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何の役にも立たない星の話

 私たち人間の歴史に最も深い関係を持つ天体「太陽」は、ご存知のとおり時間の把握において常に重要な役割を果たしています。それは「暦(こよみ)」が「日読(かよ)み」から転じて生まれた語であるという説からも窺えます。現に、日本神話においては太陽を象徴する女神として天照大神が登場しておりますし、その他にも太陽の化身として八咫烏なども登場しております。ちなみに、八咫烏の元になったのは中国の文書『淮南子』などに登場する烏なのではないかと思われます。なぜ太陽が烏と結びつくのかというと、その理由は太陽の黒点にあるのでしょう。このように古の人々が空想によって現代にまで語り継がれる物語を創り上げたという事実には、感慨を覚えてしまいます。

 さて、今回軽くお話したいのは星の和名についてです。実は日本には星の別名が多数存在しているのですが、皆さんはご存知でしょうか。例えば、プレアデス星団の和名「スバル」は有名だと思いますが、その他にも「六連星(ムツラボシ)」というものがあります。このムツラというのは主に東日本での呼び名であり、六つの星が連なっていることに由来しているのは字面のとおりです。さらにそこから訛ってムツラがムヅラ、ムジラ、ムジナ、ウズラへと転訛したことで「ウズラボシ」という呼び名も存在していて、思わず笑えてはこないでしょうか。それほどまでに日本には膨大な星の名前が存在するというのは、人間という存在の天上へ敷かれた瞬きが生活の情景として馴染んでいたがゆえのことでありましょうし、それゆえにこれだけ大雑把な呼び名の転訛が発生したのだと思うのです。

 現在の日本では星空を見ることさえ難しいので、プラネタリウムのように星を美的に絵画的に眺める人も多いと思われますが、少なくとも毎日星々を眺める人々にとって星は日常の一部でありましょうから、星だけを切り取って眼るということは殆どなかったことでしょう。星と自然、星と人、そんな風景との組み合わせのなかに星を無意識的に眼るからこそ、星々の名には人々の生活に身近なものが引用されている。そこにはやはり個人の空想ならぬ、人と人の繋がりにおいて生まれる「物語り」があるのです。人間は「物語」らずにはいられない生命体であり、その観念のうえに私たちは存在している、というのは大袈裟かもしれませんが、七夕のようなおとぎ話や星座のギリシャ神話を見るだけでもそこに物語が在ることは自明と言ってよい気がします。

 こんな現代社会において資本主義的に成功する上で何の役にも立たない星の話に興味がある方は、『日本の星名辞典』という本があるのでお薦めしておきます。天文に関する大まかな流れが気になるというのなら、『天文の世界史』というものもあるのでこちらもセットでお薦めしておきましょう。別に宣伝というわけでもないですが、人が好きなものを共有したがるのは珍しいことではないので、これはそういう享楽だとでも思っていただければ幸甚でございます。

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