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綵花の音について

格好つけた表題だが、大したことを書くつもりはない。
気まぐれに彼女らのイメージを形作る参考とした、私の趣味、好きな楽曲についてただ語る。貴方たちは興味があればYoutubeなりで触れてみてもいいだろうし、興味がなければ触れなくともよいだろう。


1.「cero y uno」(binaria『diez』)

ある終点とある始点は独立しているものではなく、繋がりを保ち存在を維持している。対の概念というのは、完璧な対称ではなく限りなく微細であろうと差違の有るものなのだと、そんなことを考えながら聴いていた。


2.「星座」(Suara『アマネウタ』)

誰かを一途に愛し続けるという行為の裡には、一般的観点からして多分に狂気を含んでいることだろう。時折思うことがある、人は表現として死人を星に擬することも珍しくはないが、所詮星の上に存在する私たちは既に星の一部であり星そのものとして存在しているのではないかと。時に人が天上の星に焦がれる性を持つのは、生得的に巣立ちを欲しているためであろうか、その嫉妬心ゆえに。


3 + 4.「ombre」(anNina『ombre』)

もしも仮に、人は何故生き続けるのかという問いに答えるのならば、死へ向かうために生きていると答えることには十全なる説得性が有ると思う。生への渇望――意志力――とは、一種の希死念慮と言って差し支えなく、それは人が抗い求め行為するために不可欠な要素となることだろう。


5.「i」(lasah)

「他者のさいわいを祈る者は既にさいわいな者である」、というのは私がたった今適当に思いついた言葉であるが、存外妥当性に富んだものではないだろうか。或いは、「さいわいなることを求めた人がさいわいである限り、わたくしもまたさいわいである」と換言すべきかもしれない。幸福を齎すものは、ある意味では物質的だが私たちの主観においては精神的なものだと、そう思いはしないかい?


6.「海月」(Endorfin『Horizon Note』)

私たち人間の世界すなわち環境と、動物たちが創り上げた環境に対立があるという話がある。主体とは、いずれも主観的現実だけが存在する世界に生き、この環境――環世界――が主観的現実に他ならない、というのがドイツの生物学者ユクスキュルの“解釈”だそうだ。海月は器官を持たないのに睡眠を取るというが、もしあれらに僅かでも意識が有りうるなら、海月はどんな夢を視るのだろう。


7.「チョコミント☆ラブ」(夢乃ゆき『color code』)

私は未だ初恋すら知らぬ身であるが、恋という感情については頗る興味深いものがある。言語的な観念は人間により同綴異義となるものだが、思うに恋を含めた他者への感情を成立させるのは非対称性である。それはさておき、好意と恋心は時に同一視されることがあるらしいが、男性より女性の方がよりこれらを区別するという研究結果がある。理由付けとして考えうるのは、生物学的に相手の選択権を持つのは雌であることが多いという点もあげられるのだが、あまり語る気はないので、詳細が気になる場合は『好意感情と恋愛感情の混同 進化心理学的アプローチによる実験研究』という論文を調べてほしい。余談だが、私は未だに『ガチ恋』という言葉が真に恋心なのかネタなのか痛い勘違いなのか承認欲求なのか、適当な定義が解らないので有識者は是非教授してほしいところである。


8.「花の名前」(binaria『ALHAJA』)

名付けとは呪いの付与である、といった話を以前したことがある。
ともあれかくもあれ、花に対して人間が付与した言葉――花言葉――もまたその一種であると私は確信的に解釈する。もしも花に意識が生まれたのなら、自分の存在に身に覚えのない意味が付与されていて、定めて困惑することだろうが、残念ながら現実には花は喋りもしなければ意識らしきものも持たないのだろう。もしもそんなものを持つ花が在りうるのなら、それは人為的に創造された『造花』でしかないに相違ない、多分ね。


一つは知っている楽曲もあっただろうか、恐らく無い人間の方が多いので知らなくても問題はない。いずれにせよ、これらは私にとって大切な作品であるし端的に言って好きなものである、趣味の共有とまでは言わないが共通の好みを持つ人間が見つかることは私にとっても好ましいことなので、今度、私の好きなものについて少しだけ語ることにしよう。ただの暇潰し、気晴らしとして。

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