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ロボで昔で何とかで

『衛府の七忍』的な多民族観。
 こちとらは御大のごとき大御所でないので、漢字「太陽」の字音仮名遣「たいやう」と朝鮮音「てやん」て似てるよね的なものをやる。無明(むみょう 朝鮮音でも「むみょん」)とか怪物(カイブツとグエムルは似てるよな)は漢字表記で統一されると言ふのを、あうあう。

 信州と言ったら、
 「葉隠村はなぁ、後明治時代に自由と民権のためにやくざ屋さんがテロやったとこなんだに」
とか、
「俺ぁが前、醜根羽通り過ぎた時は、なんとかって共産党の先生でそこ出身の方がお亡くなりになったころだもんで、葬儀にだだくさもない(大量に)共産党の衆が、来とって葬儀場のある辺り通るのに大変で」
とかの可能性がある。

 ロボットの呼称はヨロイ(『天羅万象』と言ふゲームに出てくる かっこいい)より具足のがいいな。

 てふか、駿府城は鎮鴆城とか(山口先生的と言ふよりクレしん的だな)。
 名刀第七鎮鴆丸はいいと思ふのだが、鴆毒を入れたる印籠は、三つ葉葵のご紋等でひれ伏させると言ふ権威が南洋の土人の信仰、ハワイのカプーなどの系統のものであり、ソレを冒涜してゐるはずで、やると六根マグナムがくるので(設定がどうあれあっちのブロッケンが壊れたらぢゃあ「諏訪でGガラン菩薩として崇拝されてる」のでとかで)。

 あさりよしとお『戦国機甲伝クニトリ』での、「儀礼用のロボット」説を何とか。

 そんで「ご都合主義的な技術者としての鍛冶屋」になるやうなものとして、朝鮮系のアレとしての物部氏が。あと物部氏が「なんぞアルビノの鳥」を拝む信仰とかを伴って、僻地へ負け出たと言ふ可能性が。

佩蛇の俗 なんか。

 手塚治虫『火の鳥』 あーうー。角川版しか読んでないので講談社の全集版を見ると結構、これもいいわ。

 コスモゾーン的なもの。アレがなぁ。惑星だったり恒星だったりなぁ。

此処のデフォに仏教的ななんかはなく、ただ地獄としての輪廻転生が展開し、御仏の獅子吼も「ノモスを操るための機関」に過ぎず、十二神将とかが異教徒を粉砕する。

 ロビタさんと猿田彦さんは除外するとして、クローンの南米関係はー。ううーむ。てふか設定に無理が。哺乳類どころか支那でおさるのクローンが。毛沢東のクローニングまであと一歩(ゴルゴ13でさう言ふのがある)といふときにー。

 霊界 亜空間的な何か。『鳥人体系』とか『W3』でも書かれる、利権とかが渦巻く高等の存在は、外国Aで、ハイヒエラルキーぽくない。

 癒し處 一桁世紀の後半辺りをぐるぐるしてゐる。八百比丘尼さんは御大の女性への嫌悪と憧憬とかが多分両方見られ得、琵琶湖の北のあれは、結構広いけども、手塚作品にいやってふほど(きりひと賛歌に出てくるとは恐れ入りました)出てくる「カプセルへ閉じ込められる女性」シチュのバリエーションの筈。

 と言ふわけで、江上波夫大先生の騎馬民族渡来説(お百姓文化圏であった秋津島へ騎馬民族が四世紀にやってきて国作った)は、えーと。これやると秋津島にスーツと屠畜が入るんだよ。旗包のアオザイ的な何か!!と去勢が!!来る。

 三島由紀夫説の「火の鳥の手塚治虫=民青の犬」としての部分が、なんかある。全部でないけども、なんか。

 鳥と犬はなんかコンボとしてあれしさうななんかが。

  古墳が純国産であると言ふ点とか、多分、江上波夫先生以外でも一桁世紀前半にはなにがしか朝鮮かどっかの技術者が来てたんでは説が出てさうな、アレを無視するやうなナショナリスムがあってもだ。多分。

立ち上がる民衆が、うーん。あとスサノヲの辺りもー。樺美智子を犠牲として盛り上がった安保闘争を見てなほ、リテレート手塚治虫は、理性の範疇でのデモを描き、ある種の祝祭的なあれを拒否する。ああ言ふ形で鎌倉のもののふが黒電話で通話しててもいいのだが、なんか。「天狗=テングザルをモデルにした説」のやうなものは南方熊楠も(タヌキの金玉がああなったのはインドのクバンダの影響とか、支那や日本の猩々やヒヒの造形にナマケグマが入ってる可能性を示唆するなど)やってるが、うー。

 ナラ林文化の流入。こっちは多分紀元前。

 『Beast of east』 安倍晴明とかがゐる時代に、秋津島のナニが、インドまで行っとる。まぁ在日も支那人にアラブ系とか西欧系とかゐるわけだし。

 妖精さんは「ミネラル妖精」がゐるわりに、「金属が苦手」な件。『鬼灯の冷徹』で金属アレルギーの獄卒が出てきたが、アレは重厚な文化を現代に照らし、ソフト化され達磨か芋虫の如くなったアレではなく、へたするとなにがしかをガン見してパロディ的に見せたもの。
ジャッカルは、夜、太陽の載る船を引くとされ、古代エジプトではウネシュビアと呼ばれる、金属を乗せて引いたらしいそりにジャッカル頭の彫刻がついてゐたさうである。
エジプトで、金属系となんか関連するとかのイメエジがある他、確か、禅僧の周りでもふもふしてるとかのあれがあった筈。野干に「クツネ」の訓がある。

 わんこと言ったら、麿眉(目とされる。四ツ目は霊的ステージが高いものとされたらしい)の犬を車で轢いて清める儀式があったとか、「器」が、神の御言を預かる口(サイと読む)とそれを清める犬を書いたものであるとか、さういふ白川静説を。

 犬と娘さんは、「経血を舐める」犬との関連を説く宮田登説の他、南方熊楠説で、「生理用品入れ」としての犬型の器があったと言ふのが。

 牛鬼ー。介者である。娘を伴ふ。血を啜る的なナニがある。捜すと「人間を助ける牛鬼傳承」がある。民衆と化生のものが立ち上がる際の馳せ参じる牛鬼さんの背中にぢぢい乗ってるけど無視しよう。西日本は「駄獣と言ったら牛」文化圏だから西日本で、と思ってると、英国の妖精馬は人を困らせるか殺すけれども、大体妖精牛は人の役に比較的立つ(英国人は××みたいな人なので、屠畜は普通のお百姓がやる。でお話では「マイケルさんがどっかから拾ってきた魔道牛が、お婆ちゃんになったのでそろそろ肉にしようと思った」處ばあさまは一族を率ゐて牛小屋を脱走し、実家へ帰る)な。

 あの「ユダヤ人の王(笑)」(中村光『聖☆おにいさん』)とされるINRIは、
Igne Natura Renovatur Integra(自然はすべて火によって一新される)
の略称であると言ふ説がある。
ヘブライ語のJamaim Nor Rouach Jabashah(水 火 空気 地)説の方はいいや。

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