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マリア様をガン見できない

 纏足の過程 試緊あるいは試纏>>緊纏>>裹彎 作業はプロでなくてその辺のおかんがやるので、大変だったらしい。

「可哀想な中学生」『バトルロワイアル』と言ふものがあった。

 大人の階段を上る様をひよこの毛の生え代りで表す、15~6世紀フランスのEn mousへの実際のアレとして全身の毛を剃り上げ、腸内フローラを全部抜いて、なんかするといふ鬼畜な中学に関し、えちえちメディア枠でなくてナニの方で、苗床もの、異種姦物としての諸星大二郎『貞操号の遭難』みたいな。需要があるんだかが若干。

小学四年生くらゐのガキャを狩り集める言訳ー
 今時「抵抗」がネタになれば。

 ニクード ネクディーム 混沌を指すまだら 創世記に出る斑の牛(創世記30章の辺)は混沌を指すといふカバラの解釈があるさうである。
『創世記』3:21の肌着がどうたらをなんか。衒ひのない逆張りで、まだらを究極とする。

 中島みゆき『夜会』「邯鄲」でのキツネ狩りのテーマとうさ耳に関する演出。

アダ(死ぬ) ルツ(冥府から蘇る) エステル(ひっくり返す) マルタ(敬虔な人でドラスレとかは関係ない) エレクタ(神様に選ばれる)みたいな過程を経る言訳としてのマリア様のいろいろ。

 マリア 「美人のお姉さん」的なニュアンスなのだが、厳密には地中海南東沿岸部辺りではぽっちゃり推しなのでさう言ふのを指す。ミリアムとかはいいや。

 死ぬとか、囲ふとか 復活するとか、完璧になったとかの言訳としてのマリア様案。

マリア様の三相 
「慈悲の聖母」「愛徳の聖母」「法の聖母」
他の。
Our lady of mount carmel「カルメル山の聖母」
Virgin of Candelaria 「Candelaria」、『魔女と魔術の事典』訳「蝋燭祝別」檀原照和訳は「聖燭節」
ヒスパニックからラテンアメリカへ傳播したもの
Maria de la Mercedes 「慈愛の聖母」(檀原照和 荒木正純、松田英訳) コブレ(英語へ直訳するとカッパー キューバの地名)の聖母
Virgen de la Regla「規則の聖母」海の関係で黒いって五行説。

 Immaculate_Conception 『ユダヤ神話・呪術・神秘思想事典』38頁によれば アダムとイヴはエデンにあった時、カヴォドで全身を覆はれてゐたが、智慧の実を齧ったためにそれを引っぺがされた。
 代りに何かの肌着を與へられたが、それはリヴァイアサンか蛇の皮であったと言はれる。それはエデンの香りが放たれ、減ることはなく、著ると獣を操ることができた。また、それはニムロド王の頃まで傳へられてゐたが、諸般の事情でエサウが奪ひ取った。
 皮膚に関する爪様の者(南方熊楠『蛇に関する民俗と伝説』)と言ふのがない。無原罪の御宿りに関する言訳で、マリア様は「ダヴィデの塔」(雅歌4:4)、「象牙の塔」(7:5)の如く鉄壁の守りで、野郎を知らない(聖書的な表現では肉体関係も「知る」)閉ぢられた園(4:12)とか言はれる、「おっぱいたゆんたゆん」「妹は偉大」「子造りしようよ」でいぱーいな『雅歌』が使はれる。それの「美しい首」にパラフレーズされるソレは実際にある皮膚の表現だと言ひ張る的な大隔世遺傳でさう言ふマリア様はあってもあの。

Beata Maria Virgo Perdolens 息子を亡くして嘆くマリア うーん。

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