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サービス精神と娯楽

 何故作品の話が金ばかりなのか?それは違う。最終的に換金するだけで、本当の価値は人気ある。私はずっと人気を探ってる。商業主義的なものは創作では嫌われる。でも私はお金こそが娯楽性にとって重要だと気がついたから。ランキングをそのまま書籍化に置き換えれば分かるだろう。読者が楽しむためにはどうしたら良いか?この当たり前と思える事をきちんとやる作家は実は少ない。作家ってのはどうしても芸術派だというか個性を重んじる作家性の強い姿勢がある。娯楽性=客を向くって意味じゃない。ただ客に楽しんでもらおうの、楽しんでもらうが娯楽性の根幹にアル。それを相手の方を見ながらやる事が重要にナル。

 ゼロ年代のキャララノベとはナンだったのか?そういった作品が売れるという事は楽しんで買う読者がいる事になる。売れるように考えてる居ると自然と読者が楽しむ作品作りが出来てる。それは商業主義的だろうか?そうじゃない。その根幹はサービス精神にある。売れるものを意識して決まった型のものを作ると言うのは実は逆にお金に煩わされない作品作りが可能になる。純粋に読者を楽しませるって精神を発揮していれば売れるから。実は決まったものを作って売るって形は創作にとって金銭の事を考えなくて住むから創作にとって純粋になれる部分がある。

 こういうものを作ったら売れるか?と模索する時代ってかなり醜い時代になる。私はそれを何度も経験してきているから極端な商業主義への忌避の姿勢を嫌っている。客の方を全く向いてない金儲けの事ばかり考えてるいらいらする作品作りは実はテンプレが消えた時代にこそある。アニメの場合製作者は違っても企画者プロデューサーの醜い足掻き画面から見えてしまう。ラノベの場合編集のうっとしさがモロ出てくる。

 客の方を見ずに作ってる作品の裏にある金策に必死になる作り手が透けて見える作品を感じてない人にはわからない話だろう。私は作り手が客の方をきちんと向いてくれてる作品が大好きだ。自分達の事しか考えて無い作品作りにはいらいらする。

 お金が安定してる時の作品は私は良いものが多いと思う。その面白さの外にいる人間がやたらと不満を撒き散らすんだ。勘弁してくれってなる。魅力も分からずに的外れなことばかり言って。

 何かで見たけど、エスキモーは雪に関する語彙がすごく豊富らしい。それは生きてる背景が重要になる。1次創作ってのはこういう部分から書いていく。でもどうでも良いよなって刺激の弱い部分…。でもそれなしには生きてる背景の違いが持つズレみたいのを上手く表現できない。リアリズムになる。何故なろうは決まった西洋風ファンタジーに拘るのか?どうでもいい刺激の薄い話をストーリーからざっくり排除するためが大きい。斬新な世界観による刺激より、そっちの方が有効だと感じて選び取ったことになる。2次創作って壮大な集団による内輪ネタなんだ。

 根本的な所で何故なろうがランキングを駆け上がるのか?とカクヨムで運営批判がランキングをかけあがるのは似てるんだ。それはなろうを批判してるわけじゃない。その集団が比較に出来ないほど巨大なのとお金が動くからだ。私は商業主義的なものを嫌ってない。客の方を向いてサービスする物語を好んでいるから。

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