相手にアドバイスをする時に自分が選択肢を与えるつもりで奪っている自覚がないことをそろそろ悔い改めるべきだと最近思います。いや前々から思っていたんですが、思っていながらいつまでも直さないのだからタチが悪いですね…。
例えば「Aという考え方もある。Bという風にも考えられる。自由なようにやってごらん」と言えば、ぼくの提案をそのまま受け入れ難くなるのが人の情というものです。この場合ぼくは相手からA、B二つの選択肢を奪ったことに他なりません。
しかもどうしてそんなふにゃふにゃのアドバイスをするかと言えば、はっきり言って軽い気持ちで責任を取るつもりがないからです。「こうしろ」と言えば必ずぼくに責任が伴います。しかし正直な所、彼を最後まで面倒見られるキャパは今の所存在しないのです。
アドバイスとは常に簡潔で矯正するぐらいの心構えで行わなければ、往々に自己満足で終わるケースが多いような気がします。
もちろんアドバイスそのものがイマイチで全然参考にもならないし直接使うに値しないという可能性も否めません。それに命令的アドバイスが彼にとって必ずしも最良であるとは言い切れません。しかし思いついた端から何でもかんでも言っていた時代から、そろそろ脱却しなければいけないと痛感する今日この頃です…。頑張ります。