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加古功と狩谷俊

物語に説得力を持たせてくれる存在が好きだ。私にとっては漫画『ぼくらの』の加古功や『火ノ丸相撲』の狩谷俊がそうである。
『ぼくらの』では少年少女がロボットに乗り、勇敢に闘っていく。その中で「死にたくない」と取り乱し、周りに八つ当たりをし、最終的に使い物にならないと判断され仲間に殺されるのが加古功だ。「人間らしさ」の部分を背負わされたこのキャラクターがいるからこそ、『ぼくらの』という物語に奥行きができたのだと思う。
『火ノ丸相撲』の狩谷俊は主人公火ノ丸同様、体格に恵まれないキャラクターだ。しかし、火ノ丸のように角界入りすることはなく、相撲を辞めてしまう。「相撲が楽しくなくなってしまった」と語る狩谷俊により『火ノ丸相撲』の世界は、よりリアリティを持ち、また広がりを見せた。
彼らが物語を補強するように、私が生きていく世界に説得力を持たせてくれるのが俳句だと思う。
俳句は生活を便利にしてくれるわけではない。俳句がないと身体が朽ちるというわけではない。ただ、世界がそこにあると私に教えてくれるのが俳句であり、そのことが何よりも尊いのである。

1件のコメント

  • 確かに加古功や狩谷俊のおかげでその世界の解像度が上がる感じがありますね。関係ないですが私は『火ノ丸相撲』ではバトムンフ・バトバヤルが好きです。
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