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父とダサいもの

お父さんは「ダサいもの」に敏感だった。私達が流行りのアニメを見ていると「絵がダサい、オタクの絵や」と言って怒り、私達がボーカロイドの曲を歌っていると「ダサい。ありがちな歌詞」と怒った。「ダサいもの」に敏感な父が好んだのは、漫画なら江口寿史、浅野いにお、オノナツメ、音楽なら忌野清志郎、theピーズ、くるり等だった。
小学校の頃、習字道具セットをどれにするか選択する紙を、あろうことかお父さんに見せてしまった。四つ葉のクローバーがいっぱい描かれたものや、水色に星の柄のもの等当時の私から見てかわいいのがいっぱいあった。その中から父は「これが1番かっこええ」とシンプルな黒と緑のチェックのものを選んだ。私が、「それは変」と言っても「他のやつの方が変や」と耳を貸さなかった。
習字道具セットの受け渡しの日、女子はみんなクローバー柄星柄猫柄などきらきらしたものを受け取る中で、一人だけチェックの地味な習字道具セットを受け取った。恥ずかしくて顔が真っ赤になった。小学校六年間使ったのですぐに慣れたが、最初の方は隠しながら使っていた気がする。
小学生の頃、夏休みは宮崎のおばあちゃんの家に妹と泊まった。ある日おばあちゃんがショッピングモールに連れて行ってくれて、好きな服を買っていいと言った。服はほとんど親に買ってもらっていたので、全身のコーディネートを自分達で組むのは初めてだった。すごくわくわくしたことを覚えている。水色とピンクで双子コーデにすると決めた。星柄のTシャツに、ラメのたくさん入ったスカートを色違いで買った。嬉しくてその夏はたくさん着た。
宮崎から山口に帰って、自慢のそのコーデを着ているとお父さんは唖然として「なんやそのダサい服は」と言った。お父さんのその言葉に私のプライドはずたずたになり、それ以降一回もその服は着なかった。
大人になって、江口寿史の良さも忌野清志郎のすごさも分かるようになった。でも、いつの時代でも子供はダサいものが好きだ。女の子だったら薄紫に音符。男の子だったら黒にドラゴン。お父さんには散々馬鹿にされたけど、コロコロコミックを読んでいた時代の私を、私は今も愛おしいと思う。

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