ネット小説家にとって、AI使用はかなり一般的になってきたと言われいますが、反対派も多いようです。
AIとは人工知能という意味ですが、今日使われているAI(生成AI、チャットボットとも呼ばれる)は人工知能と言うよりは〝チャット学習型文書作成アプリ〟と呼ぶべきものでしょう。
使用者と対話(チャット)学習しながら、使用者の感性や嗜好などを学ぶ。AIは使用者に好まれるような文章を作成するようになる。対話を重ねれば重ねるほど、その傾向は強くなるでしょう。
AIを批判する意見として、所詮AIは機械、既存の文章を分析して並べているだけ、感情表現など出来るはずがない、などと言われる。
しかし、人間だってかつて読んだ(学習した)文章以上の、新しい文章なんて書けるのだろいか?
斬新な文章できたとしても、潜在意識として記憶していた過去の文章の焼き直しかもしれない。
本当に新しい文章なんて、新しい言語を生み出すようなものだろう。結局AIの学習と、ほとんど変わらない。
AIの使用に関しては、ほとんど結論は出ているような気がする。包丁や車を使うのと同じだ。すでに、使うなとは言えない。
使い方、ルールが必要なだけだ。包丁や車を使うにもルールが必要だ(明文化されていなくとも)、ルール(倫理)を無視すれば、危険が生じる。
しかし今、AI使用に関するルールを作っても、ルールを破るのは簡単だろう。(アプリ上の制約をかけても、やぶれる人もいるだろう。要は、ルールを守る仕組み(倫理)を持てるかどうかだろい。しかしルールが無意味とは言えない。ルールが守られる未来を作らなければ、人類の未来は暗いかもしれない。(今以上に)一部の人間だけが得をする世界になるかもしれない。
AIを使うと文章能力がなくなる、という意見もある。しかし私は必ずしもそうとは思わない。文章能力は、文章しかも優れた文章を沢山読む事で養えると思っている(そう断言している作家もいる)。
AIの優れた文章に早く沢山接すれば、それだけ早く文章能力を身に着けられることになるだろう(手書きは出来ないかもしれないが)。当然異論もあるだろうし、若いうちは手書き(筋肉)も鍛える必要もあるだろう。
こののノートは、
『上層の標的』著者:Gemini(ジェミニ)/河野 行成(様作)のレビューに書いた内容をもとにしたものです。
https://kakuyomu.jp/works/2912051602192829649/reviews/2912051602333948507
この作品は、賛成派にとっても賛成派にとっても、素直に興味深く読める内容だと思います。
AIと議論を重ねることで、作者の感性を充分に理解した(学習した)AIが書いた作品だと言えるでしょう。だとしたら、作者の個性が反映していないと言いきれるでしょうか?