から逃げていたように、私もお前を憎んでいただけだった。国を、民を見ていなかったのだ」
    「カルロ兄さん……。でも、オレはその私怨で死にかけたんだ。アズールとハレーが居なければ、ここには居ない」
    「偽りなく、殺すつもりだった。謝罪はしない。しかし恥じてはいる。ムーンフォレストの荒廃とともに痩せていく赤の国を治世した時間で、私の選択が誤りだったことは気づいている」

     ふっとカルロは自嘲し、剣を弾き距離をとった。
     カルロの告白に、臣下達からざわめきが起こる。

    「鎮まれ! 王の臣下たるお前達が御前で惑うとは何事か!」

     腹に重く響く声は、オレでもカルロでもない。父、ダーリオだった。

    「王の選択だ。見届けよ」

     カルロはダーリオに軽く会釈し、再びオレに視線を戻す。
     もう二人からは、幼い時に見た瘴気も、心の声も聞こえない。
     偽ることなく、オレに向き合っているからだ。

    「クレタ・オルランド! 赤の王カルロ・オルランドが問う。貴殿は何者として、何を望むか!」

     なら、オレも応えなければならない。

    「我が兄、カルロ・オルランドよ! 我はクレタ・オルランド! 聖なるムーンフォレストの主にして、真の赤の王となる者! 我が望みはこの赤の国だけに非ず。全世界に愛《めぐみ》をもたらすことだ!」
    「ならばその力、示して見せよ!」

     交錯はゆっくりに感じられた。
     カルロが繰り出してくる剣を払い上げると、彼は驚愕からすぐに諦めたようにも、満足気にも見える表情に変わる。

    「なんて顔してるんだ」

     ここでオレに斬られれば過去の清算になるとでも思ってたのかと、少し呆れてしまう。オレは剣を握る手に力を籠め、浄化の光を剣に流すイメージで、刃を消失させた。

     ――ガシャンと、二本の剣だった物が音を立てて地面を鳴らし、オレが選んだ決着を告げる。

    「兄さんがしたことは許されない。けれど、今まで赤の国を治めてきたことは嘘じゃないんだ。すれ違いはお互いの成長の糧だったと、終わりにしませんか? これからは手を取りオレを支えてほしい。兄さんが愛する人が生きる、この国のためにも」
    「……我が生涯をかけ支えることが、清算だと?」
    「まさか、そんな難しい話じゃない! これから先、何があってもみんなが居れば乗り越えていけるとオレは思ってる。その《《みんな》》に、カルロ兄さんも入ってるってだけさ」

     神妙なカルロを、オレは笑い飛ばしながら手を差し出した。
     ふっと力が抜けたように笑みをこぼし、彼はその手を握り返してくれた。



    「こんなの嘘よ。ウソ、嘘、うそ、嘘、ウソ、嘘、ウソ——」

     

     この国はここからだ。
     そう思えた瞬間だった。
     真っ黒な瘴気が吹き上がり、謁見の広間に広がる。

    「ダメヨ……。ソンナノ……ダメ」

     瘴気の中心で、胡乱な眼差しをオレに向けるのは……フィオナだった。



     
  • 2章 第21話 西しまこ

    「あなたはそうして、わたくしから全てを奪っていくのね」
     フィオレは真っ黒な瘴気の中で恨めしそうな声を出した。
    「なんだ、この瘴気は!?」
     アズールが言う。
    「もしかして、混沌の欠片が残っていたのかもしれません。或いは、もともと、うちに抱えていたものが顕在化したのかも」
     ルーナジェーナが眉をひそめて言った。
     黒い瘴気はフィオレを中心に湧き出てきて、渦を巻き意志を持つように、謁見の間を黒いうねりで満たそうとしていた。

    「クレタ! フィオレの心と繫がるのよ。そして、フィオレの心の声を聴いて!」
     懐かしい声がクレタの耳に届いた。――母さん?
     次の瞬間、クレタの意識はフィオレの内部に跳んだ。

     *

     ダーリオさま。
     ダーリオさまは、わたくしを選んでくださった。
     まだ正式には妃となっていないけれど、わたくしはダーリオさまの妻になったのだ。
     フィオレは長い赤茶のウエーブがかかった髪をさらさらと揺らした。
     フィオレはダーリオを見つめる。
     ダーリオもフィオレを見つめ、そしてキスをする。
    「愛している」
    「はい、わたくしも。お慕い申し上げております。心から」

    「フィオレ、すまない」
    「どうしたんですの?」
    「妃は、正妃は、ダイアナに決まったのだ」
    「え? どうして? わたくしを妻にするとおっしゃってくださいましたよね?」
    「――すまない。ダイアナの力は強く、その強い力を受け継いだ子が必要なんだ」
    「……ダーリオさま……」
     ダーリオさま。
     わたくしのお腹には赤ちゃんがいるのです。まだ人の形もしていない。
     この子は、王にはなれないのですか?
     力がないと、駄目なんですか?
     ああ、どうか。
     この子が赤の国の王としての力を持っていますように。

     ダイアナさまが生んだ子は、クレタは力が強いという。
     カルロにはそういう力は発現しなかった。
     ああ! こんなに愛しているのに!
     
     ダイアナさまがいなくなった……! 嬉しい。わたくしはこれでようやく妃になれる。
     クレタまでいなくなった……! よかった! これでカルロが、王になれる。
     カルロは力はなくとも、優秀で優しい子。王として立派にやっていけるわ。

     カルロは八年間、赤の国の王として真摯に国を治めてきた。
     それなのに、死んだと思っていたクレタが現れて――奪われてしまう! 

     *

     その感情は憎しみなのか深い愛なのか、或いは悲哀なのか、判然としなかった。
     クレタは黒い靄の中心にいるフィオレに、愛《めぐみ》の炎をそっとかざした。すると、愛《めぐみ》の炎を中心として黒い靄が晴れて行った。
     そして、泣き崩れるフィオレの姿が露わになった。
     フィオレがクレタを見つけ、何事か言おうとしたそのとき、「もうやめなさい!」と、強い声がした。それは黄の国の女王スファレの声だった。
     フィオレは涙を流した顔をスファレに向けた。
    「あなたは?」
    「わたしはスファレ。黄の国の女王だ。――もうやめなさい」
     スファレは優しくフィオレの頬を撫でた。
     フィオレは一瞬優しい目をしたと思ったが、次の瞬間、ダイアナを捉えて憤怒の形相となった。
    「……あなた! 生きていたの!? どうしてここに? ――またわたくしから奪うの!?」
    「まずい! クレタ、【水ゼリー】を!」
     スファレに言われ、クレタは【水ゼリー】を取り出した。
     樹の刻印が押してある【水ゼリー】。
    「これは?」
    「【はじまりの泉】の水を元に作られたものさ。古《いにしえ》の技法でな。――浄化の力を持つんだ」
     スファレはにやりと笑って言った。
  •  第2章 第22話   結音(Yuine)

     フィオレが 水ゼリーを口にする。 途端、
    「うわあぁぁぁ」
     堰《せき》を切ったようにあふれる涙。やりきれない思い。
     悔しさ。戸惑い。慈しみ。愛。憎しみ。後悔。野望。羨望。孤独・・・・・・
    ――ダーリオ様に見初められたのは、わたしだったはずよ。
      わたしがダーリオ様の妻に?
      わたしの赤ちゃん、なんて可愛いの。
      命を懸けて、あなたを守るわ。
      なぜ、あの子が?
      あんなこと、言わなければよかったの?
      この子が、子の子こそが!
      どうして、いつも あの人は……
      どうして、いつも わたしだけ……
     串に残った水ゼリーが、ぷるん と、揺れた。

    ――ね、
      わたしたちは、少し似ていたのかもしれないわね。

     ダイアナがそっとフィオレに近づく。
    『お願い。この国を、クレタを、あなたの息子を、生まれてくる新しい命を。そして、消えかけている夫の命を。あなたは最後まで見届けて。あなたは、もう苦しまないで』
     鳴き声は止まない。
     広間には、つられて泣く者の声が混じった。

    『クレタ、あなたは立派な王になるでしょう。だから、もう大丈夫』
     ふわり
     ダイアナの身体が舞った。
     ふわり
     蝶のような鱗粉が きらきらと 光った。
     ふわり
     甘い香りがクレタを、ルーナジェーナを、ルナイを、アルテミスを包んだ。
    『……』 告げられた最期の言葉。それは、彼らだけが聞くことができた。
    ――愛してる。
      あなたなら、大丈夫。
      わたしの身体は消えてしまっても、わたしの魂はあなたと共に。
      ありがとう。

     スファレが、何かを察し、つぶやいた。 「ついに、逝くのか……」
     ふふふ
     やわらかな笑い声を残し、昇天する女王《ダイアナ》。
    「待ってください!!」
     透き通る女王の幻影に縋《すが》り、叫ぶ声。節足動物のような機械が ガシャリと、床に倒れた。
     代わりに少女《巫女》が現れた。先刻、クレタと夢の中であった時より大人になった姿であった。
    「巫女様……」と、ルーナジェーナの驚愕が漏れる。
    「ワタシもお供します、女王《ダイアナ》様」 そう言って、ダイアナの後を追う巫女《アステミス》。
    「アルテミス?」 茫然《ぼうぜん》とするクレタ。
     クレタの足元に落ちた機械は、動く気配がない。
    「大丈夫です、クレタさまなら。ほら、こんなにも大勢の人があなたの味方なのですから。《《カッコいいクレタさま》》を見せてくださって、ありがとうございました」
     ふふふ
     にこりと微笑んで、ダイアナとアルテミスは消えた。

     謁見の広間に、嗚咽が広がった。 抜け殻になった機械は、冷たくそれを受け止めて、もう二度と動くことはなかった。クレタはその重みを今更ながらに感じて、抱き締めた。
     隣でリライが問いかける。
    「赤の国に愛がしみわたり満たされる日は、もうすぐそこまでやってきてるの?」
    「愛って美味しいの?」 エクリプスの疑問に、
    「それは、もちろん!」「とびっきり!」 ルナイとセレナの声が重なった。

     きらきらと 月の光を粉にしたような 鱗粉が 広間から流れ、赤の国を超え、ムーンフォレストを目指し、海へと渡っていくのを ルーナジェーナだけが知っていた。

     フィオレが手にした串に水ゼリーは残っていなかった。

  • 第二章  第二十三話  綴。



     鱗粉が流れ出て姿を消し去ったあとの広間は、しん と静寂に包まれた。
     さっきまで聞こえていた嗚咽はいつの間にか聞こえなくなり、ほのかに甘い香りが広がっている。
     きょとんとした表情のエクリプスの横で、ルナイとセレナは視線を合わせ、肩を竦めて微笑んだ。

     フィオレは脱力して床に倒れ込み、スファレがそっと近づいていく。フィオレが握りしめていた水ゼリーが入っていた袋から、ぽたり と雫が広間の床に静かに落ちる。
     小さな雫の染みがぷるんっと揺れて光を放った。


    ――ざわざわ、ざわざわ。

     小さな小さな音を立てながら、床に落ちた雫が少しずつ少しずつ光を集めるように繋がって上へと伸びていく。
     柔らかく優しい光は集まって金色《こんじき》の小さな樹の形へと変化していく。細い枝を少しずつのばして美しい樹へ姿を変え、しゃがみ混んでいたクレタと同じくらいの高さへと成長した。


    ――ぱっちーん。

     美しい形になった金色《こんじき》の樹は砕けるように弾けて小さな光の欠片へと変わる。そして広がった雫の染みは跡形もなく消え、見覚えのある革でできた水袋が残されていた。
     さっきまで目の前で光っていた、金色《こんじき》の樹の刻印がほどこされている革の水袋。
    【はじまりの泉】の水や水ゼリーを入れる袋だった。


    ――はじまる……

     
     クレタは脱け殻になって動かないままの機械を抱きしめたまま、ゆっくりと立ち上がり水袋を拾い上げ、広間に集まっている大勢の人々を見渡した。今、目にしたその光景に驚き言葉を失っている。
     その夜蒼の瞳に向けられるたくさんの視線の中に、強く反発を抱くものを感じてクレタは瞳をぎゅっと瞑る。
     
     


    「……ダイ、アナ……」
     小さく呟いたのは車椅子に乗ったまま広間での光景を見つめていたダーリオだった。クレタが感じる強い反発を抱くものは、ダーリオから伝わってくる。


    ――やっぱり、お前は本物だったのか。
    ――俺よりも強い力を受け継いでいるもの。
    ――赤の国の国王になった時に聞いたことがある、ムーンフォレストの主《あるじ》だけがもつ愛《めぐみ》の力。その力は柔らかく優しい光を天から降らせる。
    ――その力を受け継いで生まれてきた、クレタ……



     ダイアナに心を奪われていたのも確かな事実だった。フィオレを心底愛していたのだが、赤の国やムーンフォレストを守り抜く為にダイアナを選ばなければならなかった。
     赤の国に受け継がれているものを絶やしてはいけない! と、周りに強く言われて決めたことだった。確かにダイアナは美しく、力も持っていたため妃として迎えることに決めたのだ。


     ただ、フィオレをなだめるのには相当な苦労をした。

    「どぉしてよ! 私を妻にしてくれると約束したじゃない!」
    「……すまない、フィオレ」
    「そんなバカな話、どうして受け入れるのよ! 私だって赤の国を守れる力を持つ子供を産めるはずよ! なによ、少し白の国の血筋を持ってるからって、力を持つ子供が産まれるとも限らないわよ!」
    「フィオレ、落ち着いてくれよ」
    「落ち着けるはずなんてないでしょ!」


     負けん気が強く退屈を嫌い、いくつになってもいたずらっ子のようなフィオレを手放すこともしたくはなかった。何とか彼女を落ち着かせ、部屋を与え一緒に過ごしてきた。
     フィオレのお腹の中に命が宿ったと知らされたのは、ダイアナを妃として迎えた、すぐあとだった。


     ダイアナとの時間も悪くはなかった。フィオレとは逆でとても穏やかな性格だ。
     彼女が微笑むと光が舞い、彼女の言葉は歌うように美しく心に届いてくる、そんなダイアナを妃として迎えて良かったとも思えた。
     ただ、時折ダイアナからの強い力を感じ羨ましく思えてくるようになった。
     そしてその気持ちは日を増すごとに増え、少しずつ嫉妬心が芽生え始めたのだ。

     ダイアナとの間に生まれてきたクレタは、彼女よりももっと強い力を持っているとすぐにわかった。その頃の俺は嫉妬心を抑えることができなくなっていったのだ。
     赤の国の国王として、妃よりも力を持たないことが国中に広がってしまったら困る。


    ――何とかしてダイアナの力を消すことはできないのだろうか。
      
    ――ダイアナよりも強いクレタをどうすれば良いのだろうか。


    「簡単なことだわ! ダイアナを消してしまえばいいじゃない。ダイアナが消えてしまえば、クレタが赤の国の国王にはなれやしないんだもの!」
     
     二つ並んだ揺り篭を気だるそうに揺らしながらフィオレが口にする。

    「そうすれば私は妃になれるし、カルロが次の国王になるのよ! あぁ、なんて素敵なんでしょう」

     あの日、そう言いながら俺の肩に腕をまわしてきたフィオレの赤みがかった茶色の髪の毛が頬に触れた。

     
    ――あぁ、そうか。ダイアナを消してしまえばいいのか。

    ――妃がフィオレに変われば、次の国王はカルロになれる。

    ――この国で一番強いのは俺なのだ。


     そう考えるようになると、少し気持ちが楽になっていった。やがてそれは計画へと変わっていく。
     
     そしてある日、ダイアナが忽然と姿を消した。城の中を探し回っても、敷地の中を探し回っても、ダイアナの姿はどこにもなかった。

     

     車椅子の肘置きに置かれたダーリオの拳にはぎゅっと力が込められて小さく震えている。きらきらと輝きながら鱗粉が飛んで行った先をしばらく見つめていた。
     次第に眉間に寄せられていた皺がほどけ、倒れ込んでいるフィオレを見つめて言葉を発した。


    「クレタ・オルランド! カルロ・オルランド!」

  • 第24話 十六夜 水明

     クレタとカルロ、2人の名を呼んだダーリオの一声により、その場にいた一同が黙り込んだ。
     ダーリオの口から発せられたのは、8年前のあの瘴気を纏った声ではなく、真っ直ぐと全てを見通した澄んだ声だった。

    「先王《せんおう》として、我の血を受け継いだ《《2人》》の息子に最後の命令をする」

     彼の瞳は、自身の息子達の姿を一点の曇り無く映し出している。

    ────ッゴク。

     どこからか、そんな音が聴こえた。
     誰もがその瞬間に息を飲んだ。

    「第2王子、クレタ・オルランド。其方《そなた》を正式なこの赤の国の国王に命ずる」

     そこまで口にすると、ダーリオは一息付き、再び口を開いた。

    「そして第1王子、カルロ・オルランド。其方には、これまでの経験を元に宰相として国王の補佐に当たってもらいたい」

     ダーリオの命令は、これまでにはない異例なことだった。
     通常、赤の国では宰相という立場を設けていない。何百年も前に一時期、立てられていた事もあったが、それは国王と同等の権力を握っていた。

     その事を十分に理解しているクレタとカルロは、言葉を失っている。

    「2人とも、本当にすまなかった」

    「「?!」」
     
     それもつかの間、ダーリオの謝罪により2人は目を見開いた。

    「クレタ、お前には辛い子供時代を過ごさせてしまったことを、申し訳なく思っている。そしてカルロよ、お前には無理を強いるような生活を送らせてしまった。本当にすまない」

     何を言われてもやられても文句はない、と言わんばかりにダーリオはうつむき拳を握った。

    「そうですか……」
     そう呟き、クレタは車椅子に乗っているダーリオの目の前へと歩みを進める。

     そして……、

    ────ビュンッ。

     クレタは、ダーリオの顔面に向かって拳を付き出した。

     誰もが“殴られる”と思った。
     ダーリオとて殴られると思い目蓋を強く閉めた。

     しかし……、

     いくら待っても、顔面に痛みの衝撃がこない。
     代わりに、

    ────コツン。

     と、額に何かが当たった感覚を覚えた。
     恐る恐るダーリオが目蓋を開くと、クレタが諦めた表情で腕を下ろしているところだった。
     どうやら、クレタは殴らずに拳をダーリオの額に当てただけだったらしい。

    「ッ、なぜ殴らない! 憎いはずだろう!」
     ダーリオは車椅子から身を乗りだし、殴れ! と叫んだ。

     その問いかけに、クレタは先程殴ろうとした右の拳に再び力を込めた。

    「オレは、殴らない」
    「なぜだ!」
    「確かに昔のオレは、父上もカルロ兄さんも凄く恨んでた。でも今は違う、父上も兄さんも国のことを考えていたんだ。今も、昔も。それに比べてオレは、何からも逃げていた。父上からも兄さんからも。そしてムーンフォレストの主という責任からも。そんな自分が何よりも憎いんだ」
     だからオレは殴らない、クレタはそう宣言しダーリオの目の前に跪《ひざまず》く。
    「父上、我、第2王子、クレタ・オルランド。快くその命《めい》、受けさせて頂きます」

    「ッ、父上! 我、第1王子、カルロ・オルランドも、その命、生涯にわたってお受けします」
     カルロも、クレタに遅れをとるまいと、その場に同じように跪いた。

     その場は戴冠式を思わせ、どこか厳かな雰囲気を醸し出していたしていた。


    『ねぇ、リライ。もう、いいんじゃない?』
     そんな中、ルナイは横に立って同じく様子を見守っているリライに微笑み、問いかけた。
    『あぁ、そうだな。クレタなら正しくこの力を使ってくれるはずだ』
     リライは、クレタから弧を描いた目を話さずに頷いる。

    『『クレタ』』

     その2人の声には、暖かさ、そしてこれまでにない重みがあった。

    「なに?」
     クレタが立ち上がり、振り返る。
    『クレタ、君なら俺の力を正しく使えるはずだ』

    「? 力って………?」

    『おっと、この姿じゃ力が使えねぇや。ルナイ』
    『うん、リライ。いつも、リライが僕にやってくれているようにやればいいんでしょ』
    『あぁ』

     クレタの問いかけに、終れば分かる、と言わんばかりにルナイとリライは互いに向き合い指を絡めた。

     そして、
    『『◑◎▶▷▼◁◀◉◐』』
     瞳を閉じ互いの額を近づけ、呪文を呟く。

    ───ビュンッビュンッ。

     すると《《暖かな光の風》》が舞い起こり、ルナイとリライ、2人を中心に辺りに広がっていく。

    「え、リライ……?!」
     クレタは、自分の目を疑った。
     風の中心にいるリライの姿がみるみるうちに変わっていくのだ。

     今まで混沌の闇だった髪は、朝日を反射した雲のような赤白金《せきはくきん》色に。瞳は、朝焼けで染まったような陽紅《ようべに》の瞳に。
     どちらも、ルナイのそれとは対になるような色に変化していった。
     身に纏っている服も、瘴気が晴れたような真紅の布で仕立てられた物に変化していた。

    「リライ、その姿は……」
     
    『あぁ、そっか。この姿を知っているのは今じゃあ、ルナイだけか』
     クレタを含め、リライの姿が大きく変わったことに驚きを隠せないその場にいる一同の様子を面白そうに見ながら、リライは口を開いた。

    『これが、俺の本来の姿だよ。ムーンフォレストの太陽である俺のね』
     ほら、ルナイと似てるでしょ、とリライは自慢げに言ってくる。

    「で、力って?」
     さっきから何も教えてくれないじゃないか、とクレタは話を戻そうとした。

    『あ、そうだよリライ』
    『ごめんごめん。力っていうのは《《太陽の加護》》の事だよ』

    「……?」

    「太陽の加護……? だと?!」

     なんの事だかさっぱり分かっていないクレタを余所に、今までことの成り行きを見守っていたスファレが驚きの声をあげた。

    「知っているの?」
    「あぁ、だが、その記憶が残っているのは今から何百年も前だぞ。しかも、未来を見る先見の力と時代を進める原動力を兼ね備えた加護だ」
    「えぇ?!」
     クレタがスファレの言葉に目の色を変えた。

    『そりゃそうだよね。リライは長い間、行方不明だったし』
    『ルナイと違って何人にも加護を与えてないしな』
     当たり前だよ、と2人が笑っていると、クレタは、ねぇ、と気になっている事を口にした。

    『ルナイも加護を与えられるの?』
    『あぁ、そっかちゃんと話したことなかったね。僕が与えられるのは、《《月の加護》》って言って守護の力なんだよ。ダイアナやクレタ、他の国の正当な王に生まれたときから与えているんだよ』
     スファレやミカエル、ルーナジェーナやアズール達にね、とルナイは説明していると、でもな、と食いぎみにリライが遮ってきた。
    『俺の太陽の加護は、大体100年に1人くらいにしか与えていないんだ』
    『リライが気に入った人にしか与えないからね』
    『まぁね。それにクレタは元々、赤の国の王。月の加護より太陽の加護の方が相性が良いんだよね』
    「そんなに貴重なの?!」

     そう軽口を叩きあっていると、リライは、

    『じゃあ、クレタこのだだっ広い部屋の大体真ん中に立って』
    「あ、うん」

     そう言ってクレタが、謁見の広間の中心に立つと、リライがクレタの正面に立ち、ルナイが船の上でバリアを展開させたときのように目を閉じて両腕を広げた。

    『我、ムーンフォレストの太陽、リライ・ロメル。この時を持って、赤の国の王、クレタ・オルランドに太陽の加護を与える』

     その瞬間、クレタの回りを光の粒が覆った。
     光の粒は、先程水ゼリーの雫から形成された金色の樹の欠片のようだった。

    ▽▼▽▼

    ────あれ、あれは昔のオレ?

     目の前には、生まれてから今までの出来事が断片的な映像となって、流れていく。

     母上に、アルテミス、父上にカルロ兄さん。
     アズールにハレー、旅一座のみんな。アズールなんて、なにカッコつけてんだ。ハレーは、ダークエルに求婚してるし。
     セレナにエレナ、義母上様。
     ルナイにリライ、エクリプス。
     他の国の王達に国の人々……。

     今まで沢山の人と出会った。
     それは、とても大きな宝物なんだ。


     今までも、そして、これからも。


     映像は切り替わり、カルロはとリアーナさん、そしてその回りにセレナやエレナがいる。
     そして……、オレも居た。

     笑ってる。みんな幸せそうだ。

    「あ、………」

     リアーナさんのお腹が大きく膨らみを帯びている。そして、柔らかな光を纏っていた。


    ──はじまる……

     新しい時代《とき》が。
     新しい生命《いのち》が。
     新しい関係《つながり》が。


    “五色が混ざれば、何色になる?”

    「……母上」

     見つけましたよ、母上。

     全てが愛《めぐみ》の色になるわけじゃない。混沌にだってなるし、光にだってなる。


     五色が混ざれば、何色にでもなれるんだ。




     五色が混ざれば、“新たな《《はじまり》》の色”になる。
  • 第25話 あまくに みか

    「こんなところでサボっていたのか、クレタ」

     頭上から声がして、オレは片目を開ける。

    「サボってないさ」
    「いーや、サボりだ。寝てただろう」

     隣に腰を下ろした気配を感じて、オレは頬をゆるめる。

    「出来のいい宰相サマがいるから、いいんだよ」
    「まったく、これだから兄は苦労するよ」

     言葉の意味とは裏腹にカルロ兄さんは、軽やかな口調で告げるとその場に寝転んだ。


    「最近、リリィがかわいすぎて仕方がない」
    「また親バカの話し?」
    「まだ三歳だぞ。三歳なのにたくさん言葉を話すんだ。あの娘は天才だ」
    「はいはい」
    「だがな、リリィは最近、おおきくなったらアズールと結婚すると言うんだ。クレタ、どう思う?」
    「え、どうって言われても……」
    「やはり、狙撃するしかないだろうか。いや、それでは外交問題になってしまう。ここは娘はやれんと手紙を叩きつけてやるべきだろうか」
    「いや、想像力がふくらみすぎてない?」

     呆れながらもオレは空を仰ぎ見た。オレが黙ったままなので、カルロ兄さんも軽口をやめて、一緒に空を眺める。

     突き抜けるような青。やわらかに吹く風は、湿った土のいい匂いが混ざっている。耳元で蜂の低い羽音が聴こえる。

    「平和だな」

     大きく息を吸い込んで、オレはつぶやいた。
     あの日から、三年が経った。三年というのは、国の歴史において、何かが変わったようで、何も変わっていないような時間なのかもしれない。

     けれど、オレとカルロ兄さんにとっては必死に駆け抜けた時間であり、大切な三年間であったことは間違いなかった。


    「春がくるな」

     カルロ兄さんが空を見つめたまま言った。

    「ああ」

     芽吹きの春がやってくる。眠っていた大地が目を覚ます時。

    「月光《げっこう》祭、もうすぐだな」
    「正しくは、第三回月の光を浴びてわいわいお祭り騒ぎしよう祭だけどね」
    「長すぎんだよ、ばか」

     横から拳が飛んできて、コツンとやさしくオレの頭を叩いた。オレはそれが嬉しくって、にやけてしまう。

    「去年は青の国が一発芸やったから、今年は黄の国かな」
    「あの人が一発芸やると思うか?」

     カルロ兄さんは眉間に皺を寄せながら、渋い表情をしている。

    「まあ、芸術的になるだろうさ。今年は」

     オレは答えて、もう一度目を瞑る。
     大地がざわざわと動き始めている気配がする。いのちの再生と循環。草や花、動物たち。そして、ムーンフォレストが冬の間ためていた力を解き放つ、うつくしい季節。

     月光祭は、国も身分も、人も動物も、混沌も関係なく、この地に住まう全てのものたちがムーンフォレストに集い、春を祝う祭だ。

     三年前のあのはじまりの日、初めてオレが国王として、ムーンフォレストの主として決めたことだった。

    「双子は、いちご水を屋台で売るんだって大はりきりだ」

     ああ、とオレはここ最近エレナとセレナが二人でこそこそと城の外に出かけている様子を思い出す。

    「母上を、今年も誘うんだろ?」

     カルロ兄さんに言われて、少しだけ胸がちくっとした。三年前、オレが赤の王になってから、フィオレは別邸に移った。長年の重しをやっと下ろせて、ひとまわり小さくなったように見えた。

    「来てくれるだろうか?」

     フィオレは頑なに外に出ようとしない。以前のように、オレのことを目の敵にするようなことはなくなった。だが、どこか抜け殻のように、ぼうっとするようになってしまった。

    「来てくれるさ」

     カルロ兄さんは勢いをつけて立ち上がる。

    「さて、俺は先に戻ってるぞ」

     右手をあげて「わかった」とオレは合図する。蹄の心地の良い音が遠ざかっていくのを聴いてから、オレはゆっくりと上半身を起こす。

     視界に、一面の緑が開けた。
     風が吹きぬける。

     真横にある丸くて白い墓石に、オレは手を添えた。

    「また来ます。母上、アルテミス」

     赤の国とムーンフォレストの境。母とアルテミスなら、ここにいたいのではないかと思った。赤の国とムーンフォレストの両方が見える、この場所に。

     立ち上がると、黄色いものが頬をかすめる。
     顔を横に動かすと、それは黄色ではなくて春の光をぎゅっと集めたような色をした、二頭の蝶だった。
     蝶はお互いに交差しあいながら、驚いて立ったままのオレの頭をなでるように飛行すると、空へと消えていった。

     目を閉じて、うん、とうなずく。
     視線をムーンフォレストに向けた。
     

     ——祝祭がはじまる。
  • 第25話 UD

     月光祭は、国も身分も、人も動物も、混沌も関係なく、この地に住まう全てのものたちがムーンフォレストに集い、春を祝う祭だ。

     今年はどんな夜になるだろうか、楽しみだな。
     オレは、想う。この三年間のことを。そして、これからのムーンフォレストのことを。それは、希望にあふれた予感だった。

     はじまりの日、オレは赤の国の王となり、ムーンフォレストの主として毎年、月光祭の日に、ここに集うものに対し一年の報告を行っている。

    「「あー! クレタ異母兄さま!!」」
     なぜか屋台でイチゴ水を売っている二人から声を掛けられる。

    「えっと」
    「もうお祭りは始まっていますのよ。兄さまが行かないと締まらないでしょう!」
    「クレタ異母兄さま、ありがとう。カッコ良かった」

    「あ、ああ。ありがとう。エレナ、セレナ」
     セレナの差し出したイチゴ水を受け取る。

    「だけどセレナ。あの時の言葉はいったいなんだったんだい? あの時のセレナは今とはずいぶん雰囲気が違って見えるんだけど?」
    「まあ。あの時は仕方なかったのです。エレナもですが、私たちにはどうやら不思議な力が備わっているようなのです。異母兄さまが戻られるまではそんなに頻繁ではなかったのですが最近は特にいろいろと感じることがあります」

    「え? それって?」
    「赤の国の力ではないのかも知れませんね」
    「ああ。その力は、黄の国の民が持つ力に近いようだし、うーん、もしかしてルナイとリライに何か関係があるのかな?」
    「なぜです?」
    「いや、なんとなくだけど、ルナイとリライもエレナとセレナのように双子のような存在だなって思ってさ」
    「ふむ、とても興味深いです! これはぜひお二人? にお話をお聞かせ願わなければなりません!」
    「セレナ! あなたまた!」
    「えへへ」
    「申し訳ありません、クレタ兄さま」
     エレナは戻ってからオレのことを兄さまと呼んでくれる。

    「それで二人の不思議な力はいつから?」
    「あれはムーンフォレストの力が戻った頃でした。はじめはセレナと同じ夢を見たということに気がついて」
    「そうそう。《《同じような》》夢を二人がみるようになったって気づいて。それから二人でよく話していたのです」
    「同じような?」
    「ええ、そうなのです。同じような夢なのですが結果が違う夢。そして恐ろしいことに結果は必ずどちらかの夢のとおりになるのです」

    「そんな。じゃああの時セレナがオレに伝えたのは?」
    「ええ。海の化け物を退治する夢とエレナは」
    「私は海の化け物に赤の国が飲み込まれる夢でした。そしてそれを退治できるのはクレタ兄さまだけでした」
    「だからあの時、夢の内容を一生懸命に話したの」
    「そうだったのか。ありがとう、エレナ、セレナ、赤の国のことで頭がいっぱいだったオレに活路を見出してくれて」

     いちご水を口にしながら、しばらく楽しい時を過ごした。
     そして月光祭は本格的に始まる。
  • 第2章 第27話 KKモントレイユ

     月光祭
     ムーンフォレストの春を祝う祭典。

     年に一度、数日間だけ、銀色の月の光が降り注ぎ、森の木々が神秘的な色彩に彩られる。
     この世界でムーンフォレストだけに存在するといわれる『月光樹《げっこうじゅ》』とよばれる幻の樹木がある。いつもは他の樹木と見分けがつかないが、この数日間だけ月の光を浴びて白金の光を放つ神秘的な樹木。年に一度、この時だけ、その樹木は『月の雫《しずく》』を湛える。
     その雫は、すべての始まりとなり、愛《めぐみ》となり、優しさとなり、すべてを繋げ、静寂となって広がっていく。
     そして、残った雫が『希望』となり、その『希望』の雫が集まった泉が『はじまりの泉』と呼ばれている。
    『はじまりの泉』の水に含まれる『希望』の結晶……
    『月の光』を集めると『月光石』という天から与えられた神玉《しんぎょく》になる。この『月の光』の結晶を『月光石』にする秘法は、白の民の古《いにしえ》の『うた』に残されているという。その『うた』は白の民の中の選ばれし者だけにうたい継がれているという。

     月光祭
     あらゆる国の人々が集い、あらゆる命が芽吹く春を祝う祭り。ここばかりでなく、ムーンフォレストの周辺の国々でも、各国それぞれすべての街が、街を挙げての祝祭の日となる。

     月光祭の式典は神殿の前の広場で行われる。ここはオレたち五人の王が剣の誓いをした場所だ。
     オレは様々な式事を終わらせ、たくさんの人で賑わう屋台が並ぶ通りを歩いた。
     スファレとルーナジェーナは二人で屋台巡りを楽しんでいるようで、式典が終わるとすぐにどこかへ行ってしまった。
     アズールとミカエル、ハレーとダークエルの四人は久し振りの再会に会話が弾む。これほどの街を挙げての大きな祭り、民衆と肩が触れ合うほどの距離で各国の王たちが歩いては危ないのでは……という者もいるが、アズール、ミカエル、スファレ、それにルーナジェーナ、ハレー、ダークエル……一般の民衆に囲まれる程度の状況で危ないという存在ではない。
     皆それぞれに祭りを楽しんでいる。オレもアズールたちと一緒に屋台を見て回る。

     オレたちはカルロ兄さんとリアーナ、リリィと合流し、もう一度、エレナとセレナの屋台にやってきた。いつの間にか、エレナたちのピアノ教師リモーネ、それにバートも屋台の手伝いをさせられていた。思いのほか人気の店になってしまったようで、二人では手が回らなくなったらしい。

    「また、いちご水もらえるかな」
    「あ、お兄さんたち、また来てくれたの? アズールさんにハレーさんたちもみんな来てくれたのね」
    「スファレさんとルーナジェーナは来た?」
    「来てないわ。あの人たちは、屋台の飲み物なんか飲まないんだわ。きっと、もっと高級なお酒なんかを飲むんだから」
    「そうそう、緑豊かな黄の国のシャトー・ルベルシャン、二十年物のワインですわ。なんて言いながら飲むのよ」
    「やっぱり、白の国は白ワインですわ。なんていうのよ……ねえ」
     エレナとセレナが二人で頷き合いながら、みんなにいちご水をくれた。

    「いちご水もらえるかしら」
    「あ、スファレさん」
     セレナがいちご水をこぼしそうになる。
     微笑みを浮かべるスファレとルーナジェーナ。セレナが慌てて二人にいちご水を手渡す。一口飲み爽やかな表情でスファレが微笑む。

    「優しくて懐かしい味……やっぱり、お祭りはいちご水ですわ」
     スファレがセレナとエレナの方に視線を向ける。
     二人が、ばつが悪そうに下を向くと、下から上目遣いで見上げるリリィと目が合った。

    「あ、あら、リリィちゃん、いちご水、おいしい?」
     エレナが取り繕う様にリリィに微笑みかける。

    「うん、おいしい。ねえねえ、リリィの水筒にいちご水いれて」
    「え?」
     リリィが首に下げていた可愛らしい水筒を差し出す。エレナが微笑みながら水筒にいちご水を入れる。嬉しそうに目をきらきらさせて見つめるリリィ。

    「どうぞ」

    「ありがとう」
     ちょこんと頭を下げて、一口いちご水を飲んだ。そして、大切そうに水筒を首に掛けるリリィ。その姿を見て、みんなに笑顔が広がった。

    「いちご水……もらえますか」
     後ろから年老いた女性の声がした。
    「どうぞ、おいしいですよ」
     やさしく手渡すエレナ。女性はいちご水を買って歩いて行った。
     また、次のお客さんが来る。忙しそうにいちご水を売るセレナ。
    「どうしたの? エレナ」
    「ん? さっきの女性、どこかで見たことがあるような……」
    「そう? 以前、お城で働いてた方かしら」
    「……」
    「いろんな方がいたから……どうしたの?」
    「ごめん、ちょっと行ってくる」
    「え、ちょっと、待って、わたしも。リモーネさん、お店、お願い」
    「え、ちょっと」

     二人が走って行く。カルロも何か思い出したように後を追いかけ走って行く。オレも他の皆も付いて行く。バートも付いて来た。

     赤の街を見下ろす丘に着いた。ダイアナとアルテミスの墓石の前に花束を持った女性と車いすの男性がいる。
     先程の女性が墓石の前にいる女性にいちご水を手渡した。受け取った女性はやさしい手つきで、いちご水と花束を墓石に捧げた。

     リリィが女性の方に走って行った。女性は優しい笑顔でリリィに微笑みかけ抱き上げた。
     振り返る女性と車いすの男性。二人の表情は穏やかで慈愛に満ちて……

     そこにいた……

     オレたちが、ずっと会いたかった、やさしいフィオレとダーリオが、そこにいた。


    赤の国の章 —――海の化け物退治と、赤の国の再生

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