• 創作論・評論
  • 詩・童話・その他

なろう系とゲームバランス

 ライト向けはリアリズムに拘らないからライト風だからなろうは特別なんだと見ると思う。違う積極的にリアリズムを壊してるから過去の作品との作風の違いが出る。相関関係では見えない因果関係の部分。じゃリアルに描いて気持ちよくなったら?どうだろう。微妙に違うんだよな。それは多分ゲームじゃない。例えばベイビーステップってテニスのアニメがある。初心者がプロになる言うステップを丁寧に描いてる。ただその道のりはまるでゲームじゃない。異常な成長率はアルけどまるでリアルに上手くなってるような努力の数々。成功者を逆算してスタートから見せてる感じ。それが理想なんじゃないか?ゲームって根本的に違う。それを説明するのはかなり難しい。実際テニスもゲームなんだけど…。その点はバランスを欠いたゲームはリアルより苦痛だと書いた。カイジとかああいうの創造すれば良い。客を意識して見せるゲームはプレイヤーは苦痛が多い。誰かに見せるんじゃなくて自分が楽しむゲームってのはそういうのと180度ぐらい違う。根本的になろうの楽しみ方は一般的な視点とかずれてる。カイジとかが本来の創作らしいゲームの見せ方だと思う。

 これが前回考えていたことなのか?なら違う。SAOとか能力とか考えて忘れてしまった。多分一部は出せたと思う。エロゲからMMORPGに変わっただけとなる。ゼロ年代と10年代は同じもの扱ってる。ならその延長でゲームで解決か?と言うとすでにソシャゲをとりれてるひとは多いけどイマイチ上手く行って無い。学園と異世界ファンタジーってものに較べると世界観がしょぼいから…。

 後オタクも一枚岩じゃない。その点微妙な結果論で決まる部分で、同じ好みが全員揃ってるわけじゃない。この幅もかなり難しい部分。

 カクヨムが将来駄目になるのと、なろうが将来駄目になるのは意味合いが違う。創作論はまず過去の分析から始まって、そこから考えられる未来の見通しでこっちはおまけ。あくまでこれまで起きたことの整理こそが重要。何故ならあまりに細かく未来予測で切るなら私それに従って何か作るから…。どういうタイプの人間をチョイスするか?そこまでで、そこからはその人個人の力量になる。私は自分でそのタイプじゃない。根本的にラノベ作家というものが多くの人が分かってないのは、コピー戦略が間違ってると思う事。これは違うコピー戦略しか作れないの間違い。ただ小説を書くのとラノベでオタクに今受けるものを書くのは違う。ここで受けようとして書く姿勢がポイントになる。それが自分の好きなことと被ってると最高のケースになる。ここで被ってない作家さんが無理するからコピー戦略で精神的にボロボロになってしまう。要するに、次世代のSAOはコピー以外で生まれるのが理想になる。じゃ自分の好きなことを書く事が近道?違う。それがオタクと重なることがポイント。だからただ自分の好きなことを書いてもなろうランキングで上れない。

 そこで分かるけど一度自分の好きなものを作って受けなかった人はもう終わりになる。これが私の言う未知の人以外意味が無いって話になる。好き勝手作るんじゃなくて、テンプレにあわせてそこから自分の好きなことを上手く合ってい来る感じの人が要る。これがノーマルなタイプ。無理してずれた作り方を見よう見まねで作ってる人は多分成功できない。これはアイデアの根幹に迫ることになる。全くの自由な発想で出てくるものがスタートになる。次のケースにある程度こういうものを作るって指針があって出すアイデアはまた違う。これはSAOは前者でしか作られないって話。テンプレからSAOは生まれることは無い。

 これでテンプレ批判が出る。しかし、実際自由に作ったらどうなのか?ここが今のオタクとシンパシーを作れる作家以外駄目って話し。何故この理屈が失敗するのか?でオタク向けとライト向けってポイントになる。ライト向けって基本頭使わないから必要とされる材料に限りがある。それを知らずに自由に作ると複雑なものを作ってしまうケースが多い。シンプルなものって基本過去の踏襲や焼き直しが多い。全く新しいものってライト向けって少ないと思う。なおかつこれにオタク向けってかなり偏った好みのものだけになる。自由に作る効率がすごく悪い。コピー戦略ってライトやオタクにとってすごく的確な戦略。だからSAOは10年20年に一度の作品なんだ。オタ向けのコピー元ってほとんど作られない。たまたまSFから引っ張ってきたからシュタゲとかSAOって上手く存在してるけど、根本的に今SFから引っ張れるか?は大きな疑問がある。SF自身がかなり古臭いからな…。次のSAOはマジで予想できない。どんな人間が作るのか?は過去の歴史からおそらく未知の人間だと思う。

 実は過去にジャンプのバトルモノがランキングコピー方式で発展した歴史がある。コピーが完全に駄目と言うわけじゃない。ただなろうテンプレと受け手にその力が無いって話しなんだけど。そもそも本来発展する必要が無くて、古典王道になるか?絶滅するか?になる。別に発展しなくても良い。ただ古典になった過去の流行をオタクが眼を向けた過去は一度も無い。ガンダムだけが例外になるか?と思ってたけど、やっぱり駄目だった。特に昨今のライトオタクのGレコのわけ分からなさへの拒否反応は凄かった。ちなみに私も…。

 自由に作るって戦略を取っても多分上手く行かない…。これじゃ何故勘違いが起こるのか?と言うと不特定多数の一般向けの過去の創作のセオリーだから。ターゲットが無いそれは自由であることが最大の武器にナル。次にライト層じゃない。多少頭を使う複雑な作品が作れる。そもそもリアリズムがしっかりした小説で自由に作ってもたかがしれてる…。漫画物語はゲテモノが出来るから…。

 第2のSAOには多少制約があるけど、過去の創作のセオリーにそった作品作りが必要となる。それがテンプレコピー戦略と相性が悪い。ゆえに既存のなろうテンプレで作ってる作家から生まれないって話。向いて無い作家にとっては苦痛でしか無いなろうテンプレだけど、もしオタクに受けたいと思って作るなら逆に自由に作るよりマシだと思う。過去を見て繰り返される部分と変化する部分を上手く分けてる。

 うーん、こんな話したかったんだろうか?良く分からない。ただカクヨム終ったなって運営批判じゃない。創作論になってる。ネット小説駄目になるはカクヨム終末論とは違うと思う。結論は同じだけど、趣旨が違う。カクヨムが駄目なのはなろうがいるからであって、ネット小説が駄目になるはもっと先の話になる。何度も書くけど、なろうはなろうテンプレが停滞してもすぐには駄目にならない。作家が刺激を生み出せない停滞を支えてくれる固定ファンがカクヨムには居ないから。

 前回スグアイデアを書きとめておくべきだった。コンナ事初めてだ…。もう止めよう蛇足だ。オタク論がかなり洗練されたのでそれで終わりで良い。以前から主人公にやたらと甘いご都合主義なのは知ったけどそれだけじゃない。ゲームが持つ独特の適度な障害がある気持ちよさ。おそらくはゲームバランスってこの言葉じゃないの?なろう系とはゲームバランスがその真髄になる。テーマ的に書くなら多分これ。リアリズム重視の一般小説に慣れてるなろう系の真髄を理解して無い人は、これが八百長出来レースご都合主義のクソストーリーにしか見えない。異世界セカイ系になりがちなのは、主人公周りの世界観以外どうでも良いから…。作家の合理的な省略になる。なろう系の面白さを楽しめない人にはゴミにしかマジで見えない特徴がわんさか詰まってる。これルビンの壷なんだわ。同じ物を見てるのに受け止め方で全く違って見える。だから私がなろう系を好きでもないのに外から見る人間は的外れだと指摘してるんだ。

 さてなろう系がいかにダンバインの頃と違うのか理解してもらえただろうか?この洞察力ちょっと桁違いだと思う。自分ですごいわって思う…。これ偶然なんだけどね、何かアイデアがあってそれ思い出そうとしてたら全く違うこと考え付いて、そしたらゲームバランスって言葉がきちんとあるんだと。前からゲームバランスは知ってたけどしっかり調べたこと無かった。けど逆に前回どんなアイデアがあったんだろうか?って気になって仕方ない…。

 私の話は外から見た人間が理解できるようになってる。アンチと信者を繋ぐ言葉が出来てる。何故自分はランキングが上がらないのか?それが多分理解出来ると思う。私は改善案は出せない。自分で書いてるからそれが分かれば。でもランキングを上っていく走る馬を当てることはできる。真髄を理解してるから。ただ第2のSAOの前段階は当てられない。SAOの前に何度もゲーム世界小説がラノベで出てるらしい。SAOだけが桁外れのヒットになった。具体性のアルMMORPGってのが大きいのと基本マトリックスから受け継いだリアリティのアル仮想世界がアニメと相性がよかったのもあると思う。そして最後になろうに繋がる作者のゲーム体験記がベースになったプレイ感覚がある読者とのシンパシーかと。多分私はSAOの前段階見逃すと思う。

 最近のノートを見直して思いつかなかったらもう諦める。今度こそ集大成だと思う。結局ゲームバランスって言葉がすぐに浮かんだら終ってた。そういえば作家の能力のアイデアで知識もかなり重要。特に漫画物語って基本創作の知識=パクリが大事。大事なのはそれを消化して血肉としたものをつくるか?コピペでコラージュの個性とするか?の違いぐらい。漫画物語でオリジナルにこだわり過ぎて作る人間なんてすぐに駄目になる。ゲームバランスって言葉の意味が難易度って直結してなかった。後から調べた。すぐスペランカーが浮かんだけど…。それ直接話してもおっさんのいうゲーム分からんわって思われそうで。

 そう考えるとリゼロってトゥルールートに行くエロゲの筋書きなんだな…。やっぱリゼロもゲームと言えばゲームか。あれをSF的視点で見たら多分駄目なんだな。

 やっぱり気になる。古典一般との関係と言うのがまだ掘り起こしてない。これはラノベ=漫画物語は単純に古典や一般から流入する事は無い。ただ実写との関係は深い。特に衰退したSFが大きい。日本も映像さえしっかりしていればSFは残っていたと思う。アニメじゃ何故駄目なのか?と言うと圧倒的に実写のリアリズム重視が向いてるから。アニメはその縛りが弱いからSFが残る土台が無い。例えばこれが本広監督のサイコパスなら良く分かる。実写のセンスでSFを作ろうと思ったからアニメが必要になった。これはアニメの中で閉じた感覚だと無い。日本の映像技術、金銭的な理由という事になる。私が考えていたのは多分これじゃない。ただこれはこれで面白くなってきた。SAOは突然生まれたわけじゃなくて、様々なアイデアやゲームが土台にあって最後の決め手がマトリックスになる。シュタゲの関係もあるし、

 もしかしたらこういった古いタイプの作品作りから出来るのかもしれない。これは80年代の作品作りになる。ガンダムがもろ実写映画がベースになって作られてるから。エヴァは70年代のアニメと漫画と特撮。虚淵氏もそうなる。まどマギは小さな勢力だけど、今やってるハイフリがガルパンなのか?まどマギなのか?は後で分かる。一応新日常系と言ってジャンルになってる。エヴァと全く同じ作り方。現代のアニメとは違うマイナー作品と過去の作品をリニューアルしてる。実は一定の法則があって、実写からもってくるケースが多い。これは意味が合って私が書いてきたライト層の楽しみ方が映像作品の楽しみ方がベースになってるから。アニメはリアリズム重視が緩いだけで。古臭さをどうするか?最大のポイントにナル。その点SAOは出来たばかりのマトリックスなので全く違う。シュタゲはバタフライエフェクトらしいけど、これ見て無い。これをモデルにした別の実写映画なら見た。確かにシュタゲに似ている。

 古典から生まれるのは苦しいというのが私の話しにナル。小説からってのが苦しいのかと思う。後マトリックスは古典ではない。SFが漫画物語の中で古典になってしまってるって点。後まどマギの根底にはメメントがあると聞いてる。これも確かに昨今のタイムリープ物との相性が良い。斬新と言うのにふさわしい作品。ただ虚淵氏がパクリ元を誤魔化すのに口走った可能性もある。これ良くある手法だから。マイナーな同業者からモロパクッたの隠すために有名作品を出すやり方がある。

 長い目で見るとファンタジーよりSFの方が新しい作品を作る力がある。だから私は横浜駅批判した。新しいテクノロジーや科学知識でたまに更新されるSF映画があるから。ただシュタゲは古いと思う…。あれ何故受けたか?と言うとそもそもエロゲってタイムリープよりループ物が数多いらしくて別にシュタゲだけがSF映画をモデルに特別に出来た作品じゃない。その点根本的には古典だと思う。たまたま上手くループ物の流れに乗っただけだと。電脳世界自体はそもそも90年の攻殻機動隊でその前の80年代ぐらいのサイバーパンクに遡る。そもそも攻殻機動隊が最後の本格SFアニメといわれててやっぱりSFは終わりを迎えた居たのは確かだと思う。ただマトリックスは斬新だったと思う。電脳仮想空間のようのような形がネットワークの発達した時代性を帯びていたと思う。

 映像化した作品から持ってくるのがポイントとしては良いと思う。後魔法科ってなろうテンプレと違う。あれすごい個性だと思う。ただあの作品独立して創った作品を後からネット公開しただけなので、あの作者の稚拙なバトルやドラマのせいでシンプルな俺TUEEがなろうと重なっただけだと思う。ただ魔法科の設定厨となろう系の設定厨気味のアル作品との親和性は高い。魔法科って全くの偶然の産物だと思う。ただ一つだけ魔法科を必然にする部分として世界観の構築の仕方がなのはにすごく似てる。ただ佐島さんはそれをコピーしたわけじゃない。元ネタについて以前古い作品って話してたのを見たから多分違う。大事なポイントはオタク系の中で受ける要素になるって点。実はなのはよりよくわかる現代魔法の方が似てる…。うーんこっちはオタク受けって点でラノベは成功したのかもしれないけどアニメの方が失敗してる。やっぱ魔法科ってお兄様のキャラの強さがすごく大きいと思う。魔法科って設定厨をくすぐる何か?がお兄様にある。その辺りは結果論的に魔法科ってなろう系なんだろうなと思う。

 問題は作り方なんだけど、その点でアイデアの根源がテンプレじゃない魔法科ってやっぱ独特の物がアル。第2のSAOにはなれない。結果論的にはなろう系のテンプレの範疇だから。作者の佐島さんの個人的センスがすべて。稚拙な作り方なのに時代を先取りしてる…。やっぱなろうテンプレってセンス感じるから。魔法科って天然すぎる…。結局なんとか上手くやる方法は無いのか?ってなってくる。昔から私がやりたいから考えてるのが大きい…。でも魔法科って絶対狙ってこれ作ってないってわかるもん…。逆になろうテンプレに魔法科の影多少見える。ある意味第2のSAOだと思う。天然で新しい軸を作るじゃなくて、既存の軸を補強した形になってる。今これだと不味いのは根本のなろうテンプレ自体がもうあかんと見てるから。この先長くない。単発でヒットするFATEみたいな作品かな。それが1.5のSAOだと思う。ただあれはエロゲって滅茶苦茶でなろうみたいなこれって型が無い。何故エロゲみたいにならなかったのか?ここが良く分からないな。ループ物がちらほらあるって特徴はあるけど絶対じゃないし。会社同士で分かれてるのが大きいのかも。それ考えるとやっぱり私の手法が同じでも同じものを作らないって理屈は正しいことになる。んまアニメ化されたものだけ取り上げてるのは不味いかも…。そういう娯楽性の高い作品が選ばれてるからな…。

 やっぱなろうと同規模で同じラノベ作品重視で争うサイトの無さが原因だと思う。いやカクヨムなろうぐらい大きくならなくても良い…。それはやっぱジャンプとマガジンぐらいで。結局のところなろう系ってのが2つの巨大サイト食わせるほどの広がりを持つ魅力が無いんだよな…。

 結局これでもなかった。もうマジで止めよう。かなりやばい状況になってる。

コメント

さんの設定によりコメントは表示されません