※自主企画「推敲を遂行しよう。」5作目、遂行中です。
(モノローグの練習)
「自分の話と考えて推敲するのは難しい、と結論に至るまで」
一読すると、情景と情感に満ちたプロローグ。まずいなあ。ほぼ独立していて、そのため短く、情報量も最小限に削がれている。
シンプルで濃い画面は、余計な情報を受け付けない、本文を読んで、他の情報を得たら、景色の向こうに色々見てしまう。
このまま一話だけを受けて、推敲するべきだ。
こちらのカードは今までの知識と経験と感覚しかないわけだけど、う〜ん、なんか自分の手垢をつけたくない、完成度なんだけど。
ひとまず、読んで理解できたと言い難い点、月の光の質感、細かい動作と時間経過を、主人公と共に体験してみますか。
サクサクと一人称で書いてみる。想像力で埋めたら体の向きとタイミングが変わってしまったけれど、一応書けたね……これでよくないかな、これ以上は無理じゃないかな。
三人称から逃げてますよー。(遠くで空耳が)
ですか。あくまで同じ土俵で、という意気を買わないでもないけれど。
何が悲しくて自分の一番うまく書けた文章とかを、頭の中で検索しなければならないのか、必死か。そういうのに限って、自分でもどうして書けたかわからないという、再現できないものだったりする。
やっぱり、本文読もう。
玉散るような文章と、モノローグの名手ということ、こんな話はどうだといったディテールにこだわるより、アイデアを豊かに膨らましていく作風を知る。
その文章がね、呼吸するみたいに書いてるレベルなのね。
三人称視点にモノローグが入ってくるのも、難しいし、場面と心理描写が立体的に流れるように組み立てられてて。
読むほどにできることが少なくなっていく、この感じ。挫けてもいいかな、エランダーズの推敲で苦労してたもんなぁ和泉クン。私の努力がいかほどか。
モノローグというか、場面を叙情的に書くのが苦手。
リアルでほのぼのモノローグしないし、してもおそらく一人じゃない仕様のカオスだし(モノで一人が二人ぶん喋ってたら変だろう)、
マルチな視点は無理だけど、文章の流れなら覚えられるかもしれない。末尾を書き出したら、それ見ただけでも構成が綺麗でドラマチック! ここからしてもう違うのね。
自分の話の中で完璧に把握しているもの、何十回読んだともしれない完結作でリテイクしてみる。
末尾しか書いてない暗号みたいなメモにちょっと発狂。(自業自得)
二話書いて、これ以上は変化しそうにないので、一度原作と向き合う。
冒頭を推敲して、いつもより冗舌な自分の文章を眺める、寄せられてない。書かされてる感がズボンを脱がす勢いで足を引っ張る。
本文を読んだことで、推敲したいことは浮かんだんだけど、そのイメージが文章に乗らない。いつもなら、何が足りなくて何を勉強したらいいのか、勘が問いを返してくるのに、直近でできることはありません、みたいな沈黙はやめてほしい。
その気持ちも痛いほどわかるけれど、一言でも自分の言葉を入れるとプロローグが崩壊するから、全体の文章を置き換えて、同じ景色を見せようとしてるそれが難しいのはわかってる、ワカッテルカラなんとかしてって言ってるんじゃないか。(前頭葉に八つ当たり)
黙々と自分の文章と見つめ合うナゾな時間に突入。
そもそも自分はどんな文章を書くんだっけ、想像力が枯渇して0から話を作ってないから、今、どんな文章を書く人なのかむき出しの自分を知らない。
書けないということがわかるだけかもしれない、ちょうど自主企画に二百字以内の短編を書くものがあり、エッセイをショートさせて参加してみた。
自分の文章を推敲しながら、原稿用紙一枚なら、と恐る恐る汲み出す。今、書きたいもの、心が欲するもの。
ブラックさに、慌ててもう一つ書く。どちらも創作と呼ぶには遠い代物だ。
今書くものはどうしても現実に直結してしまう。
それなら、そうとするか。
創作とも会話劇とも違う、もう一つの視点、講評の時に使い(近況ノート「ヨムヨムの姿勢」参照)、それまでは作品(小説以外を指す)の感想に寄せるものとして役立ててきた。
とても現実的だからねぇ、話に使うのは初めてだけど、なぜ感想が伝わるように書けるのか、そのあたりを考えてみよう。
自分の作品という頭ではなく、誰かの話をこう受け取ったと、記すように。