私はアニメをそんなに観ないのですよ。代わりにドラマや映画ばかりを視聴しております。
これを言うとアニメ好きの知人辺りは「そんなにドラマや映画を観ることが偉いかね。刺す」と、川端康成の批判に憤慨した太宰治のような怖い言葉を私に浴びせるのです。
いや待てと! 俺は別にアニメが下だとは言ってねーよ!
私の知人や、他幾人ものアニメ好きの方々の中には アニメを観ない=アニメを見下している と勝手に脳内変換する連中がおりましてね。いや、皆が皆そうであるとは言いませんが、一部にはそういう輩もおりまして。非常に厄介。
まぁ見下してる人達もいるのでしょうが、こと私においてはそうじゃないのです。特段アニメを特別視することはありませんが、映画やドラマより下に見たことはございません。
むしろ私にとってアニメは実写映画やドラマと同じ映像作品という括りでございまして、私に言わせりゃ画面に写ってるのが役者か絵かどうかの違いでしかありません。
アニメ・ドラマ・映画という大きな括りで、尚且つ膨大な数の作品の中から自分好みの設定や作風の作品を選んで観ると、結果としてアニメを観る数が少なくなると、ただこれだけでして。
ですから映画なら何でも観る訳でもなく、当然嫌いな映画のジャンルも多くあります。
その中でも取り分け嫌いなジャンルはアンチハリウッドを意識し過ぎて拗らせまくったフランス辺りの芸術映画と、売り出し中のアイドルとかいう演技素人を中心に据えた日本の恋愛映画。
この二つのジャンルは本当に大嫌いでして。
まぁ嫌いな理由とかを書いているとそれだけで記事が一つ出来てしまうので割愛。その辺りはいずれまた。
逆に好きなジャンルなら節操なく観るのですが、ことアニメにおいて凄く好きな作品がありまして。
それはPSYCHO-PASSシリーズ。
アレはもう私の琴線に触れまくりでして、本当に好き。初めて観てからもう随分経ちますが、今でも追いかけている作品ですし、ついこの間ようやく近所のGEOで劇場三部作を借りることが出来、しばらく借りられた感動に打ち震えておりました。(ずっとレンタル中で1カ月近く返却待ちしてた)
さて、好きなアニメの話をするために長々と言い訳をする辺り、私の捻くれっぷりを露呈しておりますが表題。
これは私がディストピアに強い憧れを抱いているからでございます。
ディストピアを描いた作品というものはこれまで数多くございまして、有名な例を挙げればジョージ・オーウェル著作の「1984年」という古典小説と、それを基にしたマイケル・ラドフォード監督のSF映画がそうでして。
ビッグブラザーという政党の一党独裁体制の中、国民の生活が全て監視される架空の1984年の世界を描いたこの作品は、世に言うディストピアのイメージの原点となったと言っても過言ではありません。
ディストピアというのはユートピアの対義語で、人権や自由などはなく、個人の意思すら持つことを許されない世界というのが、恐らくはディストピアのディファクトスタンダードだと思います。
自由の無い世界で、自由を求めて立ち上がるって、ディストピア作品でよく見られますが。
そういう意味で言いますと、PSYCHO-PASSって全然ディストピアじゃないんですよね。
大きな世界観で見ますと、近未来の日本で国の政策から個人の就職、果ては結婚まで一元にシヴィラシステムという超高性能AIが全てを決めていて、国民はAIの判断に従って生きていく。
これだけ書くとまさにディストピア。完全に統制された社会と、AIの指示通りに暮らす人々って、まさに1984年で描かれたディストピアまんまじゃないですか。AIか政党かの違いであって。
じゃあなんでPSYCHO-PASSが全然ディストピアじゃないって言うのかと申しますと、まずあの日本って凄い自由なんですよね。
もちろんAIが許す範囲でっていうのはあるのですが、それにしたってあの世界は普段我々が送る日常生活をする分にはなんら不自由がないのです。
それどころか、心の健康を常にAIが把握して適切なメンタルケアを行ったり、自分に向いている仕事を紹介したり、先にも少し触れましたが自分と相性の良い異性を結婚相手として紹介したりしてくれるのです。
AIさん、あんた至れり尽くせりじゃないっすか。
もちろんあのアニメの本筋は刑事ドラマですから、法の番人(AIの番人)と犯罪者の対決であり、並行してシステムの問題点にフォーカスを絞った内容になっておりますが。
それにしたって、あの世界に暮らす一般人の目線に立ってみれば、あの世界って結構幸せなんじゃないかと思いまして。
何より1984年の世界と違い物質的にも豊かだし、自由意志がある。
自由意志って言ってもあの社会で暮らすことにおいてってだけですけど、これ何が面白いってPSYCHO-PASSの住民達ってシヴィラのことを便利で優秀なアドバイザー程度にしか思ってなさそうってところにありまして。
もちろんあの世界の日本はAIが牛耳っているってことは彼ら一般人の認識にもあると思います。
そういう社会の根幹部分はともかくですよ、適職診断にしたって「何でこの俺がこんな仕事に!」って不満に思ってやらかした犯人もいましたし、例えば劇場版では主人公の友達が「シヴィラの相性診断ってやっぱり凄いよね」みたいなこと言いながら婚約したことを報告していました。
あの友達のセリフって、要は元々はそんなに信用してなかったことの裏返しじゃないですか。
社会と国民を管理するAIに対して多少の疑いの念があったってことですよ。
これ1984年の世界だったらこの発言一つで愛情省から思想警察が飛んできて、即行で101号室行きですよ。ビッグブラザーの愛情たっぷりな教育を受けて党員に性病撒き散らしたとか自白させられた上で喜んで処刑されちまうんでっせ。
考えたら主人公がそもそも体制側なのに体制に不満バリバリじゃないすか。面白いって理由だけで生かすなよ欠陥AIめ!
こういう管理社会なんだけど、住民が盲信的にAIを信仰してないところがPSYCHO-PASSってディストピアじゃないなって感じるところで。(信頼はしてるけど)
もちろんAIが社会にとって不要と判断すれば即アウトな訳ですが、それにしたってゆりかごから墓場まで面倒みて頂けるならありがてぇ。
いや設定的にはとてもディストピアなんですよ? あのPSYCHO-PASSって。
やべーじゃん。何から何までAIって。
少し前言撤回で、あの作品は本当に何から何までAIって訳でもなく、まだまだシステムも不完全ではありますがね、もしあのシステムが完全なものになったとしたら、そこに暮らす人々はそれはとても幸せなことではないでしょうか。
今現在の我々が暮らしの中で持っている価値観やら幸福観に照らし合わせれば、確かにディストピアは最悪かもしれません。考える自由が無かったり、規則に雁字搦めだったり。
でもそれは、我々が思い浮かべる幸せとは違うから、あんなのは嫌だと思う訳で。生まれた時からあのディストピア世界観が当たり前だったとしたら、逆に我々の考える幸福観を唾棄すべきものと思うかもしれません。
私個人とすれば、難しいことを考えず、言われた通りにしていれば幸福を与えられるであろうディストピア社会に嫌悪感を示すことが出来ません(笑)
そもそも難しいこと考えたり悩んだりするの嫌いだしね!
あ、前提として私が日々幸福だと思える環境であることですよ。今の我々からしたら辛い日々だとしても、それが幸福だとしっかり洗脳してくれないと私は嫌よ(笑) ディストピア社会を形成していく上でも、それが大前提だと思うのです。
不満は敵だ!(笑)
さぁ今日もビッグブラザーに感謝してしっかり労働に励みましょう!
ディストピアと言えば現在連載中……
はっ! これは政治委員殿! このようなところへわざわざ足を運んで下さるとは、とても名誉なことでございます。
何ですと!? 私が反革命分子ですと? ははは、流石に冗談が過ぎますぞ政治委員殿。
私は忠実な市民として国家と党に忠誠を——そ、それはドミネーター? ま、待て! 何かの間違いだ! 話せば分かる! だから銃を向けないで! 北斗の拳みたいな死に方はいやあああああああ!