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秋草一句鑑賞 九月号

東京の男と女冷奴 小鳥遊五月
書きすぎていない。最低限の情報量ですごくドラマティック。
作者は東京出身ではないのだろう。私も田舎生まれ田舎育ちだから、シティーボーイシティーガールに対する憧れのような恐れのような感情をなんとなく持っている。
東京人はなんか垢抜けていて、歩くのが早い。東京に行くと、私はすぐに人とぶつかりそうになるのだが、彼らは魔法のように道を通る。
冷奴が東京人のクールな感じと合っている。なんだか物語性も感じられる。

炎天やぷちんとウインナーかじる 村上瑠璃甫
ぷりぷりの今にもはち切れそうな美味しいウインナーだ。炎天がいい。ウインナーのてかりが見える。それに加えて暑い日に食べるご飯は倍美味しい。炎天がウインナーの美味しさを最大限に引き出すスパイスになっている。
食べ物の句は美味しそうに詠め、とよく聞く。この句を読んで、完全にウインナーの口になった。食べ物の句として百点だろう。今からでも、茹でたてのウインナーにマヨネーズを少しつけて食べたい。

ぼうたんや脈を測るに指二本 山口遼也
入院していたとき、毎朝看護師に脈や血圧を測られた。親指一本で脈を測る人もいたが、大抵の人は、手首に人差し指と中指を添える。
この句を読んでどきりとするのは、牡丹という静かに散るイメージのある花の効果が大きいだろう。静寂の中、二本の指がどくどくという脈の音を感じている。指もなんだか、白くて細い綺麗な指を想像した。
脈を測られているときって、命を意識するからかもしれないが、少し緊張感がある。その不思議な緊張感が、この句からも伝わってくる。

脱ぎ終へて長靴曲がる溝浚 栗原和子
脱ぎ捨てられた黒いてろてろとした長靴が途中からぐにゃりと曲がっている。そんな光景を見たことがあるのを、確かに思い出した。
自分は普段あまり長靴を履かないし、農業や溝浚にも馴染みがないが、脱いだ後の長靴の疲れたような曲がり方も、長靴から開放された足の脱力感もすごくリアルに感じられた。季語の持つ力と「脱ぎ終へて」という書き方の効果だと思う。「脱ぐ」というのは本来一瞬の行為だが、「脱ぎ終へて」と書くことで長靴を脱ぐのにかかる時間や労力が見えてくる。

紫陽花に埋もれてゐる馬穴かな 松田晴貴
紫陽花がわんさか咲いている庭が見えてくる。いつからそこにあるのか分からない馬穴の上に紫陽花が覆い被さっている。この句は一物仕立ての句で、書かれているのは一つの景だが、「紫陽花」と「馬穴」という抜群の組み合わせがこの句を詩にしている。
詩には「共感」と「驚異」が必要という話を聞いたことがあるが、この句はそれでいうと「驚異的な共感」だ。景がぱっと浮かんで、夏の空気や匂いが感じられる。その鮮烈さに、しみじみとしながら驚いてしまう。

点と点繋ぐあそびや鳳蝶 野名紅里
おそらく「点つなぎ」のことを書いているのだと思う。「点つなぎ」は数字のふられた点を1から繋いでいけばイラストが完成する遊びで、パズル雑誌や知育雑誌に登場する。まさか「点つなぎ」が俳句になるとは、驚きである。
クロスワードパズルやイラストロジックに比べると、点つなぎはすごく簡単だ。点を結ぶだけで魔法みたいに絵が出来上がる。鳳蝶がひらひらと飛んでいる。自由に、いかにも簡単そうに。鳳蝶の飛び方には、点も線も感じられない。

夏の月母を泣かしてしまひけり 山口昭男
小学校のころ、私の家ではお手伝いをしたら十円をもらえるシステムがあり、それを貯金箱に貯めていた。母の日に「もしも私がお母さんより先に死んだら、貯金箱をお母さんにあげます」というようなことを手紙に書いて渡したら、母が泣いてしまった。親の涙というものをあのとき初めて見た。
母の涙も、父の涙も滅多に見るものではない。母はかわいい。母の涙は特別だ。全てを照らしている夏の月が、なんだか優しい。

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