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なろう読むのレビュー

 中毒になるから避けてるんだけど。そのレビュー気持よすぎって貰えた。2つのレビューあって1つはキチガイで嫌悪感漂う人物って書いてある。ただ消すつもりは無い。この手の評論って何が悪口なのか?って簡単には言えないと思う。罵詈雑言だから消すとかそういうものじゃない。根本的に規約に引っかかるのか?と見てるから。悪い感情に満ちた小説の感想とは違うと思う。くそ真面目に批判もこやしって思ってるわけじゃない。私は評論って文学的だと思ってる。ただ私の場合創作論が強い。これは哲学的な面が強い。エッセイでも無いし文学でもない、科学じゃない論理だと思ってる。後実際私はデータによって科学的アプローチで見てるからやや科学的な面が強い哲学。経験則が多いんだけどね。

 一応私は小説であっても悪いレビュー消すつもりは無い。その点カクヨムに批判的だから。でも私は感想をつけて作者が感想を受け付けない近況ノートのような設定で処理してしまえば良いと思ってる。レビューはもうクソつまらん機能だから捨てた…。私は感想に対する作者擁護大歓迎。良く感想によって磨かれる作者なんて理想論で語る人がいる。でもそれ全ての作者?となる。聖人君主の様なクソ真面目な意見。実際くだらない指摘は精神的に疲弊するだけだから良い指摘があってもデメリットが上回るからすべてカットしたいって作者不真面目だと全く思わない。善意の押し付けが悪意になってると思ってる。こんなものカットして良い。要するにそれを作者が自分で選択できれば良い。何故感想を作って設定によってアリなしにしないのか?疑問で一杯。私は読者のわずらわしいだけの感想なんてゴミだと思ってるから。欲しい人だけそんなもの貰えば良いと思ってる。カクヨムの作者保護の視点なら感想アリなしで解決できるから。これをやるとレビューが役立たずだと認める事になるから企画側の責任問題を恐れてじゃないか?と疑ってる。作者保護は設定で解決できるから。今更使えないレビューを使える感想で証明するのがいやなんじゃないか?本気で疑ってる。こんな意識低い運営は批判されて当然。

 そういう話じゃない。根本的に創作論の否定的コメントを小説と同様に扱って良いのか?と見ている。運営が気を利かせて私のもう1つのレビューを消してくるかな?と見ていた。出来たら消して欲しくない。はっきり言うと気分が悪い。私は嫌がらせでやったと書いててこれは本心。ただ私は動機と結果は違うと何度も書いてる。レビューによって再度私は読み直した。特に問題なしと無視した。動機は嫌がらせだと思う。ただ最後まで読んでこれは嫌がらせじゃないって結論ついた。全てを読んであのレビューなら誤解だと思ってる。それでも私は消すつもりが無い。それは謙虚さじゃない。創作論に対する批判レビューって小説の規約違反と同様に扱って良いのか?と見てるから。私自身個人にはやらないと書いてるから嫌な事してるのは分かってる。ただ企業ならそれを糧に出来ると思ってる。嫌がらせとして取るか?叱咤激励として取るか?は受け手次第だと書いて、それに嘘偽りは無い。私は最後まで読んで嫌がらせだと判断できなかった。

 創作論と小説の違いとして、反論と批評の違いだと思う。要するに私は感情的ではあるが批評ではなくて反論だと見たんだ。実際のところ感情の問題で気に入らないしか言われて無いのでそのあたり微妙だけど…。ただ中に書いてある内容の反論ならありじゃないか?と思うから。実際違うんだけどね…。はっきり言えば個人攻撃なので規約に触れる。ただまあ私自身が嫌がらせだと1話で書いてるので多少の事は目に瞑るとして個人攻撃じゃなくて創作論自体への不快として受け止めた。

 それは置いておいて、そんな愚痴なら書きはし無い。もう1つの嬉しいレビューだ。自分の文章の魅力が分かる人がいるんだんと感激した。過去にトランス状態で文章を何度も書いてて、私はそういう異常な熱量で書く文章がかなりお気に入り。キチガイって言われるのも分からないでもない。キチガイっぽいから。もちろん今回はそれほどじゃない。根本的に冷めてるから。あれで冷めてるの?って言うとそう。前はもっと盛り上がってたから。かつこのサイトではトランス状態ほど熱狂的にかけてる文章が無い。すごいぞとは思うけど、そこまではなって無い。理由がある。自分がハイレベルになりすぎて少々の事では盛り上がらなくなってしまったから。私自身がそういう他人の文章が好きだからが大きい。ただ表面的な模倣じゃない。本気で書いてる。それでもスタートは他者=作家に影響を受けたのが大きい。内容とか文体じゃない。どういう心理状態で書くか?その一点だと思う。多分病的。私は根気があると言うより執念深い。この2つは全く違う。そこに異常性が宿る。そういうのが多分出てる。

 問題はダイジェスト。これ難しいな…。みりゃ分かるけどノリで書いてるからな…。丁寧に論理的に書くなら直感を減らさないといけない。演繹法じゃなくて帰納法ね。直感で得たアイデアに従ってかなり強引に演繹的に展開してるから。事実を元に帰納的に書くようなタイプの文章とまるで違う。良くこれで論理になってるなって思って当然だと思う。私の中では普通に論理になってる。これを帰納法的な思考にして整理して編集するって多分無理だと思う。私の場合後から事実を知ってより深まるって形ですべて予言的主張ばかりだから。先見性といえば聞こえは良いけど、かなり確率的。ただ確率は高いと自分では思ってる。一応直感に交えて経験則を書きまくってるから。後データのアプローチの仕方が数学的じゃない。これは仕方ない。カクヨムのランキングでも話したけど、読者が少なすぎてまともなデータになってないと書いてる。こういうのを使いまくって私が主観で整理してるんだ。こんなの科学的じゃない。似非科学とは言わないけど、データは精度が上がればもっと良くなる。でも私は精度の悪いデータも使う。駄目なのは分かってて、今使えるものを使うって方針だから。これは科学的じゃない。

 後他にも問題がある。私の話はわざと広げるように書いてて、すべてが繋がってる。なろうの話だけまとめても意味が薄い。

 根本的に何が言いたかったのか?と考えてみると、なろうとカクヨムで比較した場合、非なろうにおいてカクヨムは基本負けてるって話し。一部カクヨムの方が優れていて、それは文章に魅力がある画一的じゃないファンタジーになる。ただこれ欠点も書いた。小説の内容のせいでランキングが機能しなくてまばらにしか良い作品が無いので外れが多い。次に根本的に異世界転生と違って小数派にしか受けない。これは作品の質と言うより多数派に受けないため企業サイトとしてはお金儲けに繋がらないから欠点だと指摘してる。最後に何がしたいか?良く分からない作品が多くてすぐに読書を継続できなくなって切ってしまう点。これが外れにも大きく関わってる。

 これはすごく大きいことなので抜き出して書くと、誰でもすぐ分かるような刺激ってのはパターンが少ない。個性的な作品って案外誰にでもすぐ分かるような刺激的な部分がうまく作れない。絶対に多数派に受けない部分がある。私があくまで小説の質としてランキングに対して批判的なのはここになる。あくまで小説の質であって、私がランキングに好感を持ってるのはライトでオタク的作品の気軽な楽しみたい読者には有効な機能だと見てるから。

 ランキングが機能しないんじゃなくて、少数派にしか受けないから上に来るわけが無いのと、次に個性的だからそれに合致する好みの人が必然として減るから。それは層の問題じゃない。極端な話し作家個人の面白さはその作家1人の面白さにしかならない場合もある。根本的に受け手の面白さを想定する娯楽重視の作品と較べてそういう問題が起こりやすい。後層の問題としてライト層は読みにくいだけだし、オタク的に刺激が弱すぎる。ゆえに多数派に受けないのでカクヨムの読者が増えるわけが無い。

 何度も書いてるが、企業サイトとして多くの読者を集めたいなら今の主流派であるライトなオタク層を強く刺激し無いと駄目。それは非オタク=一般読者へのあぷろーちによる差別化という選択肢じゃない。何度も書くが、ネットでは今ライトオタク層が多数派なので小説一般の一般層なんて少数派なのでその差別化を選択する事は読者を減らす愚行でしかないと書いておきたい。

 完全否定するわけじゃないけど、文芸や一般層に訴えたいならランキングは止めた方が良い。なおかつそういった少数派にアプローチするサイトを出版業の企業サイトがやるのはボランティア的なので私は批判的。カクヨムがお金儲けする集団だから否定的。そういった先行投資は商業的な失敗を隠す温床になりやすい。

 これはダイジェストではなくて結論では?ならそうだと思う。上に書いたとおりで過程をまとめるのは今の私の力では無理。しかもすべての活動の中でなろうを読むだけに絞った話ならなお難しい。

 なろうを読むから脱線するけど、私はなろうとの差別化で一般や文芸での差別化は逃避でしかないと厳しく批判してる。あくまで今多数派のライトオタク層向けで戦わないならそんなの企業サイトがやる価値を持たないと書いてる。私は多分変わり者だと思う。私は天邪鬼じゃない。多くの人は全く真理とは遠ざかる感情を元にした無意味な話しかしないからだと思う。私はヒトデナシ?と言うと多分そうかもしれない。私は感情的な意見にならないから他者と違ってしまう。

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