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なろう系とオタク向け

 私はオタク向けに眠る芸術的な価値を考えています。以前からそれを純粋に発露する事は漫画ラノベなどの物語にとって良くないと書いてきました。根本的にリアリズムの縛りが弱いので、究極的にはナンセンスに陥るからです。例えば人間以外の知的生物なら楽しいんじゃない?とか無茶な理屈も成り立つわけです。人間には価値が分からないけどねと。いやいやそういう芸術家気取りされても困るからー、それナンセンスだから。後は商業的な縛りで考えています。それらを総合するとランキングに価値を見出しています。

 実はこのランキング現状によって機能してるだけです。本来オタク層より一般層の方が部数自体は売れるからです。もし今のオタク層を中心としたネット小説が変化したらオタク層向けにランキングが一切機能しなくなります。どのみちSFファンタジーにはまともに一般層なんていないので今と変わらないと思いますけどね。

 ずばり私が今のなろう系に価値を見出してるのは創造性です。近年特に重視される芸術的価値です。なろうが特殊でニッチ気味なのは間違い無いです。しかし大きな目で漫画アニメラノベの物語全体でなろうこそが先端の作品つくりをしていると思っています。問題点ばかりを見ていたら一体何の価値があるか?さっぱり分からないでしょう。根本的にはライトなオタク層には印象として新しく見えれば良いだけです。実際これ特異な個性持ってるなと見ています。

 馬鹿にされてるからそれを擁護したいとかじゃないです。何故なら私が書いたようにある程度の俗っぽさや、商業的な縛りを持ったまましか進化しないからです。芸術に商業主義を絡めるのは嫌われる部分です。ただ私は偶然この縛りが良い方向になってると思っています。あまりにこの芸術性に着目して進化すると人間が楽しむものにならないから。

 ただ無意味だとか無価値だと思われるのはかなり頭に来ます。オタク舐めるなよ?です。私はオタク向けビジネスで舐めた作り手がすごく嫌いです。どんなに低俗でしょーもなくても過当競争が激しいと優れた作品しか生き残れないからです。確かにキャラ文化があって物語からは程遠い価値が大半です。でも私物語だけで見て無いんですよ。ゼロ年代のキャラ文化自体を一つの芸術だと見ています。もちろん何度も言いますが、根底には商業的な縛りがある条件付なので低俗です。

 これだけ物語好きなのに何故キャラ?もちろんそんなに好きじゃないです。ただ私は根本的に創作を物語だけに限って好きじゃないです。私の根底には芸術論があって物語論はその中の一部でしか無いです。総合技術である映画とかアニメがベースになってるため物語の価値だけで見ないようになっています。極端に言えばフィギィアみたいな造形物の様にキャラを見てる部分があるって話です。

 オタク一般どちらもライト層の根底に成長しない受け手って大前提があります。これがあらゆる高みを目指す芸術を排除する部分があります。そうは言ってもそれなりには大衆芸術も進化していくというわけです。基本的には縦じゃなくて横。しかし、それがそう単純じゃなくて、私は波を呼んでいます。縦横同時に広がるけど、その縦が高くなりすぎることは絶対に無い。だから波です。やがて落ちていく。芸術論というよりは大衆と創作ってテーマだと思っています。根本的に過去の少数の知識人相手の芸術と違うので近代の創作はまた違うアプローチで見るベキなんですよ。私はそういう面で商売が絡んだ編集とかの視点で見てる面が強いです。

 実際キャラはやりません。もうゼロ年代に終っててあんまり面白いものじゃないから。今また物語に回帰してきて、そこでなろう系に注目してるって話です。何度も言いますが、オタク向けだけで一般的な価値なんて微塵も考えて無いです。

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