要望改善案。こういうものを止めないといけない。これは勧告じゃない。私個人の問題、私がカクヨムは何をしても無駄と判断したから。というより本当の問題はなろうに勝つことじゃない。ネット小説のオタク部門に現時点で未来が無い。そこが問題。何故か?第2のSAOが必要だから。私が見る所SAO登場の付近からすべてを塗り替えてしまうような作品はあれ以上の物が無い。hackと言う作品を見てないのが残念だがおそらくこの作品じゃなろう系が発展したか?怪しい。SAOの背景にはネットでのRPGプレイ日記の存在がある。hackはおそらく作り手主導の作品で、SAOはプレイヤー主導の作品になってる。SAOが多くのフォロワーを生み出した背景にそういった稚拙さがあると見ている。過去の歴史を見ても多くの作品が真似をする作品は単純に優れた作品じゃない。あれなら自分でも創れるって稚拙さが同時にある事が重要になる。対極として誰にも真似出来ない個性と言うものがアル。要するに漫画物語の発展に大きく貢献する作品は単純で稚拙であった方が望ましい。もっと長くなるか?分からないけど間違いなくSAOは10年に1度の作品であるのは確か。
実際はこの間にハルヒと言うラノベ学園者の金字塔の様な作品があるけど、私は2次創作的キャラ文化をどうも否定的に見てる。ラノベとネット小説で大きな差がついたのがここになる。多くの人は気がつくだろうか?ネット小説はラノベの様な女子キャラ命みたいな作品が少ないのじゃないだろうか?私はネット小説で典型的なラノベの様な魅力的なキャラさえ居ればなんとかなるって作品をほとんど見た事が無い。これは驚くべき作り方なんだ。それだけラノベがイビツだという事。ラノベの行き詰まりはほとんど効果が無いキャラを軸にした作品作りを未だにやっててこれを辞められない点にある。何故か?とっくに気がついてる。ただラノベの中では実際これがマシなヒットになってる。何故か抜け出せない。シンプルに批判するならラノベは無駄な事に描写を割き過ぎてつまらないと言えるんだ。多くの人はラノベとネット小説のキャラの作り方が違う事に気がつかない。何故か?どっちも漫画物語の典型的なキャラの作りかだから。でもラノベはキャラを魅力的に見せようとばかり頭を取られたような作品を作りすぎる。キャラとしては配置はするけど、そこまでネット小説は熱心じゃない。当然ある程度は共通性がある。その点でハルヒ的な流れをきちんと受け継いでいる。ただ過度な発展をしたラノベ的なものは一切感じない。物語の発展にとって、ハルヒはSAOが流行するまでの一次しのぎに過ぎないと見ている。もっと言えば時間稼ぎ。
なろうに対して色の違いとしてこういったハルヒ的な作品が出ても一時的時間稼ぎにしかならないと見ている。私は企業の競争としてはなろうとカクヨムに誤った視点で見ている。ただ根本的にはカドカワグループはなろうと繋がってる。これが問題だと思ってない。カクヨムはなろうを叩き潰すような発展をしても何の意味も無い。なろうの作者が根こそぎカクヨムに移動すれば良い。しかしそれは意味が無いと書いてる。しかも弱者はむしろカクヨムなので不可能だし。私がカクヨムが駄目と言ってるのはなろうに勝てないじゃない。ネット小説にラノベ部門に未来が無いと見てるから。
SAOクラスじゃなくても、ちょっと落ちる作品なら出来ないか?これが一番の問題になる。はたしてそれがなろう系と同等に戦える新時代の作品になるか?である。こんな虫の良い話があるか?となる。
私がほとほとこのサイトにいやになってる事にランキングを上に上がりたい欲求がある人がなろう系を書かないことなんだ…。いやいや何を考えてるの?となる。私は何度もランキングに変わる評価基準を作ってそれを参考に作品を探すべきと書いてるのは根本的にランキングはラノベの刺激的作品しか選び出さない無いから。何度も書いてるけど多数派の読者がオタクだから…。論理的帰結で導き出せるから、ランキングから距離を置くってのをするべき。そもそも小説家になろうで、テンプレ的作品以外を書いてランキングに上れないって言ってるのは無意味。その発想が根本的におかしい。私が簡単に上に行く方法を教えるから。次の時代のSAOを書けばテンプレ以外でトップにいけるよ?これ簡単に出来ないの。だから皆テンプレ書くの…。古典的なオタクにとって刺激の薄い作品書いて上に行けるわけ無いでしょ?なんでこんな馬鹿な発想の人達に私発言してるんだろう?って困ってしまっている。なろうからそれが嫌でカクヨムにきても結局ネット小説にオタク読者が多い限り同じ事の繰り返しだから。最初からランキングじゃ上にいけない作品を別の価値で救い上げなくてはならないとなってくる。これを編集長助けてよーって情けない事を考えるからいやにナル。なんでも金持ちに頼るんじゃなくて読者同士で解決しろっての…。
私はなろう系の次の時代を見てて、そのために必要な必然の才能について考えてて、それは手垢の突いてない新鮮なラノベ作家って結論になってる。これがどうもほとんど居ないと分かってきた。なら結論としてネット小説は行き詰まりを見せる。その被害は生まれたばかりのカクヨムの方が圧倒的になろうより酷い。これはおかしな話しなんだ。中心地よりカクヨムが被害を受ける。理由は前書いたけど、ああいうものは読者が作ってるので、簡単には絶滅し無いから。ガンダムを見ろですべてその答えが分かる。ロボット物の衰退に対してガンダム以外のロボット物こそが絶滅の被害を一番受けた。作品の価値はこういったライト向けの場合読者で決まる部分が大きい。ネット小説の狭い視点では分からないけど、もっと大きなアニメやラノベって大きな視点ではおそらくさっさと行き詰まりを見せると見てる。元々なろうがもっていたニッチに戻ってしまう。
今居る人達とまだ誰かの目に触れてない人ならどっちが可能性があるか?なら圧倒的に後者。何度も書いてるけど、ラノベ作家としての稚拙さはさほど問題にならない。次の時代を生む作品は稚拙なほうが望ましいから。私の言葉が足りなかったかもしれないけど、人目に触れない場所で小説を書いててそこからならそんなに稚拙にならない。その話し何かおかしくないか?そう私が無知だった。小説投稿サイトが滅茶苦茶あるのを知らなかった。人目につかずに個人サイトで小説を書いてる人なんて今時ほとんど居無いだろうなって事実から考えを改めた点。そしてネット小説の作家の大半が実は私の知らないところでネット小説にすでに投稿した経験者か?または公募などの賞レースの経験者が多いと言う事実。原石のダイヤなんて多分落ちてない。こういう人間の方がSAOみたいな作品は作る可能性がある。ただの素人じゃないか?それが漫画物語のポイントだから。小説家馬鹿にして無いか?といわれるならラノベ作家馬鹿にして無いか?と返したくなる。ラノベ作家はリアリズムが緩いため基本素人臭いアイデアが勝負だから。アイデアの質が違う話をしたと思う。後それを補う数居ると思ってた。
これじゃ話が繰り返しになる。運営に対しての改善要望は無駄だと思う。私はそれやりたくないからもう書きたくない。で考えてみると創作論なら別じゃないか?と分かった。それが今回のラノベのキャラ重視にネット小説は犯されて無いのとどんな能力が必要なのか?って話しに結びついてる。当然すでにプロやオタクに審査された人だって可能性はある。だから運がいると書いた。
そもそもなろうテンプレが駄目になるが間違ってるのじゃないか?それは事実で書いてる。テンプレをそのまま作る人間なんて居ない。それが進化して変化していく。その方向性が創作の衰退である細分化の歴史をなぞってるだけで派生した進化から新しい流れが全く見えない所か逆に刺激が落ちてる。確かに主観的な部分があるが、細分化と派生の発展の無さは事実だから。問題は元の刺激より落ちてる。これが私個人の独特の未来予測を正確にするための主観になる。創作の衰退のセオリーに対してダメ押しで変化が元の刺激を薄くなる方向で発展してる。黄色信号に対してこれ赤信号だとダメ押しした。
ここで多くの人間は、古典と一般に逃げてしまう。そこが私と違いすぎる。未知の新しいオタク向け作れば良いじゃん?これが私の答えにナル。当然そんな馬鹿な話しできるか?となる。でもオタク向けってそういうもので一般とかとだから違うんだよ?って話になる。以前書いたけど、新しいと感じる(実際新しい物語である必要は無い印象)物語をずっと作り続けるのは不可能じゃないか?そこに行き着くことになる。
アニメはそれに向けて徐々に手を打ってる。そして私はそれに全面的に賛同している。私は実は今のオタク向けの発展に懐疑的なんだ。これは子供がずっと成長して惑星を破壊するようなパワーを身に着けるドラゴンボールの発想と似てる。創造インフレ。当然バブルははじける。アニメは配信での収益を上げる事で一般人相手のビジネスに移行しつつある。多分全面的には変えないと思う。ラノベはその性質上できない。そしてネット小説は?となる。期待してたんだけどね…。
ただ創作論も辞めにすると思う。最近過去の発言を再度読んでいて、ああやばい最近の話し細部が被ってると思う。テーマが違うから大きな問題は無い。ただ細部が被っててまたかって気持になった。100%同じ事は逆に書けない。ただ一部の文章で6割ぐらい細かい事が被ってる。最近の近況ノートが特にそれが顕著。私個人は気にするものじゃないけど、他人にそれを見せたくない。プロならこれはありえないなと思うから。そもそも今回の話しも別の話しだったのにこっちになってしまった。前置きでこうなってしまった。ただ言葉足らずだったのを上手く補えたのと、元々これに近い話も混じってたから良いやとなってる。元の話し原型を忘れてしまった。キャラは前から言おうと思って書かなかった。それはSAOが逆にラノベに毒されてる部分があるから。その点ラノベのキャラ文化が無駄だとは思ってない。ただ全体としてはラノベがおかしくなった元凶に間違いない。戦略的には間違って無いと思う。問題はキャラ文化のメディアの中心がラノベから移ってるのにさっさと斬り捨てられなかった点。もし次のSAOが出た場合、なろうよりカクヨムの方が一瞬で置き換えられる。元の文化が小さいほど好都合なんだ。
何故ラノベを否定する人ほどランキングで上がっていかないのを気にするのだろうか?これだけは本当にアホって思ってる。これに対する怨嗟がすごくある。まだランキングをなくしてしまえば良いの方がイマイチだと思うが筋は通ってる。これだけはマジで頭の悪い感情論が酷いから止めて欲しい。きちんと理屈を書いてるけど優れた読み手ほど少数派になる。優れた読み手に優れた書き手が用意する作品がランキングで上に上るわけ無いでしょ?馬鹿なのか??要するに注目されないことに腹を立ててるんだ…。当たり前だろ。優劣ってのは序列によって作られる。必ず優れたとされる人間は集団の中の一部にしかならない。ランキングってのは所謂ポピュラリズム衆愚政治になる。多数派に注目されても仕方ないのを理解して欲しい…。意識の高いセレクションってのが大事になる。意識高い系のせいでこういうのを言うのが恥ずかしいとなってるけど、実際文章の良さとかってかなり頭使うよ?私はそんなもの面白く無いからどうでも良いけどそういうのを大事にする人の価値観は守られるべきだと思ってる。だからその人達独自でセレクションをしたら?と見てる。ただ一人ひとりは個人の偏った好みが強すぎるから複数でって話し。一般性の高いカンヌじゃなくてアカデミー賞。
元々何を話そうとしてたんだろうか?私はもうネタキレで書きたくない。それは書いたと思う。細部の被りが見直したらそれは酷い事になっていたから。ただ要望提案改善案などよりは創作論は建設的な意見になる。これは是非書いておかなくてはと思っていたのだけど。実際ちょっと書いてる。ただ前置きから無理矢理書いたから核心からちょっとずれてる。なろうとカドカワの関係ってMSとIBMの過去の関係に似てる。今ならアップルが絡んできて全く違う時代になってるけど。まさにこれがなろうを潰しても意味が無いになる。そもそも魔法科SAOも電撃の落選作品のネット公開でオーバーロードとかアルカディアってサイトの物だと聞いてる。だからなろうがどうたらが重要じゃない。ネット小説全体の文化が洗練されただけだと思う。
もしかしたら文芸系の人にとってはオタクが消えたほうが好都合なのかも…。それならランキングに上ってくるから。ネット小説を見るって能動性がすでに大衆層から切り離した人間を現時点では選別してるから。ただそこに別の路線の能動性の高い人種が来てしまったから…。昔はオタクって読書家だったんだけどね…。ただ将来的にはもっと大きな意味で一般層が入ってくる可能性もある。徐々にネットが過去よりは一般化してるから。当然ネット小説もそういった大衆色に染まっていく可能性がある。ただ本当にこういった層の動きは遅いから。ネットの小説文化がオタクによって滅茶苦茶にされてるか?だとこれがそう単純に言えない。何故なら古いタイプのオタクが小説オタクとかなり重なってるから。その辺り新旧の同族嫌悪もあってややこしいんだよな。元々オタクってインテリ層に知的には近いから。ライト層とコア層の対立新しいオタク層と古いオタク層の対立が絶妙に交じり合ってる。要するに新しいオタク層ってライト層的なんだわ。だからオタク層が2つに分かれてると見るのが一番スムーズ。それでも文字に対する拘りが濃いけど…。そもそも合えて文字の拘りに着目する私の方が客観的過ぎて異色なんだけど。旧オタクと新オタクじゃなくて、小説オタク(コア)とライト層の区別する識別しが文字の拘りですぐ分かる。これが重なってる人が多いのもまた困ったものだけど。私ぐらい文字の拘りを嫌ってる人居ないから…。
私が文字の拘り嫌ってるのは、物語に着目すると使う労力の配分が間違ってると思ってるから。はっきり言えば枝葉。ただ細部に拘るのが古いタイプのオタクなんだわ…。これはアニメも同じだから。オタクの大半が碌なクリエイターになれないのはここになる。分析屋としては使えるけど、それ以上にはなれない。ただ私は完全には否定しない。そういう価値も一つの価値だと思うから。ただ物語り全体としてはこの拘りが間違いなく物語の進化を遅らせた部分がある…。後グローバルスタンダートとして世界への発信が弱い。日本語のこだわりの面が強いし…。オタク系が文字なんてこだわりだしたらそれは物語の魅力が薄れてきてる証拠なんだわ…。
結局運がよければすべて解決する。ただそれを言ってしまうとあほらしいから。昨日ロッキーの話を書いててそれでスタローンって多分作家としての才能無いと思う。実写ってその点漫画に近い面がある。それでもロッキーの脚本を見たプロデューサーは高く買い取ろうとした。すぐに脚本の魅力に気がついたからだと思う。脚本家としては底辺が新時代の映画を塗り替えるようなアカデミー賞の脚本を書いてしまった。今の時代は苦しいけど、実写の方がラノベより楽。実体験を混ぜられる強みがあるから。SAOがある意味実体験なのでロッキーに似てるのは分かるかと思う。ただ私はこれでリアリズム賛美になるわけじゃない。そんな簡単なものじゃない。リアルなゲーム体験だから…。ポイントはそこじゃない。運がよければ新時代の作品手垢にまみれた底辺のどうでも良い作者が作る。
作家個人の話をすると、ラノベってのは運が大きい。それはアイデア=創造的発想ってのが確率的だから。作家個人を追いかけるというのがラノベは無駄になる…。何度も書いてるけどたまにこれは能力だと感じる人が居る。私は時代に乗る事だけを絶対視してないから。時代には絶対に乗らなくちゃいけない。ただ時代に嵌ってたピークが過ぎた後むしろどうやるか?を見てる。時代に対するヒットは1.5本で私は能力と見なしてる。基本1本、2本は出来すぎ。ただ1.5なら確かにきちんと存在する。片方はミドルヒットだったって人っている。こういう人ってピークを過ぎても前の時代の人が飽きたといわないものを作ってくる。私は自分が楽しめれば良いから1.5本作家のピーク後を見てる。どれぐらいがヒットだというかの基準は難しい。文字ってそれに対して確かな技術になる。論理で議論したがる人にとっては正誤で話せる話をしたがる。文字は確かな技術なのでこれが主観が多くてもやりやすい。序列もしっかりするから話してて面白いし。ただ小説の根本は物語だと思ってる私からすればイラッとする話になってしまう。文章オタクがって怒りすら覚えてしまうものがある。本来の物語からすると捻じ曲がった冒涜だと思うのだが。ただ作家個人の話をすると確かに議論できるような能力じゃない。AIとかも創発はランダムが介入するのかな?と見てるから。
今私は確率の高いネタを出して書いてる。ただやっぱ確率的何故それが突然浮かんだのか?が良く分からない。私は論理より直感発想を重視して書く。これが私が頭の良い人に嫌われる原因だけど…。私は自分に自信持ってるから多少の穴や事実関係がしっかりしない論理について気にし無いけど…。もし思い出せたら書くかもしれないけど、まあ良いや。とりあえず改善要望のたぐいはやりたくない。かといってネタキレの創作論もアウト。それでも創作論はやりたくない理由が言動の矛盾じゃない。程度問題だから。