話はタイトルのとおりである。
そも読者がいるとは思ってもいないが、独り言なので気にしないようにしておくとしよう(本音を漏らすと、少し寂しくはあるが)。
ここでは掟Ⅱをもとに話を進めるが、キャラクターの名前でわかるとおりこの物語は神話的要素を多分に含んでいる。私がそうであるように人間はこれまで数多の物語において神の名を拝借している、なぜか。その名に畏敬や威厳を感じるよう我々が創造したためだ。だが現実に名前の由来通りに生きている者がいるのかといえばそうでもなく、他方物語では名前に過剰なほどの意味を含ませるのが通例である。名づけとは一種の契約であり、相手を絆で縛りつける行為であることを、私は自覚しながら名づけるようにしている。なかでもアクイラとリラという名はそれだけで示唆的であろうし、国と人種も調べれば意味は簡明に氷解することであろう。そこには創造者のエゴイズム的側面が言語的に表現されているし、それこそが私を「私」たらしめる音形となることは皆が知るとおりだ。ゆえに、軽率な名づけはその対象者を軽率に扱うことと同義であるし、親の意思など無関係に名は祝福の証にも呪いにもなりうる。名づける者たちすべては、これを胸に刻むことだ。いつか、創造者によって生じた子らが創造者に反逆し、我々を死に至らしめるやもしれぬのだから……。
けれども、私は私の生み出した子に殺されるのなら、どれほど幸福なことであろうかと思わずにはいられない。決して届くことのない一方通行の愛が、報われるその瞬間を夢想せずにはいられない。創作者諸君ならば、そう思うものではないだろうか? かくして私たちは、不安に杯を満たしたこの世界に、呪いをかけたのだから。