蟋蟀を「ひじり」、タガメを「かうやひじり」と呼称した関係。
針女 濡れ女 磯女 ヨロズナセノ体系。「牛鬼」は家畜で、多分水棲で甲羅背負ってる。
土人 ニタ(類人猿のやうなもの 茸の傘だけ食べるらしい)ヒジリのゐる可能性。「日本では多民族がデフォで儂はソレを粉砕した人の末裔」といふ柳田説に言及する、小熊英二『単一民族神話の起源』沖浦和光『幻の漂白民・サンカ』であのー。「柳田君など諸君のいわゆる山人は、紀州でのまぁ類人猿的なやつだと思うけどそういうのの実在の証拠はない」といふ南方熊楠大先生のツッコミが―。何と言ふことだー 西川照子先生はアレをナニして南方文献の中に出る「ツチトリモチ科の植物」(は根っこが金玉に似る)とキュノモリウム・コクティネウム(鎖陽 は形状その物が陰茎に似る)が容易に区別できる旨(南方先生の死後云十年たって、鎖陽はツチトリモチ@蛇菰科から別の科へ移動)をこいてゐる(河出書房刊 『南方熊楠コレクション5 森の思想』P358)と言ふのにー
イザベラ・バード(後ビショップへ改名)の日本土人てふかアイヌ観。ガキを可愛がる。なほ、祭礼での和人のおガキ様を構ふ様について「信仰」とすら言ってゐる。アイヌは、その辺の土人よりましで、明治政府も、アメリカのインディアン政策などに比べればはるかに人間扱ひをしてゐる。
グローブトロッターの関係を使へる人で、自身を対象化し、「横浜の毛ゴフッあるあるを編集した「クソババア」としてイザベラ・バードを紹介し退去を促す伊藤鶴吉VS彼を無視して異人のおばさんを見に集る民衆」を生暖かく見てたり「ここのお祭りの中で一番の出物はI・バードという異人であった」とか書いたりしてるこのをばさんも、ものすごくときどき「愛しのヘンリエッタ(妹だ) お姉さん日本の人にガン見されて凹んでいます」と。まぁさうでせうね。
いいけど通訳の伊藤さんはアイヌを蔑視してゐる。犬―
アイヌの義経信仰は、和人に知られたら拙いらしい。ただ、ここは祠があるのに対し他の狼神だかクマ神などはさういふ施設を持たない。ただ礼文 平取、有珠の辺では
義経以前からその辺までに、金属とかも加工し得るアイヌ文明が花開いた。でも義経以降の和人が、その文明をごっそり持ってった(東洋文庫の完訳版『日本奥地紀行』第三巻P125)。とするが、ジョン・バチラー『アイヌの伝承と民俗』みると、沙流アイヌの人が、「その昔アイヌには大文明があって文字もあった」が、源義経といふ人が、「とらのまきもの」といふアイヌの機密文書を持ってったので、そっからダメになった(『アイヌの伝承と民俗』231頁)、とあった。あー。バチラー大先生は「アイヌに文字の文化がない」説の人。
江戸しぐさを行ふ、士大夫としての江戸っ子とその消滅伝承はすでに明治十年代に。東洋文庫『日本奥地紀行』北海道篇は第三巻だ。『雅歌』の引用が、えー、いいや。
I・バードはアイヌの漁労関係の祭りを「サトゥルナリア」と称してゐるが、えーと、佐々木高明説で、イヨマンテなどにメソポタミア起源の(西アジア辺でアフリカ系と接触した)農耕文化のにほひはするらしい。でもたぬ飼ひや熊の飼育には餌箱とかを指すタームがあるけど、大陸のナラ林文化圏にあるスワインハードは島になんかあの、方言辞典で収録された「豚」は北海道の結構な収録地の大体で「PUTA」だし。そしてそのナラ林農耕文化は義経公の死後辺りに崩壊する(定期)。
フレシサム 紅毛人を指すけどもなんかの亜人的なアレとして。亜人(人につぐ)とこきながら高い文明を持つとか。普通はコシンプとかパウチやオササンケカムイ(裸族)、コロポックルなんですええさうなんです。