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自信が無くなって来た

 今更無責任だといわれても仕方ない。以前の私は情報不足だった。ワナビというものを知らなすぎた。多くのネット小説に触れる人はこれらの存在をかなり知ってるようだ。作者が足りない分は読者の楽しみで補う。これが私のカクヨム戦略だった。それに対する流れは完全に軌道に乗っている。ランキングに頼らない作品の選別。これがもっと強いものができればと思う。どういう風に考えるのか?分からないけど、他人の評価をもっと馬鹿にして良い。問題は姿勢であって、あいつの評価はゴミって思っても良い。優劣ってのは結局他人を落とす事からどうしても始まってしまう。ランキングは機械だからそれが平気で出来る。根幹にどうしても他者と争うことを捨ててはならない。これが今最後のピースがうまってない。多分嫌がる人が多いだろう。私はこれかなり平気。ぼろくそ言う嫌われ者の作品評価する人とネットで過去話していたことがあるから。評価に対する真摯な態度さえあれば私はほとんど感情的にいらいらしない。たまに好きな作品で傑作だと思うもの貶されてそれはさすがにと思った事はある。

 評価と感想の何が違うのか?と言うと、作品に序列をつけることになる。評価しないと絶対に作品選別する事は出来ない。これは他人と必ず意見の相違から争うことになる。悪い意味での評価者の馴れ合いは読者のためにならない。このサイトはおそらく評価者と評価者を互いに悪い意味で尊重してやり取りがコミュニュケーションにしかならないから評価文を見る読者はおそらく面白くない。評価者同士のバトルが見たいんで合って仲良しこよしを見たいわけじゃないから。(ただし一般文系の価値基準で)

 現状を批判してるわけじゃない。今じゃない将来的に多分このサイトじゃ駄目だろうなと見ている。実際それが問題じゃない。ほぼ完璧に私の想定どおりになってるけど、最後の一番目指していたこれは駄目だろうなと見ている。これこそが一番の目玉だから。ランキングに心を支配された文芸評論家を復活させたいんだ。ランキングに文句を言うというのは負けを認めてしまっている。そうじゃないあんな馬鹿なシステムこっちから願い下げだと言えば良い。昔の評価者ってのはそうだった。愚民の人気作ってプライドがあった。アカデミー賞は今でもそういうものがある。ディカプリオがやっとアカデミーを取ったのはおそらくそれ。世間の人気と言う価値観と違う価値基準。ランキングに文句を言うって評価者として気骨が無いんだ…。あんなもの最初から間違ってるから無視すれば良い。馬鹿で稚拙な作品評価しか出来ない人間のための面白ろ作品を選ぶためのシステムだから。

 実を言うと私自身が目の肥えた評価者の選ぶ大衆娯楽が面白くないので研究した結果なんだけど…。だから私はある意味ランキング支持者になる。自分達が面白いと思うものを素直に擁護する立場。ただその立場が幼稚な勉強不足の開き直りだと良く分かった。今でも私は全く面白い作品が過去と変わらない。ただ過去の様な擁護はし無い。機能としては面白い作品を選ぶものとして認めるが作品価値を序列化するものじゃない。なんと言えば良いのか。価値を決めるものじゃなくて、気楽に見て面白いと思うものを選んだ時、はずれだと思う作品が少なくなる選択システムだと思っている。

 もっとランキングで選ばれた作品なんて馬鹿にすれば良い。そして過去にも話したけど、ランキングの上位作品が偶然目の肥えた評価者が価値あると認めるぐらいの物はアル時がアル。それはそのまま褒めれば良いと思う。ただそれはランキングの正しさを支持するものじゃなくて、ただの偶然…。

 無責任と言うのは、読者が楽しむサイトになっても多分カクヨム駄目…。以前はなろうに対抗するための案を出していた。時間さえかければ作者も読者も充実すると思っていた。その見通しが滅茶苦茶甘いと分かってきた。そろどころかなろう自体さえ危ないと見ている。

 そもそも私は今のネット小説=ライトノベルのコピー戦略に批判的な面を持っている。コピー戦略自体に批判的より、いつまでも漫画物語として新鮮な印象を持つ作品を選ぶオタクに向けた出版社のやり方に否定的だから。ただ挑戦出来るなら支持したい。だから支持してた。しかしそれはリスクを受けるって意味で、リスク自体を考えると無謀だと常に思っている。作品って古臭いままで良い。これを認められるようにならないと駄目。創作が子供から大人になる事を認めるってなる。どうしても漫画物語が根底にもつ子供向けの部分と向き合う事になる。大人向けの創作として変化の少ない創作を受け入れるって事になる。実際は古典的でアリキタリな作品も日々進化している。

 そういった細部の進化は頭を使って楽しまないといけないんだ。いつまでも子供の様な姿勢で楽しめる作品を求めていちゃ駄目って話。

 私勘違いされてるのかもしれないけど。不勉強怠惰の開き直りと思われてるかもしれない。私としては悪いと分かってて飲んでいる酒みたいなものだと書いてる。だから私はアル中は支持しない。どこかでオタクはあまり好んで無いと思う。単純には否定し無いけど。

 根本的に一歩引いてみてて、確かに子供の時の様な新鮮さがあるけど、所詮自分は大人でこの子供だましには付き合えな切れない部分がある。本当に新しい物を作るのじゃなくて、新しく見える印象だけを操作する子供だましだから。実際新しい部分もある。ただいろいろイカサマ臭いと感じてしまう部分が多い。やっぱり詐欺っぽいんだ。

 私の立場が良く分からないと言うならそうかもしれない。私は先入観で出来る限りものを考えないようにしている。多分駄目だと思ってるけど、実際触れて可能性をきちんと見てみるまではもうラノベは駄目だといわないようにしている。ずっと前からもう駄目だと思っていた。それをネット小説がカバーしていたことになる。根本的な戦略は変わらない。それをカバーするのは作家の数になる。しかしだ、同じものを大量の人で作っても駄目な時が在る。次の作品を作る必要性に迫られたとき。このときは数のメリットが生かせない。大量の人間がひたらすら負ける戦略を選択してるんだから。だからってオタク向けじゃない作品は価値が無いし、意味が無い。これが分かって無い人が多くて、最後の決め手が無い。それに対抗するのがなろう系の作品作りになれて無い人。一度身について成功すると中々その人がオタク向けで全く違う作品を作るのは難しい。今の編集を診れば分かるけど、過去の成功体験にすがってしまう。

 私が以前AIは膨大なデータを蓄積する事で人間に勝てるか?の問題がこれ。人間ってのは若者が0から新しく始めるってのがすごく合理的になってる。若者じゃなくて良いのは、0の人間が豊富に居れば良いから。実際0じゃ困る。ある程度オタク向けを意識してくれるのが望ましい。じゃないと湯葉さんがまさにその条件を満たしてるから。そんな人は実はすぐに現れる。その人がオタク向けの作品を作れる人なのはかなり低い確率になる。どうやら手垢にまみれた作家しかネット小説界には居ないぞ?って新しい見解を得たら。

 こりゃオタク向けネット小説もう終わりだって見てる。後は時間との勝負。なろう系が出来る限り引っ張るしかない。それがかなりやばいと見てる。ゼロ年代に体験したエロゲ作家の末路に似たものになると見ている。読者が付加価値をつける程度じゃ多分補い無い。すべてはたった一人の新しいオタク向けの作者が明日にでも現れて解決してしまうんだけど…。その確率がとても低い話をしている。ただでさえ低いのにその確率が高い0の作者が見当たらない。

 実際0というより、なろう系はこういう作品でとか研究してどうやったら人気になるか?とか考えない人。もうその戦略は有効じゃないから。次にまだ自分の個性のまま作った作品が審査されて駄目と烙印を押されて無い人。これが私の言う0の作者。小説自体は書いて良い。投稿サイトに出していても良い。ただ審査されてないって意味だから。ある程度のまとまった数のオタクの評価?か複数回プロの審査を受けてるって話しになる。何度も書いたけど、編集の審査はどうしても1回2回じゃザル審査だから。それは編集が無能じゃない。漫画物語は序列をつけるのが基本大雑把なので簡単じゃない。

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