問題の根幹にライトノベルって言葉の不適切さがあると思う。ライトノベルという言葉が生まれた時代はそれでよかった。だが今はオタクノベルと名乗った方が良い。ライトであるだけでは今のラノベではない。過去のラノベは間違いなくライトノベルだろう。それは漫画が元になってるから。漫画は様々なものを扱う。だから小説に対してライトな作風だと言える。根本的に扱う題材が違うわけじゃない。漫画の特徴はライトな作風ですべてがそうじゃない。それが程度問題で綺麗にばらけている。漫画と小説を対峙させたときにライトかそうじゃないか?で区別するのは適格だと思う。実際のところ小説に負けないレベルのリアリズムのしっかりした物語も多い。ただ漫画全体の傾向としてはライトだと言う分類は適格だし事実と言って良い。
何度も書いてきた頭を使わない読者=ライト層。この話しに一切間違いは無い。問題はここから一歩突っ込んで、今のライトノベルはこれだけじゃ紐解けない。オタク層の好みと合致しなくてはいけない。ライト層とオタク層のANDに当たる部分がラノベの中心層になる。小説に対する一般がライト層になってきてる問題とラノベの話は単純には一致し無い。そこを間違えると今のランキングが何か?さっぱり分からない事になるから。カクヨムで異常にファンタジーだけが多いのと、それなのに古典ファンタジーはどこか区別されてる点。ライト層にターゲットを向けて作るよりオタク層にターゲットを向けて作る方が望ましい。オタク層にとって頭を使わないって絶対条件はそんなに的確じゃない。理由は簡単だけど能動的人間は知的だから。ただここで間違えてはいけないのは、基本今のオタクはライト層。だから基本ライト層路線で攻めるのが良い。ただ結果多少重めだったり難解だと感じる作品も当たるじゃないか?これに惑わされたら駄目って話し。本当のポイントはオタク層だから。もっと突っ込んで言えば本来マニア=コア層であるオタクがライト化してる事が矛盾に近いから。
今私がディープヘビーなオタクと言われて真っ先に出すのはお金をどれだけ使うか?で見てしまう。貢いだお金でオタク度が違うと見てる。過去のオタクが聞いたら憤慨レベルだと思う。でも今って過去みたいなストレートなマニアって減ってる。変わりにお金をどれだけ費やすか?でオタクさが上がるなと感じてるから。AKBのファンそっくり。この定義に頭をどれだけ使うか?はまるで関係無いどころかアホほどお金つぎ込みそうって逆に見てしまう…。実際は冷めたらなんで俺あんな馬鹿なお金の使い方してたんだろ?って自省がネットには溢れてるけど…。金で計るマニア度。だからオタクのコア層が中身はライト層だなと私は見てる。知識経験集積型のコア層は居ないのか?なんとも言えない。私が常に書いてるトレンドリーダー的オタクは単にポテチの新商品求めるようなレベルだから…。塩味=一般だと捕らえると良く分かると思う。
ライト層の特徴は分かった。じゃオタクの特徴はなんだ?もう書いたそれ以上は出てこない。実を言うと私も良く分からん。そもそも好みが流行で変化するのにこれって具体的なオタクの特徴なんて分かるわけが無い。相変わらずキャラが可愛い作品は売れるよ。ただピークは過ぎてるんだよね。ピークを見つけるポイントはレベルが低いものが売れる時期が成長期になる。こんなにレベル高くないと売れないの?ってなったらピーク過ぎてる。発展の余地が無いから衰退か?停滞に移る。私これすぐ見つけてしまう。普通見つけられないのは萌え豚でも無いかぎりオタ向けのキャラのよさなんて真剣に見て無いから。一番のポイントはキャラデザだから。
キャラ文化が物語ベースの作品においてピークが過ぎてしまったのは、大半キャラデザとキャラ属性で決まるから。これ物語と結構分離できてしまう。だからその部分であまりにオーソドックスなアスナのヒットが理解できなかった。ただ紐解いて見ると彼女って強い女剣士の部分の人気が高い。作品の中で輝いてるって部分がかなり重要になってる。ただしキャラデザは素晴らしい。これは手放しで褒められると思う。ただ私は良い悪いは分かるけど好き嫌いに動く事が無いからオタクにならない。豚が食いつきそうだってキャラデザを見るとでへへってなってしまう部分がある。金になりそうな女だーって見てしまう。萌えキャラばかり見てたら商品価値に対して感情が動くようになってしまった。かなりその部分屈折してると思う。ラブライブはもっと複雑であれ女オタの論理で萌え豚動いてる。それぞれの関係性で見てる。ホモに対する百合に限りなく近い。ただストーリーはそんなに直接的じゃないと思う。そこがまた腐女子臭い。じゃ女主人公でやればいいじゃん?それがそう上手く行かない。直接的に描かないから物語にならないんだ。後けいおんなどの論理だと絵としての漫画が合ってる。しかもラブライブは声優と動画が売りなので…。
じゃ今のキャラオタクと異世界系のオタクって別じゃない?それが単純には言えないんだ。SAOの存在、つぎに初めてキャラが動いた?と思えるこのすばのめぐみん。アマランの動きが顕著なんだけど、めぐみん登場回までこのすばって実はBDアマラン順位それほど高くなかった。このすばの成功を古臭いキャラ論理でかたりたくは無い。ただキャラ文化が終ったわけじゃないのは確か。ラノベのピークが過ぎたのと、他に移ったのは別だし、かつ今でもラノベはキャラの刺激のアル作品が売れる傾向はきちんとある。ただその売り上げがしょぼすぎるだけで。
元々キャラ文化って、ハルヒが顕著だけどSFファンタジー作品の非日常キャラを日常に配置して学園者するって流れで、ファンタジーとすこぶる相性が良い。ツンデレなんて大体戦う女の子がベースになってるのが大きい。らんまのあかねとかエヴァのアスカを見れば分かると思う。後シャナ、ミコトも当然その系譜。
じゃ何故IS以降衰退したのか?だと単純に組み合わせるファンタジーバトルの方に魅力が無いに尽きると思う。実を言うとIS以降もラノベアニメ同時にヒットしたデートアライブ、ストライクザブラッドがある。ただ敢えて触れなかった。それはDALはかなり作品構造が請ってる。これだけ個性的な作品そうそうないから受けてもおかしくないと見てたのと出オチの一発屋だなと…。その辺りニャル子さんにかなり近い。出オチの一発屋私はむしろ賞賛すると思う。でもDALは駄目だと見てた。ラノベなら良いけどアニメじゃ最初だけ目立つから引きつけてもすぐ飽きられると見てた。STBは謎…。キャラは文句なしに良い。だからたまにそういう作品もあるんじゃないの?程度に見てる。後作者がベテランでいろいろと上手かったのは覚えてる。テンプレに見えて軽く個性ある。ベテランはこういうの上手い。なろうに較べてキャラ系はこういうのが作りやすい。そもそもラノベのベテランで一般小説のベテランじゃないからアスラクラインとかもキャララノベの部分が強く出てるから。後私の独自の見解だけど、ファンタジーバトルと学園ラブコメって酷く相性が悪い。シャナって原型みたいな作品で奇跡に近い。根本的にこれ駄目だと思う。ISは徒花で片付けたほうが良いのに未だに引きづってるラノベ業界…。
例えば、全く層が違うけど、ワールドトリガーなんかで女の子キャラ出てくるけど、キトラとか花澤さんのキャラで普通にラノベっぽい部分を持つツンデレキャラ。でもやたらとそこばかりやらない。ファンタジーバトル単体で見たときの面白さがまともに作ってる作品に較べてみてられん。そもそもラノベ基本絵的なバトルあってないし…。ラノベのバトルモノの酷さはとある以外漫画全体のバトル文化の流れの中でゴミだと私思ってる。その中でシャナだけ奇跡的にバランスと言う意味で見れたなと。なんでジャンプ的バトルをラノベって入れてしまったんだろ?って点でこれもゼロ年代の大失敗だと思う。今のラノベの失敗ってすべてゼロ年代のツケだと思う。
突っ込んで言うとオタク向けでキャラって一番簡単に金稼げる鉄板だった。これになると思う。それが壊れつつある。そこでその他のオタクの好みが強く出てきた事になる。そこで私が言ってるのは、似たような作品ばかり見てるとすぐ飽きるからその飽きた部分に対してダイレクトに刺激を与える。ここがオタク向けになると書いてる。一般とオタクが同じライト層なのに何故違うのか?オタクはたんに見すぎて飽きてるだけだから…。それ以上の物なんて今のオタクに無い。
ただここに本当は何か1つ重要なことが抜けてる。若者は簡単に処理できる。古臭いものが嫌いだから新しい印象を常に求めるから。その点大人のオタクはどうなんだ?ここが難しい。古典や一般的な王道の排除は若者の論理なら簡単に分かる。ただ何故それが中年層が中心のネット小説でもあるのか?方向性としては食傷感がそれを進めてるから、おそらく中年オタクは過去古典に対して食傷感を抱いたのじゃないか?と見てる。これは実体験。私はその度合いが緩い。何故オタクが2極化するのか?の答えがこれで出せる。私が中間対だとすると、単純に好きな人って王道古典に飽きてないだけじゃない?って話になる。そもそもなろうの中心層が中年ってのはかなり前で今でも中心だけど、割合は減ってるらしい。それは若者に対して中年層は2極化するからだと見てる。カクヨム見てれば分かるけど、なろうのテンプレ贔屓が嫌になって逃げてきてる作家読者が多いから。ここは推測になるけど。私が中間対なのでなんとなくわかる。
後は新しいだけじゃ駄目って点。そこに面白さが付随して無いと。そこは以前話した現実逃避がポイントになる。絶対じゃないけど、オタクって多分リアルなもの避けてる。だから氷菓の話を出した。絶対じゃないと思うのはたまにリアルなものが刺激になってる。ただ傾向としてはそれで埋め尽くされたらそれはオタクじゃないと思う。なんというか、単純にすべての人が一般的なものを好きになったらオタクってのは存在しなくなるなじゃないか?って点。これは好みというよりトートロジーに近いんじゃないか?と。オタクがリアルなもの避けるんじゃなくて、リアルなものを避ける傾向がアル人をオタクと読んでるだけじゃないか?って話し。根本的な発想が逆。完全に均一な集団って考えられない。だから集団ってのは絶対に何か違う性質を持つ小集団が出来るんじゃないか?と見てる。割合ですべて決まってるだけで、オタク集団が多くなったらそっちが一般になる。リアルな創作を求める集団が逆にオタク的になる。正直あまりこれに対して意味を見出せない。傾向は分析できるけど、だからそれがなんだ?分からない。ただ例外が度々発生するけど、それはあんまり大事じゃない。長い目で見れば基本リアルを避ける傾向がアル。絶対じゃないだけ。人間なんだから一定じゃなくて波の様に揺れ動くって事。
それと言うのも将来的にはオタクの境目がマスマスわからなくなるんじゃないか?と見てるから。リアルを避けるのと、リアルに拘らないってこれものすごく似てるから。ライト層の頭を使わない特徴って、リアルに拘らないって特性と強くマッチする。私がそうだから。表向きはリアルを避けるのとリアルに拘らないって多分全く変わらないと思う。現時点ではかろうじてオタク的特性が分かるけど、将来的にどうか?と言うと根底にあるライト層の拡大を考えるとオタク、非オタクもあんまり変わらないと思う。
最初に書いたライトノベルはライト層の小説じゃないって話をぶち壊しにするんだけど。仕方が無いそもそも元々は正しいと私書いてるから。ファタンジー非ファンタジーってを無視するとライト文芸って確かに漫画的なんだ。何故私が下らないといったかと言えば小説じゃなくて実写ドラマなら探偵に漫画的な強さを持たせるのは普通にあるから。絵がある作品って小説より厳密じゃない部分が多い。映像が持つリアルさで実写ってリアリズムの拘りがアニメとは比較にならない。ただその映像が持つ嘘によって物語自体は随分雑に作っても誤魔化せてしまう…。実写が持つ絵の方のリアルなこだわりだけしっかりしていれば案外誤魔化せてしまう部分がある。だからキャラクターの言動より見た目の方がライト文芸の映像化って困難になる事が多いと見てる。痛々しいキャラデザ多いからな…。