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獄門島は祟らない

 『獄門島』 横溝正史 

 雪月花 『犬神家の一族』では夫人の名前が松竹梅。名前はめでたい。

 『犬神家の一族』では斧琴菊 「よきこときく」重要なアレであってネタバレではない。『獄門島』では其角の句がなんかに使はれる。

 出てこない重要人物。お小夜聖天 中国筋を流れてゐた役者で祈祷もやる関係で鬼頭家の妾と言ふ設定。
 犬神家は犬神を遣ふんぢゃねえかと言ふ一族が妾囲ひまくってどろどろが展開する。

お小夜さんとその娘は巫女の格好で「生駒の聖天さんも河内の聖天さんも」とやる。体系はクレオールらしい。その割に地元の寺とお小夜さんは仲が巨悪い。作中出る「とら年」は多分シャーマン的な(宮田登先生のアレがどっか行った)ナニであれなんだらう。金田一さんが、はい。

 五行説他で、聖天さんを降ろす際にはシャーマン的な女性は自身を十一面観音だと言ひ張らないといけない上、ソレのモデルとされるヒンドゥーのエカダサムゥカは、もと水の神様なので島で網元なら拝んでても別にいいと思ふのだが、作品内でさう言ふのは一切なし。「8・3面の水の神様」を拝むわざをきがやってきてどうたらで、坊さんがソレは「十一面観音だね」で、他いろいろあって軋轢がー、に一ミリも行かない。
 押井守『メカフィリア』で、『攻殻機動隊』押井守監督一発目版のラストの思考戦車のシーンについて、原作での神道と言ふかアニミズムを感じ取った押井守は、天のウヅメが槽(うけ)伏せアレをナニしてアマテラスを呼んだといふアレをなぞらへ、磯光雄が苦心の思考戦車をうけ(オケなんだけど四角い)とし、バトーをセイノヲ(召喚する人のアシスタント的な人)としてアレをソレしたと。なんか、サイボーグな人とロボ合せて三人と、その著書で押井守さんシンクタンクの足そのものが六本で、理想的な構造である旨を力説した上でえらい面倒な鉄砲といふアレを併せて八本肢と言ひ張ってた筈。
 ドラマの方『ゲゲゲの女房』で村井茂さんが、入門百科シリーズを悪魔くんの某でやらうとした矢先に彼の義理のパパと稚拙で拙速な陰謀を企て、あぁっ!と言ふのを見た後、水木しげる全集のそれ(べとべとさんとか収録)を買ふと、悪魔くんの某で、悪魔の顔と名前が違ってるのが多数あり、原稿はちゃんとしてると言ふ指摘があったみたいな、えー作品の中に「当時の作者のいろいろ」がどうたらはネタとして定番化してゐる訳であるが、『攻殻』ヤンマガ海賊版一発目は、講談社への掲載が依頼されたと言ふ作者のアレが垣間見れる感じ。そのソースである『Hellhound』が青心社刊のシリーズである点はー(思考が停止してゐる)

如意がアイテムとして出る。修験道でダキニカラーである柿色の衣は辰狐即ち如意輪観世音を指すとかである。如意は「娘さんをイかせる」ものである。何度でも言ふ。ネタバレではない。大聖歓喜天のバトルアックスは、大黒の持つ打ち出の小鎚の原型と言ふのが南方熊楠説であるが、その打ち出の小鎚は如意と言はれる。

 歓喜天のご利益 南方熊楠によれば、「美しい童女をして別人に嫁ぐを好まざらしめ」、「夢中に童女と通じ」、「童女を己れ一人にぐいとこさせ」がある。後家さんも惚れさせられる上に夫婦和合もいいらしい。
人を馬鹿にしてその妻女男女を取り、一切人民を狂はせ、市中の人をことごとく裸で躍らせ、女をして裸で水を負て躍らせ、えーと。「人の酒を腐らせ」がある
聚落人をみな戦はせ、敵軍を全滅せしめ、帝釈天に打ち勝ち、
貨財を求め、商店をはやらなくし、自分の身を人に見せず、人家を焼き、大水を起し、その他種々雑多の悪事濫行があるんだけどもたかが『十二支考』程度はオウム真理教へ入る際には読むやうな人が入るんだらうなぁとか。あとガネーシャは餅と瓢とバトルアックスと数珠を持つんだけどうーん。横溝関係では、アレが興きたころに新装版発行された『怪獣男爵』に関して新井素子先生がなんか関連を。

 ビナヤカの持つなんかのドーナツ的な「餅」は、男女が嵌めてる形の餅が入った巾着袋状で嚢の絵が描いてあるらしい。それを作って各戸へ持ってくとそこから自分のところへ富が来るとされる上に、南方先生がソレ作っただけで儀礼とかなしにその辺へ配ったところ嫌な顔をされたといふ。のでさういふ習俗が明治時代まであったらしい。鬼頭家あるいはお小夜聖天はかういふのやってない。勿論、ビナヤカ聖天に捧げられる二股大根はアイテムに出てこない。

ビナヤカ 摧懐部、野干部、一牙部、竜象部、おのおの無量の毘那夜迦を包有す。
「塗香を献ずる法闕けたるとき念誦人につけ入り寡婦を思わしむ」食香と言ふのが謎。

修験者の頭襟は大聖歓喜天と言ふことになってゐる。

お小夜の出自の可能性がどうたらと言はれるカンカン叩きに関する、安倍晴明といふ陰陽師(おんようじ)がどうたらは、陰陽師が、はい。
式神は朝鮮とかの人の、従業員を使ふ使用を超自然のものと解釈した説がどっかにあった筈。その草人と鬼頭の一族との関係は結局不明。

 科学が発達して啓蒙思想が浸透し、アレ蔑視を正当にやれる言訳ができたので大手を振って当然のやうに、島の太閤をたぶらかしうる人と、被害者予定の者が全員死ぬまで傍観せざるを得ず後で分析するだけの近代的な知性が直面してよい人をさういふのへ設定する。この辺は代へようが、編集部の責任において人権意識に照らしてどうのな部分をアレしようがどうにも。

 座敷牢が出てくるからって雑排をやるジェネリックレクターが出るといふベタなのはどうもあれだ。

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