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タイトルだけは知っているけど今となっては見たことがある人がどれだけいるか、初代劇場版「日本沈没」、「日沈」です。なお初代TV版は略して「テレ沈」と言います(ごく一部)。
異世界ではマンガ作家が発案しましたが、実は小松左京氏、元は漫画家志望で幾つか作品も描かれていました。
原作の小説「日本沈没」は何と1964年から9年掛りで執筆された超大作で、それが長者番付に載る程のベストセラー(上下巻合わせて485万部)となりました。
異世界でマンガ作家氏が言っていた「印税8割」というのは現実であった事を元ネタにしています。
映画は元は大映が映画化権を獲得していたものの倒産と共に流局となり、東宝の田中友幸が円谷英二亡き後の活路を見出さんと映画化し、製作期間は4ケ月と激短か!小松左京氏はSF作家の座談会で「人が10年かけた小説を3ケ月で映画化しやがって」と毒を吐いていました。
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しかしそれでも戦記映画での特撮規模も年々縮小し、ゴジラシリーズも往時の予算の半分で製作され、という斜陽の時代。
この一作の持つ意味は相当デカかったのです。
まず中野昭慶監督の特撮というものが開花した点。
円谷英二亡く、一番弟子の有川貞昌も去り、潤沢な予算など望むべくもない斜陽の時代に、「実際に起きたらどうなるか」と理論を組み上げた破壊シーンを撮り上げたその根性。
ビルの崩れ方にしても、構造が破断し自重で崩れる等は結構研究されたそうです。
かつて「15階建てのマンションは危険だ。構造として11階まではしっかりしているがそこから上は乗っけているだけだ」等と、建築基準の見直しについても語られていました。
昭慶さん指揮の下美術を担当された井上泰幸氏の残された数々の資料の中にも日本史上の大地震の規模、記録された主な災害等を列記したメモがあって
「こんなに予備知識を蓄えて撮影に当たられたのかあ」
と驚いた事がありました。
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次に、戦争映画ではそうでもありませんでしたが、特撮空想映画と言うものが、子供向けだけではなく社会派フィクションとして成立するという事を当たり前の様にした偉業。
この「日沈」以来、「ノストラダムスの大予言」「東京湾炎上」、年がず~っと空きますが「地震列島」更にまた空いて「首都消失」等一連のパニックスペクタクル映画が製作されたのも、本作の成功があっての事です。
こんな偉業も、特撮もさることながら、黒沢明監督の下チーフ助監を担当した森谷四郎監督の、師ゆずりの完璧主義があっての事かも知れません。
何でも本編だけでなく特撮も最低2テイク撮ったとか。
特撮が全編曇天だったというのも、曇天大好き昭慶さんと好みがあったとか。
ただ気になる発言がありまして、先の座談会で小松左京氏が
「東京地震の場面なんか出来合いの映画『東京大地震』からそのまんま持ってきて」
みたいな事を言っていたのですが、あの場面は合成主体で川北紘一助監督が撮影されており、本作オリジナル映像だと思うのですが。
それに「東京大地震」という映画、無学な所為か聞いた事がありません。
後年、東宝の映画「地震列島」(昭慶さん)、テレビ作品「M8.1東京大地震」(川北さん)が公開された後、東映でも矢島信男監督でパイロットフィルムで「東京大地震」という作品が撮られました。
最後のはゴーグルVとかで時々高層ビルが真っ二つに俺て倒れ込んでくるカットがそれだ、と当時聞きました。
そして阪神淡路大震災の再現フィルム(川北さん)位でしょうか。
番外、「銭形平次」(矢島信男監督)。
それ以外、博覧会用とかでも聞いた事がありません。
小松左京氏が何を指してそう言ったのかは謎です。
この、製作事情と原作者のギャップが後に「さよならジュピター」での、どうしようもない理想と現実のギャップに広がっていくのですが私は「ジュピター」大好きです。それはさておき。
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森谷司郎監督はタイトなスケジュールに、現場で相当キレ散らかしていた、という話を聞きます。主演の小林桂樹も「神憑かっていた」と言われています。
異世界では後半撮影が加速したとか撮り直しが減った「日沈」っぽい「海広」ですが、現実の「日沈」ではそんなことありません。
富士山なんか5回噴火させたそうです。スゲェ。
タイトルバックや終盤の日本の消滅を語る衛星写真の様な日本列島。
これも大胆な映像でスゴイのですが、結構当時の特撮ファンには
「粘土細工の日本列島からタバコの煙がプカプカ昇ってショボイ」
的な批判をされていました。
どうやら他のカットでは高速度撮影されていたのですが、数カット通常撮影したものがあって、これは「出来る事なら差し替えたかった」と昭慶さんが語っていました。
異世界ではそれを知っていたリック君が別の技法を勧めたり高速度撮影を徹底させたりと現実世界の無念を晴らす様助言していましたが。
なおこの後森谷司郎監督はこれまたタイトルは知っている人も多い「八甲田山」、冬至としては同規模の大作ながらあまりヒットしなかった「聖職の碑」などで大作監督としての地位を確たるものにしました。
なお監督デビューは特撮戦記「ゼロ・ファイター大空戦」で、傑作戦争邦画です。必見。
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一大ヒット作となった「日沈」。
大阪万博後経済不況と公害問題で厭世感ビッチビチだった当時の日本人の心情にマッチした事もあったのでしょう。
週末を予言するとかいうフィクション小説「ノストラダムスの大予言」で終末思想ここに極まれり、みたいな時代のトップバッターでもありました。
で、当のハナタレ小学生だった私はと言えば、映画の後に放送された「テレ沈」のミニチュア破壊にド嵌りして、教科書の底辺に信号や電信柱にガードレール、電話ボックスに歩道橋なんかをラクガキする日々だったのです。
もちろん先生に怒られましたとも。