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呪われそうなほど美しい。

皆様は美術館には足を運ばれるでしょうか。

私と来たら芸術というものがさっぱりでございまして、有名な画家の絵画や現代の芸術作品が展示されている美術館にはさほど縁もなく。

美術館に行く時は、大抵何かの博覧会やら展示会が催されている時でございまして。

自主的に美術館に赴いたのは、何年か前に上野にある美術館で開催されたハプスブルク展やエジプトのミイラ展を見るためぐらいでしょうか。

とはいえ芸術にちっとも興味がないという訳ではなく、どうやら私は絵画に詳しい=博識であるという短絡的な思考回路を持っているようでございまして、日々常々インテリに憧れインテリを気取りたいと願っている私は芸術の知識で格好つけたいのでございます。

ですからある程度有名な作品であれば、これは誰が描いたかくらいは知っているつもりでございます。

ですが結局は賢さマウントを取る為の付け焼き刃。この画家がどんな思いでこの絵を描いたかとか、この絵にはどんな芸術的な価値があるのかなどはまるで無知。

やっぱり本質的には芸術に対する興味は全くないのでしょう。

思えば私自身が芸術を嗜んだのは中学生の時まで。嗜んだというか美術の授業があったから仕方なく絵を描いたり、木を削っていたに過ぎず。

やる気もなければ美術的センスも待ち合わせていなかった私の美術の成績はいつだって5段階評価の2を頂いておりました。

ですが反骨精神だけは一丁前だった私はですね、毎度2というお世辞にもよろしくない評価を下す美術の先生が大嫌いでございまして。

絵を描いて提出する度に辛辣なコメントをくださる先生に対し「あんたは芸術というものを何も理解してはいない!」とよく噛みついたものです。

というのも当時の私の芸術に対する認識は落書きでした。

近代アートの巨匠、アメリカの画家ジャクソン・ポロックという人物をご存知でしょうか。

彼の描く抽象画はですね、その当時ではとても珍しく、世間的にも芸術的にもそれは高い評価を得ている画家なのです。

しかし芸術的な見識を持たぬ素人が見れば、彼の絵などどう見てもただの落書き。高架下のトンネルのスプレーの方がまだマシだと言いたくなるような見た目なのです。

当時の私はテレビか何かで彼の絵を見たんでしょうね。「え? 芸術ってこんなんが評価されんの?」と別の意味で衝撃を受けまして。

それ以降の私と来たら芸術は型にはめられるものではないと、ある意味正しい理解の下、それが例え模写であろうと立体作品の製作であろうとも、常に前衛芸術に挑み続けました。

しかしですよ。私は何故落書きのようなジャクソン・ポロックの作品が評価されるのかを正しく理解していなかったのです。

これは後に美大生から聞いた話なのですが、一見すると落書きにしか見えない絵画もですね、ちゃんと絵画の基礎を学ぶとまったくのデタラメではなく、むしろその完成度の高さに驚くのだそうで。

つまり、ジャクソン・ポロックの絵がデタラメにしか見えない私は、いくら影響を受け模倣しようとも、芸術的になんら意味のない落書きでしかなかったのです。

そりゃあ先生怒る訳だ。腐っても美大出身なだけあるわ。評価1にされなかっただけ温情ですかね。(今でも嫌いだけど)



さて、本日の表題。

枕で散々芸術なんかわかんねーと喚きましたが、私が唯一好きな芸術家がおりまして。

その名もズジスワフ・ベクシンスキー。

ポーランドを代表する画家でして、日本でも大変人気な芸術家でございます。

ほら、あれだよ。「3回見たら死ぬ絵」としてネットで一時期騒がれてたじゃないですか。

ベクシンスキー作品の特徴は陰鬱であり退廃的、そして残酷であり不気味。

そうなんですよ。ベクシンスキー画伯の絵画ってどれも怖い絵が多くてですね。私も初めて見た時は震え上がりました。

でもですよ。インターネットの世界で怖い画像だとかグロテスクな画像って溢れ返っている訳じゃないですか。

私も所謂、精神的ブラクラ(ブラウザクラッシャー。この場合は自分ですぐにブラウザを閉じたくなるような酷いもの)画像をうっかり見ては心が辛くなったりしたものですが。

ベクシンスキーの絵も似たような使われ方をすることも多いのですがね、でもそれ以上にあの絵が好きだって意見も多いのが、ベクシンスキーの絵と他の怖い画像の違いだと私は思うのです。

それも、グロテスクな画像が好きだとアピールする痛くてアホな中学生ばかりがそう言っている訳ではないイメージ。

と言っても所詮はネットの発言を私が収集しただけですから、発言をした人物の尽くが中二病患者ばかりの可能性もありますが。

しかしですよ、意見の中には「あの絵に惹かれる」だとか「神秘的で美しい」というものが多く、やはりベクシンスキーはただ人を怖がらせる為に作られた画像とは、そもそも根本が違うのだなと。

終焉の画家とも呼ばれるベクシンスキー。彼の描く世界が何を表しているのか。彼の作品の多くは死や絶望、孤独、破滅など、とても暗いものばかり。

そんな絵を描く人物はやはりどこか陰鬱で口数少ない人物かと思いきや、そうではないようで。どうやらベクシンスキー自身はとても気さくでお喋りが好きな方だったようです。

気さくなお喋り好きな人があんな怖い絵を描くのかと私は驚いたのですが、同時に納得もしまして。

というのは、どんなに明るい人であっても、大なり小なり心に闇を抱えているものだというのが私の持論でして。

Twitterで「私病んでるんだぁ」とか、見るに堪えない痛々しい呟きを繰り返す連中はともかくですよ、もの凄く元気で明るい人がある日突然うつになってしまうというのも、今では珍しい話ではなく。

まぁうつはまた話が変わってしまうのでアレですが、いつの間にか心が抱えているストレスや不満。そこから生じる破滅や死への憧れ。大きさは異なれど、これって誰しも心のどこかで抱えている欲求のようなものではないかなと。

死にたくはないけど死後の世界は見てみたいとか。そういう死への憧れと畏怖が宗教の根底ではないかと思ってまして。

無論これは私論ですから、皆様にこう思えと強制するものではなく、私はこう思っているというだけのことです。

でも、どんな人も死について一度くらいは考えたことあるんじゃないかなと思いまして。想像するイメージの違いはあれど。

そんな中ベクシンスキーの絵に惹かれるのは、彼の絵が分かりやすく死後の世界をイメージさせてくれるからなのかなと。

いや、ベクシンスキーが死後の世界を描いているかは定かではありませんが、少なくとも死をイメージしつつ描かれている作品があるのは事実でして。

人が抱く死への憧れと恐怖。この漠然とした感情こそが、彼の絵に惹かれる理由なのかもしれません。

因みに私がベクシンスキーに惹かれるのは、ただ誕生日が同じだからです(笑)



さて、ベクシンスキーといえば現在連載中——

しかしまぁ、よくもここまでいい加減な憶測で記事を書けたなと自画自賛しつつ、自己嫌悪ですよ。

思えば美術の授業だって「これは芸術だ!」と叫びながらも、手抜きをしていた自覚がありますもの。

この記事を手抜きで書いたつもりはありませんが、基本怠惰なのは昔から変わってねーなと自覚致しました。

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