この文を目に留めていただきましたこと、ありがとうございます。
小説であれ、このようなノートであれ、
ボトルメールを波に流す気持ちで書いています。
波間に漂うボトルメール。
ある時は沈み、またある時は浮かび。
誰が拾いとってもらえるのかも知らず。
いつ拾われるかもわからない。
拾われることすら、ないのかもしれない。
でも。
書いたものは、拾いあげた誰かに向けた、
ラヴ・レターのようなもの。
何か少しでも伝わるといいな、と思って書いた。
拙くても、丁寧に折りたたんだつもりです。
久しぶりの更新で、6番目の章を終えました。
今回は、「原稿用紙20枚以内・即物的に描く・追想」をという縛りで書いてみましたが中途半端でした。そのうち加筆が必要ですね。
途中でTwitter連携機能に気づいて、一度だけ試してみました。
するとタイムラインに作品を書かれている方々の悲喜交々が表示されるようになりました。真摯に向かい合っているからこそのツィートの数々に、頭が下がる思いです。
わたしはそもそも、流行らない退屈なものを、自身のためだけ、手すさびに描いている自覚があるので、そんなに読まれなくてもいいと思っています。
でも、当然の自問が浮かぶ。
──では何故、ものを書いて、あまつさえ投稿しているの?
問いを繰り返し、出した自答が、ボトルメールでした。
いつか、拾ってくれるかもしれない誰かに向けて、
何かが伝わればいいなと書いた手紙。
そんなふうに考えているのだろう、そう思いました。
書きながら聴き、口ずさんだ六章ノオトは本章章題と同じ、ELSAの“Jour de neige”。わたしが生まれるよりも前のフレンチポップ。
時間も空間も大きく隔てた楽曲に、突如として出会うことがある。
これもまた、時を経たボトルメールを拾い上げるのに似ているのかもしれませんね。11/06/2022