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河童に拘る@オルタナテヴ歴史

 百万回言っても右の耳から入って左へ行った際忘れられる者として、「明治時代から「日本は多民族国家だから東アジアの頂点に君臨しうる」という神話があった」がある。

 多分、瓊瓊杵尊が真床襲衾で簀巻きになって落っこちて以来、秋津島の人は「一億総ナントカ」を受容しないので、二万%有効かつ、やってりゃ潰れる「ホモジニアス(単一)なNATION(国をでっちあげる繋がり)」を、根性で拒否する。島国の人特有のナニかと思ったら、古代の支那は混成なクレオールが出た頃も混ざって無かったさうである。

 D・マッカーサーとかはその辺のナニに関し理解してゐた筈であるが、東アジア人は近代的ノモスにおける国への帰属が解らないらしいので、ぢゃ憲法22条第2項国籍離脱の自由(あの、謝蓮舫大先生が国籍についてGDGDなのは、先生が法的な規定としての国籍を理解できないため。さう言へば銀英伝のヤン・ウェンリー提督閣下は、ノモスに対して冷笑的であった)の保障は別にスルーなわけであるが、二万パーセント有効で土人もゐるやうな、ある種の別のノモスまでゐるらしいジャパニーズへホモジニアス・ネイションをとやった際、それまで「12歳の少年」としてGHQを解放軍呼ばはりまでした(旨は岩波文庫「拝啓マッカーサー元帥様」に詳しい)秋津島の皆さんは、15の春を迎へ、盗んだバイクで走ったり校舎の窓ガラス壊して回ったりした。

 松本の如何はしいメディア屋さんへ行ったら、出海まこと「邪神ハンター」が小説であるにも拘らずビニールパッケージされて売ってた。買ったら福耳が付いた乱丁本だった。
その本の中で、天使が武術を教授すると言ふのが出るが、そのネタ元の旧約のナニは川の神との交渉であるといふ説がある。そんで、南方熊楠によれば、河童が武術を教へた話があるさうである。でも河童はなぁ。五品とかだよなぁ。若干パウチが水辺にゐるっちゃゐる程度で。

 なにがしかのHOMOGENIUS NATIONとの接触。さう言へば大正時代に単一民族論が一応日本でまぁあったっちゃあった。大東亜戦争なくてもいい可能性があるわけだった。戦後やるんだったら、準戦勝国人としての河童とか。

 南方熊楠は『山人外伝資料』『諸君のいわゆる山男』で、柳田國男大先生他の唱へる「本州土人」について、「RACE」と分析し、てふか「君たちの論理で行くとき衆の田辺の山奥で、褌いっちょで走っている南方熊楠という人も土人ということになる」とかも指摘し、遠野物語辺りからの本州先住民論 等なのだが微妙に読んでないのよ。を批判してゐる。厳密には、山爺あるいはニタと言はれる、おさるだか何だかはシイタケの傘のみを食ふと言はれ、その被害が何となくあるといってゐる。

 河童系とコマビキ系に分かれる可能性。

 カシャンボが渡米して(ケンムンだかキジムナーが渡米したといふ話はある)ナニする可能性。あとロビー活動はできれば。
 「池袋ウェストゲートパーク」に見られる、ノモスの相対化とアナーキーかつ多様な世間様的ノモスが重層的かつ有機的にある空間。

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