人は生まれてきた以上、いつかは死というものが訪れます。これは自然の摂理です。それが遅いか早いかの違いこそはありますが、すべての人に等しくその日はやって来ます。
私が書くものにはほとんど誰かの死が出てきます。別段メインテーマとしているわけではありませんが、やはり重要な事柄として捉えていると自分では思っています。
作中の人を死なせる、殺すことによって感動を生み出す、といった手法もあるかもしれませんが私としては理解し得ないところです。
ただ、『そこに居た人が突然居なくなった』という残された人達の気持ちを描くとなるとまた話は別です。その人への思いが確かにそこにはあった。でももうその人はいない。そこにはやり場のない悲しみ、寂しさ、後悔、怒りなどが存在しています。
私自身の経験でいうと幼い頃に父親を亡くしています。他の記憶はほとんど残ってはいませんが、その場面だけは鮮明に脳裏に焼きついています。
そしてその時に辿りついてしまったとある考え、幼少期の頃の私自身を未だに許せていない。それほどに恐ろしいことを考えてしまっていたのです。
これについて詳しく言及はしませんが、いままでに家族や親しい友人にさえも話した事はありません。何故なら、それを聞いただけで人格を否定されかねないからと言うのが一つ。
そして、私が死を迎える時まで抱えて持っていくべき邪悪だからだと言うのが一つ。
この記憶の影響もたぶんにあるのでしょうが、取り分け死については物凄く心を揺さぶられやすい。しばらくはずっとその事だけを考えて生活をしてしまうほどです。
それが小説にも出てきてしまっているのかもしれません。
私は後悔をしているのだと思います。だって幾ら謝りたくても、もうそれすらできないのですから。