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ネット小説とラノベ

 カドカワはライトノベルを誤解させていると思う。ライトノベルはライトノベルと言うのはふさわしくない。オタクノベルと述べたほうが物事がすっきり分かる。そもそもカドカワって漫画ではまともに活躍してないくせに、漫画アニメからライトノベルの創設に関わってる。それは実のところカドカワは昔からオタク層を相手に商売してるんだ。カドカワの漫画アニメは最初からオタクの事しか頭に無い。カドカワのセンスがどうもずれてるのは、漫画を分かって無い。彼らは小説とオタク向け作品しかしらない。10代向けに作ったライトノベルが最初から10代のオタク向けだったんだ。彼らが大人になってラノベ読者になったわけじゃない。年齢層に時間的なずれがある。本来ゼロ年代に10代をターゲットにして爆発的に延びたなら10年代には20代が中心層になる。でも実際は30代が劇的に伸びてライトノベルは変わってしまった。これは新規の中年オタクが増えたと私は見ている。

 その事が何を意味するのか?単純に10代向けオタクを扱うような論法でラノベを話しても今は何も見えない。

 ネット小説とライトノベルを分ける考えが間違ってる。この根幹には何があるか?と言うとゼロ年代のキャラ文化によるキャラ小説=ライトノベルって流れを未だにひきづってる点。キャラをノベルで楽しむって文化そのものがタダのオタクの一過性の流行に過ぎない。ライトノベルが創設当初からオタク向けであるならライトノベルの本質はオタクの流行でしか無い。一過性のゼロ年代の流行を型にしてライトノベル=キャラ小説って見るのは間違ってる。結果的に見ればそうだし編集の方針も未だに変わってない。ライトノベルの本質はとはオタクがノベルに見せる氷山の一角に過ぎない。オタクそのものはキャラと言う断片的なもので図ることはできない。

 これはキャラ文化を否定しようとしてるわけじゃない。今でもオタク文化の王様だと思う。特に女性層はこの流れが顕著。ただ小説と言う形でキャラ文化の最高点が表現される時代のピークはもう過ぎ去った。

 ライトノベルは今何をすれば良いのか?分からない宙ぶらりんな状態にある。私はネット小説が次のラノベの軸にナルト言ってるわけじゃない。具体的な次の指針が無いならネット小説の流れに乗るしかないと書いてるだけ。それを踏まえてラノベ全体の問題として書いている。根本的にはアニメを通じてラノベの良さに触れたのでアニメに役に立たないなら私はさっさと切り捨ててしまえば良いと思っててラノベなんてどうでも良い…。私は小説が大嫌いだから。

 本当に文字が嫌いなら私は文章を書かない。私は物語を楽しむメディアとして小説が大嫌いなだけ。自分で言うのもなんだけど本当に文章を嫌ってる人間がこんな文章書けないんだけど…。単純に私は読むと言う形でこういった思索のようなものの方が小説より面白いと思ってるだけなので…。私が何故エッセイの評価に偏ってるか?ならそれになる。物語を文字媒体で読むのが面白いと思って無いから。文字による頭を使う事で物語ってあんまり私にとって面白い知的遊戯じゃない。

 ネット小説とラノベを分けることに私は意味を見出さない。おそらく単純な分類わけする人はラノベとネット小説を別だと見るだろう。だったらキャラに隠れて氾濫したゼロ年代のバトル文化をどう話すのか?となる。キャラも所詮はライトノベルの流行の一端でしか無い。これからもキャラへの刺激をお金にするってのはオタク文化の王道で王様だと思う。これに対して勘違いも多いけど、キャラ文化がラノベで衰退したのは、キャラの進化はキャラ単位にあって物語り無いから。キャラの進化でヒットする小説を大量に作るより、キャラを分離した部分で見せるメディアで大量に生み出すほうが向いてる。本質的に進化によって刺激を作るとき物語が邪魔ではない。ただ従にならないといけない。その中でラノベは有効なメディアなのか?との問いかけになる。すぐ分かると思うが否となる。

 じゃ何故そもそも流行したの?エロゲの失敗が大きいだろうな。エロゲは逆に物語りに偏ってしまったのに物語以外の枝葉が膨れ上がってしまい魅力が薄れたから。物語そのものを扱うラノベにその流れがきたのは当然。後物語を見せるのを主軸としてるからゲームとしてワンパターンなのもかなり不味いだろう。エロゲがライターに主軸を置いたのは当時のライターが有名になったので分かると思うし、FATEは未だにそれで食ってる。本来向いてはずのゲームが小説に負けてしまったのがかなり大きいと思う。これが逆転したのがソシャゲなんだろうと見てる。ゲーム側のリベンジ。

 決定的な潮目はISとSAOだと見ている。物語を生かしたキャララノベと前時代的なキャラ主導のラノベ。これが同時期にアニメでヒットしたのがすごく重要なポイントだと思う。ISはキャラ文化の終焉の合図で、SAOは物語を主軸としたキャラ文化の訪れを示してる。

 ライトノベルと書籍化されるネット小説に本質的な違いは無い。これが何より作り方自体が問題じゃなくて場所を複数創る事の重要性を語っている。もしネット小説が無かったらラノベの衰退はもっと激しかった。ラノベ=キャラ小説って設計図なしには創れない作家の末路がこれだ。本当に両者が関係が無いなら、書籍化は売れないし、かつアニメ化もヒットし無い。ところがどうだろうか?逆に最近のアニメ化のヒット作はネット小説あがりのラノベばかりだ。ラノベから作るための状況が整ってなかった。その証拠に後追いでノゲノラや問題児たちのようなラノベ初のネット小説っぽい題材のアニメがヒットしている。こういった作品はラノベじゃないのか?キャラが特別良くてヒットしたのか?違うでしょ。

 ライトノベルとオタク向けネット小説を同一視する考えは案外すっきりした考えになってる。現代次の指針を作れないラノベはネット小説が衰退したら共倒れになる。カクヨムってものすごく重要なんじゃない?実はそう。でもおそらくカドカワどうもイマイチ分かって無い。金だけは出してるから重要性は一応分かってる。ただカドカワが金の使い方に繊細さがないのは昔からなので。そういう所じゃないとメディアミックスってあの大雑把な戦略って出来ないと思うから。アノ手の大雑把なシナジー狙いの戦略って時代が変わって赤字企業になる典型の戦略だから。バブルで運が悪かったけど、西部とかそごうの駅拠点戦略と似てるから。使った金に対して多分カドカワ頭の労力があまり入ってない。根本的にはまだ編集がキャラでの成功体験を捨てきれないんだろうな…。

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