• 現代ファンタジー

新作小説【不可視の薔薇 -ウェストファリアの亡霊-】を書き終えて

 これまでの小説に比べて、圧倒的な専門用語の数々、独特の言葉の散りばめがされています。
 作者である自分自身も、小説本編を描く時間の内の多くを調べ物に費やしたという作品となりました。


 私の小説は【現実世界に起きた出来事】、いわゆるノンフィクションを元に【並行世界的な舞台における近未来で起こり得る事象】というフィクションを交えたローファンタジーです。
 故に、過去に起きた出来事については空想だけで書くことは出来ません。

 個人の力では限界はありますが、出来る限り情報を集めて現実になぞらえる努力はしなければならないと思っています。

 そうした理由から、書く前に使用する単語の意味を調べるのですが、今回の作品ではその作業に費やした時間が圧倒的となったのです。

 調べた中で、少し触れておいた方が良いだろうことを書き記します。
 昨今ではアニメや漫画の影響も含めて、日本でも多くの人が耳にしたことがあるであろう単語の中で、より意味を調べていくとさらに深い区分のようなものが存在した単語がありました。

 作中で敢えて使用しなかった単語という意味でも、代表のひとつをご紹介します。

【プロテスタント】

 キリスト教における一宗派であることはご存知の通り。
 対として語られる存在に【カトリック】が挙げられますね。(他に3大宗派として正教が挙げられます。)

 同一宗教の中でも違った観点から異なる解釈によって信仰を続ける両者。
 プロテスタントは宗教改革を経て誕生した宗派で、偶像崇拝を行わないことが特徴です。

 では、世界中の全ての国がそうしたプロテスタント派に属する信徒を "プロテスタント" と呼んでいるのかといえば〈そういうわけではないらしい〉ということが分かりました。

【福音主義】

 これはプロテスタントの中でさらに区分化された宗派を示します。
 不可視の薔薇作中内ではドイツを舞台としていますが、ドイツではプロテスタントの中でも福音主義派が多いという事情があるとのこと。
(厳密なパーセンテージは公表されている資料から読取が難しかったです。)

 その為、作中内ではプロテスタントという表記を用いず、基本的に【福音主義】という表記で統一しており、【ローマカトリック派】と【福音主義派】によって物語が進行していくというテイストといたしました。

 なぜ素直にプロテスタントと記載しないのかと問われると、このような意図を込めているからとお答えすることになりましょう。


 このように、今作中では意図的な言葉の入れ替えや、意図的な言葉の言い回しが多数あります。
(土地の歴史、彫像の持つ意味、聖書の内容、回心、解離による下意識、大衆扇動、現存する各組織・集団名、司教座(司教区)、建物の所有に関する現実との相違などなど)

 普段、日本には馴染みのないことを題材として取り扱っていることで、読者の皆様には【内容がすっと頭に入らない。文字や文章を追って目が滑る。】といったことが多く出て来るのではないか……
 そのような不安が私にはあります。

 私自身から見ても、意味を理解しながら読む為に知識が要求される物語-というと語弊もありましょうが-難しい内容が中盤まで山のように連なる物語であると感じています。
(特に第18節辺りまでが物語の詳細を示す為の部位となります。以後は終盤まで猛スピードで物語が流れていきます。)

 ただ、そうした専門的な部分は流してお読みいただいても肝心な部分は読み取れるように書いたつもりです。
 作者として、複雑な内容を複雑なモチーフ(日月星辰など)と複雑に絡めたことによる不安は絶えず拭えませんが、「書き終えた後」である今としては、難しい言葉や内容に行き着いた際にはすっと読み続けて頂ければ幸いであるということをお伝え出来ればと思う次第です。




 次に、今回に限った話ではありませんが、特にひとつ強く言及しておかなければならない点があるとすれば主役の【立場】についてでしょう。

 今作における物語の主人公はロザリアという "少女" です。
 作中で、ローマカトリック教会 ヴァチカン教皇庁に在籍する総大司教。
 現実の階位でいえば、枢機卿団(カーディナルス)の下であり司教の上、やや特殊な地位にあたるそう。
 グランドビショップ、又はパトリアルクス、そう呼称されるそうです。

 ただ、少女がそのような地位にあるという1点を切り取っても現実と乖離している事実があります。
 "少"女であることが問題なのではありません。

 そもそも、カトリック派においては【女性は司祭以上の役に就くことは出来ない】という戒律があります。
 【キリストの弟子である12使徒に女性がいなかったから】という理由です。

 故に、女性であるロザリアが総大司教の地位に就くということは現実世界では【絶対に有りえない】のです。

 教皇不可謬説(未来永劫に渡って変わることのない戒律。カトリック教会が公式に発表した見解。)で、女性は司祭以上に登用されることがないと示されています。

 作中でも補足的な言及はありますが、この点については【現実に存在するカトリック教会】とはまったくの別組織ということを強調し、ファンタジー世界におけるフィクションであることも併せて強調しておきます。




 物語の内容について言及すると、今回は【心の動き】にスポットを強く当てました。
 人は誰もが本音と建前で生きています。本音だけで生きていくことが出来る人などそうそうは存在しないでしょう。
 内に秘める本音と、社会生活をうまく送る為の建前。そうしたものがあるという前提で【では、人々が内に秘めた "本音" が "大衆扇動" によって強烈に暴露されたらどのような世界が広がっていくのか】を想像して書き綴りました。


 話は変わりますが、昨今社会問題とされている【車の煽り運転】を元に少し話しをします。

 例えばあるドライブで、目の前で急ブレーキを余儀なくされるほどの強引な割り込みが行われ、進路を阻害されたドライバーがいると仮定しましょう。そのドライバーは怒りを抑えられず、相手の車に接近して車間を詰めるという行為をしたとします。

 このようなケースの時、双方にはどのような感情の変化が起きているのかを見てみます。

 割込みをされ怒りを覚えたドライバーは【危ないだろう!】【相手を問い詰めてやりたい】や【怒りを感じた自分の気持ちを相手へ伝えたい】という感情が芽生えていたはずです。
 つまり怒る【目的】がそのドライバーには生まれていると推測され、結果として車間距離を限界まで詰めるという煽りに及んだと仮定します。

 対して煽られた側は "自分が強引であったかどうかに関心を示さず" 【ただ走っていただけで理不尽な行いをされた。意味が分からないし、社会問題にまでなってる煽りをするなんて許せない】という感情が芽生えるのではないかと推測されます。

 例えを持ち出しておいて難ですが、ここで重要としたいのは実際に煽り運転に及ぶかどうかではなく、この時の当人たちの感情の動き方です。


 端的に言ってしまえば、双方ともの感情の中では【自分は正しくて、相手が悪い】という感情の動きが得られたのではないでしょうか。


 日常社会では、理性があればこうした現場に遭遇しても、怒りの思いを「ぐっと耐えてやり過ごす」ことで平穏を保つことが出来ます。
 しかし、その理性が働かなくなった時、煽りによる事件が発生します。

 さらに突き詰めましょう。
 この煽り運転を実際に行ったドライバーは、日常生活において些細なことで苛立ちを覚える程のストレスをそもそも抱えていたとします。

【正当な理由を持って怒りをぶちまける状況が訪れることを望んでいた】
※いかなる場合においても煽り運転に正当性はありません。

 こうした背景があったとしたら。
 偶然、危険な割り込みを受けてその怒りを正当な理由を持って表質化させるという【目的達成の機会】が得られたわけです。


 対する割込みを行ったドライバーも「いつもこうしているから大丈夫。こうしても怒る人はいないし、自分は許される」という感情を持っていたとしたら。
 煽りによって怒られたという事実に対して【受け入れられない】という感情が湧き上がってくるものと推測され、そのことによってより顕著に「悪いのは相手だ!!」という認識を加速させていくことでしょう。


 簡単に言ってしまえば、両者とも「怒りたかったから怒った」というわけです。
 起きるべくして起きた諍い、争いということができるでしょう。
 この辺りの話についてはアドラー心理学に詳細な話があるのですが割愛します。



【悪いのは〇〇で、自分達は正しい。】



 いつの時代も人の心理から切り離すことが出来ない言葉です。
 この心理傾向が宗教に及んだ時【カトリック】【プロテスタント】という双方の立場の認識の相違によって、似たような理由、同じ理屈で大きな戦争が繰り広げられました。

 カトリック派がプロテスタント派を弾圧したことに端を発する【三十年戦争】です。


 ひとつひとつは小さな感情の動きでも、それが大衆心理として同一化され、大きなうねりとなれば戦争が起きる。

 この感情の動きの危険性における教訓を、今の時代に至っても人々は克服できていないことは、先に例に上げた「煽り運転」からも明白です。



 尚、【悪いのは〇〇で、自分達は正しい。】という心理。


 この心理を巧みに利用して世界最大の戦争を起こした集団が存在します。

 そう、ナチスです。

 誰にでも理解できる言葉を
 感情を込めて
 何千回と繰り返す

 このような単純なプロパガンダを用いることで大衆心理を扇動し、後世に残る大戦争への道を彼らは作り上げました。
 戦争に次ぐ戦争という疲弊した時代の中で、大衆が【幸せになれないのはどこかに原因があるからに違いない】という不満心を抱いていた時代。
 そんな中、不満の矛先を特定の方向へ向けさせるように扇動した組織。

 この側面もナチスという存在であり、時代背景も相まって悲惨な歴史を綴ることになってしまったと言えるでしょう。


 第二次世界大戦については、世界恐慌などの社会的に起きた事象による直接・間接的な原因を説くより、人間そのものに備わった心理的側面から読み解く方が後世の教訓になるのではないかと個人的には思っています。
 事実、そうした過去の教訓を元にして、ドイツでは【大衆扇動の罪】が刑法によって定められています。
 加えて、欧州各国ではナチスを賞賛する思想や振る舞いも【法によって】禁じられています。


 また、大衆扇動ということにスポットを当てる上で、避けられない言葉があります。


”新聞記者は戦争を始めることが出来る”


 かつて、サッカー日本代表を指揮したイビチャ・オシム氏が言い放った言葉です。
『オシムの言葉』(集英社インターナショナル)より


 私もそのように思います。
 意図的な切り取りや方向性を持った報道をメディアが行えば、特定の結果が実現されるよう働きかけることも出来る。
 それだけ、大衆扇動というものには社会的影響を与える効果があるのです。
 

 話が大きく逸れましたが、このような人が本質的に持つ心理背景をモチーフに、秘めた深層心理を暴露する存在として【ウェストファリアの亡霊】が作中には登場します。
 亡霊は、相対した人の理性を切断し、心に秘める【社会的悪の感情】を無条件に表質化させるという特性を持ちます。
 又は【解離による下意識】を呼び起こし、狂乱状態に陥らせるという特徴を有します。

 人の心の動きに働きかけるだけでどこまでの惨禍が巻き起こされるのか。
 そのようにして起きた惨禍を鎮める為には、人の心にどのように働きかければ良いのか。

 これが作品における主題です。



 余談ではありますが、Twitterなどにおいて炎上事件が起きるのも、似たような大衆心理が影響しているからではないかと個人的には考えています。

 人が変わらなければ、世界が変わることはない。

 このテーマを元に、今後の作品は進行します。
 不可視の薔薇を書き終えた今、既に次の作品の制作に取り掛かっているところです。

【メランコリア・A -崩壊の冠-】
【マリス・ステラ -終末の日-】
【マリス・ステラ -最後の審判-】

 今後公開予定の、これらの作品を持って物語は完結となります。
 私の作品は全てがひとつの流れに沿って進行するシリーズ作品です。

 もし、私の描く作品について少しでも興味を持たれましたら、過去に公開された作品もお楽しみいただけますと幸いです。
 【心理】をテーマとした今作のように、過去作にもそれぞれの大きなテーマに沿って描いております。

【リマリアの作品コレクション】
https://kakuyomu.jp/users/limaria_novel/collections/16816452219833246351


 それでは、今回はこの辺りで。

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