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評価文

 多くの人は評価に文章を求めると思う。私は嘘偽りを見せられるぐらいなら評価文なんていらないと思ってる。人によって出来る人と出来ない人の差がでると思い込んでる人がいるけど。漫画だけ物語は評価文が書きにくい。それは漫画物語がリアリズムの徹底がイマイチだから。理路整然として書くための論理性が小説世界の中で壊れてしまっているから。

 漫画物語は本気で挑むとすごく難しいことを知る。確かにリアリズムをしっかりさせて書くのは難しい。しかしいい加減だと書きやすいなーって話にならない。何故か?いい加減だけど面白い。この中で作り手同士が競争するから結果=面白い中身を作った作品だけが残る。だからこれを理性で意識下に置いて整理するのはとんでもなく難しい。漫画物語は読者が頭を使わないで楽しめる物語が多いから舐められるが、それに対して面白い以上の文章を書くのはおそろしく高度な技量が必要となる。

 面白いものは面白いで良い。それ以上必要が無い。私は頭の悪い物語に対して感情の量を数値化したもの以外ほとんど信用しない。自分ほど深く漫画物語を理解してる人に出会ったことが無いから。何故か?と言うと優れた文章の書き手は頭の悪い物語を楽しむ事があまり無いから。

 レビュー苦痛なら書かなきゃ良いじゃない?実際そう思ってる。そもそも何度も書くように既読と未読に伝えるものは違う。例え既読でも困難なら、未読にはもっと困難。

 私にとっての作品紹介は星だけがあれば良い。ただすべての作品がそうじゃない。書きやすいと思ったり、感情の強いものは出来る限り書くようにしている。ただ私がどの作品に星をつけたか?すぐ分かるようにする目的は、私の星を見て私の好みなどの傾向を見てほしいから。1つ1つの作品の紹介では苦しいものを私と言う一人の人格からなんとなく読み取ってくれと思ってるから。だから私は基本既読者に向けた文章しか書かない。未読者は既読作品の感想や星によって総合的に読み取ってほしいから。私は未読者にそうやってしか作品紹介をするつもりが無い。私の文章は基本既読者向けだが、未読者への紹介を全く無視してるわけじゃない。

 自分で無理があると思う作品紹介はしない方針。大半のレビューの文章の中身適当だから、未読者はそっちより星とかの傾向を見てほしい。無理矢理外に向けてどんな作品に星をつけてるか?わかるようにした事が、ここ最近の近況ノートに記した愚痴に繋がってる。

 思いつきで書いてる面もあるけど、一応何かしらの目的があってそれが後から見えてくるように書いてる。だって自分でも何故こんな事してるのか?が最初は分かって無いから。今になってやっと見えてきた。

 何故私が未読者への紹介文を嫌うか?と言うと本読みならまず読んで自分で感じたものを信じろって誰でも思うはずだから。私自身が他人の言葉を予め入れるのを嫌うから。

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