アイデアについて突っ込もうと思う。
以前は私は一般文芸の小説家とラノベ作家を同一視していた。でも今は違う。両者とも作品のアイデアが良くないとヒットしない。じゃ作家の能力じゃないか?実はそう単純じゃない。ここが漫画物語の深遠、真髄になる。
将棋やテニスでもおそらく良質な一手という選択のアイデアがあるだろう。それは将棋やテニスってフィールドが絞られる。これは棋士やテニスプレイヤーとして大成した人間が持つ特有のアイデアで素人はその域にすら行けない。リアリズムに縛られるというのはこれになる。一般小説は物語の中でひとつの特定の競技のプレイヤーと同じ扱いになる。高いレベルを持った彼らのアイデアは技術を持たない素人のアイデアとは違う。同じアイデアと言う言葉でまとめてしまうけどこれ別物だと思う。
何故ラノベ作家が特異な能力が要求されるか?これで分かるかと思う。アイデアとして出してくる選択肢が桁違いに違う。と言うより質そのものが違う。実際これは大げさな話をして分かりやすくしてる。ここまでかけ離れていたら私も過去同一視したりしない。根本の部分ではリアリズムからすべて解放されるのはナンセンスに繋がるのでラノベ自身もありえない。同時にリアリズムの縛りも競技ほど特定の狭いフィールドをもつわけじゃない。両者は全くの別物じゃない。
でも、競争が激化してより特化した能力が要求されるとさすがに一般小説作家程度のアイデアの力じゃ対応できないとなってくる。そういった部分が固定観念になるから不味いけど、それでもある程度は知っておかないといけない部分。
私はラノベが舐められるのが好きじゃない。ラノベは作家に価値があるわけじゃない。あくまで出来た結果の作品に価値がある。本人が2度と作れないって高いレベルの作品が出来てやっと認められるのがラノベになる。
ラノベが馬鹿にされるのは2つあると思う。1つはアニメ視聴者がオタクとしては一般性が強いから。リアリズムで拗れてしまって上手く見れない。次にカクヨムだけにあるのは作家軽視の作品作りが多分自己保身で嫌なんじゃないか?と見てる点。どうもラノベ的作品作りって読者の好みをやらされてるって感じる作家が多すぎる。こんな作家多分活躍できないから。能動的に読者とシンクロ出来る作家だけが生き残る。ラノベ舐めてるなと思う人が多いのは創る事が簡単な事と受ける事の難しさを混同してる部分が多い。私は結果の作品しか見ない。その作品の作家が能力があまり重要じゃないのはよく知ってるから作家はかなりどうでも良い。本当に奇跡的にすごい人が居てその人は認められるけど、複数作ってみないと分からない。
一番簡単なのは、ラノベとしても切れがあって、一般作家としても切れがある作家になる事。これが一番簡単。相反するけど、ラノベを2作ヒット作作るよりは簡単。基本的に運でしか儲からないからまだマシな一般作家として食う道の模索にナル。当然プロトしてのラノベでは重視されない能力が多大に要求されるけど。それだけラノベでヒット作2本作るのは難しい。基本ラノベは作家が大事じゃない。結果としての受けた作品があるだけだから。
もしまともに機能するならランキングってのは最強だと分かると思う。作家がここまで軽視して扱われたら普通作家志望の人は我慢できないとは思う…。