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くわいだん

 二度のショック
 と書いてをる澁澤龍彦先生のなんかを忘れてゐる。
 朱の盤さんは、舌長姥とセット。

 すでに
 その二度目のショックから意識を取り戻した、獅子頭権太座衛門は、救援の人に、
「お前らあれか、三番目か うぁぁ」
と喚き散らした

 はやられられてをる。

『捜神記』の。三世紀。をっさんAが馬で歩いてゐると、兎のサイズで鏡の如き目を光らせる何ぞが通行を妨げてゐる、のにビビった彼が何とか行くと、道行く人が。

 久々利城城主、久々利頼興さんがまだ土岐三河守である前、悪五郎時代に、鹿狩りの為久々利山を馬で走くり回ってゐると、身の丈一丈ほどの山伏に遭って睨まれる。携へた名刀鵜の丸が使へないっつうか抜けないし弓弦が切れてるぽいので悪五郎さん気合で組み付かんとするとソレが消える。なんだかなと思ひつつ、鯉口切れるは弦が無事だはを確認して山を下り、適当なお寺で休んで、
「いやぁ変なもの見ちゃって」
と言ふと、住職でなくて南方熊楠全集第五巻では「住持」て書いてある(ともに僧侶の意)、が
「変なものというとこんな」
といふが早いか、その辺から夥しいのっぺらぼうが、出るのにひっくり返った悪五郎さんが、意識を取り戻すと、そこは御寺ではなくて野原だった。南方熊楠大先生によれば、ラフカディオ・ハーンのアレはこれの焼き直し。のっぺらぼうについて、NHKでなんか(パトリックって言うな!)ラフカディオ・ハーン大先生がギリシャだかアイルランド時代に見た幻覚がどうたら言ってるのがあった気がするのだが、この辺はジャパニーズのあれらしい。てふか大体、小泉八雲御大のは何ぞのリライトなわけなのだが。

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