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ラノベ作家の能力

 私は創る事の能力についてやりたいんだと思う。以前からそれは実際創る事が大事じゃないか?と思っていた。でも違う。能力を見定めてそいつが金になるか?見るのは作家の仕事じゃない。多分私は編集の視点だと思う。どこかで違和感があった。私は別に創る事がしたいわけじゃない。自分には出来ないけど出来る可能性を持った奴を見つけたい。詳細な方法論は要らない。私が欲してるのは作品を作れる人材であって、実際の具体的な作品とは違う。これからできる未知の作品の具体的な内容を語れるわけないでしょ?って話し。ドワンゴの社長さんが特化した才能より組織には人間関係の上手さが伴う才能の方が使いやすいって話をしてた。私もそう思う。編集=優れた作品を見抜くプロじゃなくて良い。作品を作り出す組織の一員で良い。彼らの上回る見識が私にあってもまるでおかしいと思わない。

 その根拠もある。基本カドカワの人間は小説にベースをおきすぎてる。そこがミステリーとラノベをつなげたがる癖に繋がってる。ジャンプの編集より漫画について分かって無いんじゃないの?って見てる。そのジャンプも進撃の巨人を逃してる。

 別に編集を馬鹿にしてるんじゃなくて、作品と作り手の距離を近く見すぎてる。これはおそらく現場でやってるからそういう迷いが出てしまうんだと思う。その点はリアルなものだと思う。距離が近すぎると感情移入したりして逆に俯瞰した視点で判別できない。こういう事は度々アルのと、実際漫画物語りの難解さはそもそもまともな人間が考える事じゃない。

 根本的に因果より相関関係でさらっと見れない人間は向いてない。作家系の人間は見事に因果でものを見てしまう傾向がアル。明快な言葉を仕事としてるので思考に甘さがある。まず根本的にそもそも基本的に漫画物語のアイデアの部分の能力ってまともに能力といえるものが皆無。敢えて言うならその1作品を作ったのは紛れも無くその作家の力だと言う点。その力が次の受ける作品を作れるか?は別。基本的に大半確率で決まるのだから、作家で選んだら駄目、作品でしか選べない。良い作品はある程度ヒットが見込めるが、良い作品を創った作家が次のヒットを作れるか?は0に近いぐらい関係が無い。

 アイデアの大半は偶然だから。多分将来脳の機能が分かってくるとそうじゃないのと、ラプラスの魔なら理解できるのかもしれない。現時点では微妙に確率的な優位性が認められる能力、大半偶然。以前から受け手に原因があると書いてきたけど、そもそも人間の脳自体がアイデアの部分で偶然性が高いので能力として通常人間が認めるような力じゃない。勝率で考えればよい。平均的なラノベ作家で勝率0、1。10本作れば1本ヒットが出る。これが0、15たたきだせる人がいたらそれは能力になる。そういう類の物でしか無い。この0、05は多分判別できない。よって100人ぐらい作家が居て0、2をたたきだせる人が居てやっとこの人他とは違うヒットのアイデアの能力を感じる。って見れれば良い所だとおもう。通常偶然で片付けたほうが早い。0,05は前もって見抜く力じゃなくて、作ってみたら結果この人勝率良いなってものになる。

 テンプレにそって作るってのは、人間の能力の引き上げをする。簡単に言えばこれはカクヨムで運営批判したほうがランキングが上がるでしょ?って話と同じ。皆分かってるじゃない?それを小説でやるだけになる。運営批判してる人はランキングを押し上げるから天才的な文才でもあるの?違うでしょ?今受け手が欲してるものがもう分かってるからそれにそった作品を作る。これってアイデアの能力についてちょっと違う部分を作ってしまう。それを否定しようとしてるんじゃない。これらの成功者がそのテンプレ以外の作品を創って成功する事は可能か?って話をしてる。それは可能だろう。しかしヒットした成功の結果と較べて著しく低い結果になる事は想像が出来るだろう。

 私はラノベ作家としては能力が低いと書いただけで、その他のジャンルについては最初から眼中に無い。それは何度も書いてるけど、ネットの多数派がオタクだから。ランキングって機能によって優秀作家を見つけ出すのにラノベ的作品以外向いて無いから。ランキングを機能させる十分なライト層がネットには存在し無いので、あてにしない方が良いよ?ってずっと書いてる。カクヨムに居る一般層の大半は作家崩れか?読書オタクだから。ライト層じゃない。彼らの価値観は雑多な集合になるランキングで計るのに向いてない。

 あくまでライト層(作品の途中からはライト層は言えないかもしれないけど)として非ラノベ作品の評価もしてるけど、飛びぬけた作品は横浜以外あんまり感じられないと書いてる。ただしあまりに層の薄いSFファンタジー以外はあまり見てないのでそこは知らないけど。

 未知の作家と言うのは何をやらかすか?分からない。だから私はそれが必要だと書いてる。当然逆にとんでもなく能力が低い作家もありうる。ももたろうとか書いてきて面白いでしょ?ってもある事あるんだ…。実際魔法科の作家さんの根底はそういう部分があるから…。プロの中では偶然だと思う部分が強いけどとんでもないレベルの低い人も居ることはいる。実際未知の作家に能力を期待してるわけじゃない。何を作るか?想定できない。ここが壷になってる。コピー戦略を打ち破るには前もってどんなものを作るか計算しない方が良いんだ。次の問題でその人がオタク向けを作らないといけない。この2重の縛りこそがポイントになる。大半のラノベ以外の作家は後者のオタク向けを作らないといけない。ここが全く問題にならない。だからテンプレコピー戦略に批判的な意見を述べれる。後はリアリズムの問題もあるけど。それ自体はミステリーやSFなどのジャンルの縛りと似ているから。

 私が既知の作家に期待して無いのは、テンプレコピーをする前にはその作家は多分自分のそうじゃない個人的な作品を作っていたはずなんだ。それが認められないからテンプレコピーをやる事になったと想定してるから。なろうで活躍してる人の中で、過去公募に望んでいた人がかなりの数居るから。その時なろう系をその人は作っていたのか?

 これはなろう系は無理矢理型にはめて作ってるだけだ、そういう批判をしたいわけじゃない。作るときこんなものを指針にすれば受ける。ってのを知って自分の中で上手く消化して自分の面白さにきちんと解釈できた人しか多分受け手無いと思うから。私が見る限りはこの人表面的に創ってるわけじゃないと面白い作品ほど常に感じてるから。つまらない作品ほどみようみまねでランキングあがりたい根性しか見えない作品が多い。感覚的だけど…。

 コピー戦略の批判とは真逆。単にその方向とは違うものを作る必要性が出てきたから書いてるだけ。

 判断材料は過去の流行の衰退の傾向分析のと比較。細分化、高度化(自分でも創れそうって作品が皆無な点)、複雑化(ごちゃごちゃしてややこしくなってる)、他ジャンルとの過度な「融合」が見られる、シンプルな形への原点回帰先祖帰り(酷い時にはシンプルな異世界召喚に近くなる作品も見受けられる)。最後の点で私は数多くの1次創作の様な異世界転生が作られてると思うけど、その大半がただの古典にしか見えない。でも作家はそれを古い感覚で書いてるのか?疑問がある。今の異世界転生ブームを意識して書いてないか?と見受けられるケースが多々あるから。これらが広がりを持つ次の時代の進化に繋がってない。逆にどんどん先細りを感じる。最後の決定打は元々あったシンプルな異世界転生物に較べてつまらない。何故それを主観じゃないと思うか?と言うとこれは推測だと断っておくけど、なろうの読者はどっぷりつかってるのと好みの中心なので衰退してる状況に鈍感だと見てる。私一人がノアになって洪水が来るって叫んでる形になる。そしてその他のなろう系に関心が無い作家はそもそも何が起きてるか?分かって無い。

 未知の作家の参入がオタク向けでは皆無だと私は見てる。これがネット小説はもう駄目だって根拠。

 2つのケースがあって、コピー戦略とずれた作品を作る。次のコピーの流れ起源となる作品を作る。この2つの作品のタイプで後者の確率が異常に低いから。前者が魔法科で、後者がSAOになる。魔法科が何故SAOになれなかったか?と言うと魔法科の世界観はあんまり影響を与えてない。設定部分のクドイ説明はもしかしたら影響を与えてるかもしれない。ただラノベは元々結構設定がくどい作品が多い。ゲームファンタジーって大きな流れに魔法科の世界化はまるで影響を与えてないどころか、魔法科の魔法って点で繋がった部分の方が逆にある。魔法科が逆にSAOの時流に乗っている。

 ちょっと勘違いがあるけど、ライト層はSFが嫌いというのでクドイ説明が嫌いと決め付けてる人が居るけど、実は1から10まで細かく説明してくれるって分かりやすさに繋がってる面もある。ライト層の中でSFが毛嫌いされてる理由は簡単には分からないと思う。

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