ちょいしり切れトンボだったので、追加でSF週間1位読んで発言する事にしました。
『 ∞ ⊆﹆ ∃ ∝ ∞ ▱ kill you ≒ Å ▱』
うーん…。そこそこ。本当に短編って卑怯。長編と短編ってこれは分けないと不味いとさすがに思えてきました。短編が面白いとしても、だからって熱心に短編読みたいか?と言うと読みたくない。根本的に質が違う短編があります。長編に引き伸ばせそうな短編ってあって、それを手短に纏めるってかなり面白いんですよ。ただ根本的に短編だから面白いって話と長編ってそもそも比較対象にならない。これはそんな話しです。さすがにいやになってきて余程面白くないともう星入れません。おちんぽは早いもの勝ちだったと言うわけです。SFなら滅多に小説は読まない私が読んだFKディックの短編集があるのですが、あれは長編と似たようなものがあります。この発想って4コマの発想に近いです。
「何回ガチャを引いてもレアが出ないから腹いせに書いたファンタジー」
あれ?残り読んだけどあまり面白くなかった。ちょっとこれ幾らなんでも強引だな…。スライムってベースでいろいろ成功するけどそれがご都合主義に見えすぎる。私はご都合主義は嫌いじゃないどころかそれは大事だと思ってる。基本なろう系はご都合主義の塊だと思う。ただいくらなんでもすべてスライムで解決するって単調すぎる。ここまでやると工夫じゃなくて、ギャグにしか見えない。ある程度狙ってるのは分かる。スライムで外れ続けた主人公の苦肉の策だから。でもここが強引だから他のリスクだリターンだビジネスだってのが、意識高い系みたいに見えちゃう…。これすべてのなろう作品の特徴だからなろう作品を嫌いな人はすべてそう見える…。この作品はそのなろうが持ってる何かを踏み越えてしまってると思う。ただこれって個人の感覚的なものに大きく左右される。ギリギリまともな小説も読む感覚の両立を守るとこの作品は面白いと感じる事が出来ない。この作品のおかげでなろう嫌いの一般人の感覚がしっかり判った気がする。
実際の問題は論理じゃなくて個人の感覚、でもそれを無視して言うなら、スライム何でも出来て便利だな…。
別に再開するつもりは無いです。言葉足らずで不愉快な思いをさせてしまったかもしれないからです。今感想をエッセイで書いてる人の批判じゃないです。安直にエッセイで感想を書く事への批判です。今エッセイで感想を書いてる人は基本それなりに上位の作品について感想を書いています。ただ読後感想より紹介がメインになる感想は止めた方が良いと書いています。
私が特別だったのは、私は紹介のつもりで感想を書いて無いからです。上位の作品を良い悪いどっちでも感想として書きました。ここがポイントなんですよ。作品紹介と根本的に違うから上位の作品の感想を書いたら良い悪いどっちにもなるわけです。紹介ってのは普通良いと思う作品しか書きません。絶対にイマイチとか書かないわけです。私が規約違反なのでしょうか?本当にそんな息苦しいサイトにするつもりなのか?です。自分が良いと思う感想は紹介の意味が強いならレビューで良いわけです。読後感想としての意味が薄いんですよ。
読後感想の面白さを追求するなら多くの人が読んでる作品を選択するのが良い。そうなるとその時自分が面白かった作品だけを書くのか?それは変ですよね?紹介の意味じゃないんだから。ここが決定的に違うんですよ。
夏野さんだけ例外的に紹介としての価値があると書いたのは、私が別のエッセイで夏野さんの読書感みたいなものに刺激を受けたからです。読もうとはさっぱり思わないけど、これは好みの人は刺激受けるだろうなと。そもそも夏野さんの私が星つけたエッセイ感想文って知らなかったんですから。架空の小説作って感想文みたいにやる変わったスタイルかな?と思いました。夏野頭の中図書館?ってマジで思ってましたから。後で検索したらええ本当にこういう小説あるのかと知ったわけです。それぐらい感想文に見えませんでした。独特の個性がありますね。
読後であってもセレクションが独特すぎるものは、紹介的な意味を持つんですよ。だって読んでる人重なってる確率が少なすぎる。そういう時って感想文の中身なんてどうでも良いです。だって読んでないのに読後感想で何も共有できるわけ無いですから。中身より書いた人自体がその場合重要になるわけです。紹介の意味を持つ時は紹介者の何か?に刺激を受けないとまず読みません。それをどうやって作るか?を考えないとかなり不味いです。私がだから、複数で話し合いでセレクションする話をしています。一人の人の紹介する作品なんて読みません。大半その人の好みで決まってしまうから。何度も話してますがランキングはレベルの低い評価者も混ざるのが前提なので論外です。文芸系の紹介はやはり複数の人間の話し合いなどのセレクションが望ましいと思っています。掲示板が出来るまでは近況ノートとかでやれませんかね。その結果をやり取りを転載して目立つ場所に告知の意味でランキングなどに載せても良いと思います。紹介のすべてが無駄といってるようになってしまいましたが、それは違います。論評や感想の内容より紹介は、評価者に対する刺激の方重要になるのでそれを高める努力が必要になるって話です。一人の場合でも例外が合ってそれを夏野さんの例で話しました。そしてそれは湯葉さんでも出来るんじゃない?って話です。
今やってる人への批判じゃないのは、その夏野さんだけが私の言う無意味な感想にあたるので書いた面が大きいです。基本上位の作品を読んで感想を書いてる人が多いと思います。じゃ何故?過去ランキングから落ちてしまった人達の話が大きいです。別の何か?でHNに付加価値がついてないと重なるわけが無い紹介の意味合いが強い感想は見ません。
当初私のやってる事って人気作を叩く天邪鬼みたいな面と見られないかな?と思っていました。しかし考えてみると読後感想で共通した感情を抱くには同じ作品を見て無いとありえないですね。上位について良い悪いどっちでも感想を書くのは凄く合理的な選択だと分かりました。私はランキング調査なので偶然ですけどね。
自分が個人で面白いと思うものについて感想を書く程度なら基本近況ノートで良いです。その点安直にエッセイで感想を書いて良いのか?って釘を刺すような批判です。私は別に禁止事項に触れてやっていたわけじゃないです。誹謗中傷だと微塵も思って無いからです。誤解されるかもしれないけど、これを認めないと到底評価を話し合う場なんて作れないからです。
これ以上書いても繰り返しになりそうなのでやめておきます。自分としてはサイトを面白くしようと考えてこれまでやってきたのですが、そのモチベーションが叩き折られました。私が思ってるより事態は深刻だと分かりました。どこかで大企業カドカワがちんけな個人に負けるはずないって安心感があったんだと思います。何を言っても無駄だと今は思っています。それでもなんとなくちょっろっと言ってしまうのかもしれません。あまり褒められた言動じゃないと思えてきました。それでもツイって気持ちで良かれと思う事を書いてしまっています。単純にエッセイで感想を書く事を批判してるわけじゃないです。紹介の意味があるなら感想の書き手が自身のHNの付加価値を感想以外で上げないと意味が無いと書いています。紹介を成功させるためのコツみたいなものです。個人的な感想なら近況ノートで良くない?って話も入っています。
私がそれを実践しない理由は、ランキングに意味がなくなってると感じてるからです。読者が減りすぎてランキング上位がより無意味なものになってるから。私が感想を書いてた頃では全然違います。私が完結する前に400位なかった気がします。今もっと酷いです。これに読むの面倒なのと、もうカクヨムに何を言っても無駄だと思ってるからです。それは運営批判じゃないです。多分このままじゃより過疎化する…。以前は意見が届かないサイトって苛立ちがありました。今は違います。届いても届かなくてもどうでも良い…。
未練がましくツイ書いてしまってますが、やめないといけないと思っています。
カクヨムが致命的に間違っていたと思いません。問題を私が知らなかったから馬鹿な話をしてただけだと思います。どこからこの人達は沸いてくるんだろうか?そんな疑問を持ってませんでした。ネット小説以外にもコンテストなど何度も挑戦してる人達の大きな集団があるようですね。新しい才能を探そう?いやいや私ここで知りました。大半横並びで確たる理由も無く落ちてる人がいずれは良い作品にめぐり合ったり技量が上がったりで順番が回ってきてるわけですね。何割か?は知りませんが、このサイトの作者大半もう誰かに審査された後の人がかなりいますね。全くの想定外ですね。今まで小説なんて書いた事が無い埋もれた才能が大量に要てその人達が始めてネット小説を書く。これが私の前提条件でした。無知ですね。
じゃ何故未練たらしく、それでも面白い感想を書こうなんてアドバイスを書くのか?間違いなくサイトの楽しい場所にしたいからって動機です。そうですね、もう駄目だと思ってるけど、希望なんて無いけどやらずにいられないからツイです。でもそれは辞めるべきです。どうしても人間安直な動機で動いてしまいます。しかもそれがネットの特性です。これまでずっとそういった動機が希望がありやってきて、それが突然へし折られて、急に止まれないって気持です。何度も止めていますけどね。
一番の理由は今エッセイで感想書いてる批判じゃないです。だったら私感想を書いてた人を評価したのおかしいでしょ。その人が何か上位の作品から読んるなと感じて、そうかこれ本人はどう考えてるか?分からないけどすごい魅力的じゃないか?と教えられたからです。どっちかと言えば過去消えていった人や連載終った人の感想が紹介の意味合いが強いので、それ全く面白く無いですって伝えたいからです。内容より評価者の方が重要だから。これもこれから紹介的な意味をもつ感想を書く人へのアドバイスみたいなものかもしれません。どっちにしろそれこの目立たない場所で?過去感想を書いてた人間としてだからいつか行き当たる事もあるでしょう。
ただ紹介になってしまう感想はつまらんからエッセイカテの質が落ちるからやめろって批判もあると思います。ただ批判じゃなくてアドバイスの面が強いのは、感想の書き手自身に何かしらの付加価値をつけないと駄目って点がアドバイスになってるからです。別に気を使ったわけじゃないです。元から今のエッセイカテを批判したかっただけなのか?って思うと違うからです。
批判的な気持ちはあります。近況ノートで出来てしまうのにエッセイで感想を書くのは何かずれてないか?と思う面もあるからです。だから近況ノートを飛び出してエッセイに晒す意味ってのが必要になると考えました。運営批判も同様ですがコメント機能とかも考えると近況ノートの方が合理的だと思います。おそらく将来カクヨムがやるであろう良質レビュアーの選出みたいなものが見事に失敗するだろうなと見てるから書いてるのもあります。単純にエッセイカテのこれからを悲観してだけじゃないです。何度も書きますが運営批判全てに批判的じゃ無いです。運営批判でエッセイカテが埋め尽くされる未来が見えるので乱立は避けて欲しいと書いています。
感想を突っ込んでるのは、こういう形で近況ノートで復活できないか?と考えてです。結局読むの面倒だからやっぱ辞めたーと思っています。愚痴になってしまいますが、レビューとか星とか貰って好い気になってるんだと思います。自分は何か影響力があるんじゃないか?って思って書きたくなってる感じです。自信はありますよ。そういうのは誇大妄想的だとは思います。ただ、カクヨムへの提言みたいのは調子乗ってるって思います。書いてることや独特の評価眼とか誰にも負けない個性があると自信はあります。ただ、それとカクヨムへの提言とは違うと思います。どこかでこの優れた評価者が意見をしてやってるのにきちんと聞けカクヨムって馬鹿な傲慢さが多分あります。
でね、その根本で、どうでも良いじゃん?どーせ負け決定しててそれを覆すような自信前と違ってもう無いでしょ?って話しです。カクヨム運営の怠慢。そんな風に以前は思ってたんですよ。今は思って無いです。私がネット作者の状況について無知だったに尽きます。まあこれ今いるネット作者じゃ運が無いとラノベ作品じゃ成功し無いって見下してるんですけどね…。だから作者じゃなくて読者の立場からしか出ない発想です。一度失敗した人間は2度と成功し無いって話じゃ無いです。そうじゃなくて未知の作者が大量に要ることがなろうと対等に競い合える条件だったんですよ。すでに手垢のついた作者ばっかりしかいないじゃんって大きな失望。私が想定していた前提が180度ぐらい違っていたという事です。
誰が悪かったのか?それは居ないんじゃ無いですかね?どれぐらい未知の才能が眠ってるか?なんてやってみるしか分からないですよ。ただ私よりはそういったラノベ作家の事情に詳しかっただろうカドカワは今回の挑戦無理があると多少は思っていたのかな?と思います。
本気でもう去らなくてはと思っています。なんと言うかだらしなくて駄目駄目ですね。もう駄目だと思ってるサイトを少しでも良くなればと提言を試みるって馬鹿のする事です。他人がどうやろうがどうでも良いです。私がそんなだらしない事をしてるのは自分で我慢できない怒りがアル。今でも作者が足りないなら読者で楽しませるは変わっていません。変わったのはこの酷い状況を打破するアイデアなんて微塵も無いです。なんというか今回の話し、根本的には無駄だと思います。
無駄だと思っててやってるのは結局感情論です。今までいろいろやってきた延長でつい書いてしまう。どこかで切り替えなくてはいけないのと理性は理解してるけど感情がついです。