• 現代ドラマ
  • ホラー

角川武蔵野文学賞の最終選考に残りました!

 記事タイトルの通りです。応募していた作品の一つが、中間選考を通過しました。
 発表があったこと自体は昼間のうちに気づいたのですが、私には「発表当日に慌てて見にいくと100%落選する(他人から知らされるならOK)」というジンクスがあるので、明日まで待ってから見るつもりでした。ところが夕方、Twitterで通過を教えてくださった方がおり、今日中に発表ページを確認できた次第です。「カクヨムWeb小説短編賞2019」の中間発表と同じパターンですね。

 前回の近況ノートでは、

> 上二つは「角川武蔵野文学賞」応募用の作品です。私の文章力で『文学賞』と銘打たれているコンテストに応募するのは身の程知らずなのですが、せっかくなので投稿してみました。

 と書きましたが、身の程知らずと思って遠慮しなくてよかったです。
 なお、二つ応募したうち、通過したのは

『考古学者になりたい彼女』
https://kakuyomu.jp/works/1177354054917360250

 の方であり、残念ながら、

『はかない恋の花言葉』
https://kakuyomu.jp/works/1177354054917121824

 は落選となりました。
 私としては「小説としての完成度は『はかない恋の花言葉』の方が上、武蔵野っぽさは『考古学者になりたい彼女』の方が上」と思っていたのですが……。この認識が正しければ、小説としての面白さより『武蔵野っぽさ』を評価された形でしょうか。
 改めて現時点でのカクヨムの星評価を確認してみると、『はかない恋の花言葉』が★35、『考古学者になりたい彼女』は★27。差は大きくないですが、読者の方々からの評価も一応、私の認識と合致しているようです。
 とはいえ『はかない恋の花言葉』は、本来このコンテスト向けに書いたものではなく、「そういえば、これも作品舞台は武蔵野台地だな? 文字数も合致しているな?」と思って応募した短編。一方『考古学者になりたい彼女』は、今回のコンテストの応募要項に書かれていた武蔵野台地の説明文――「3万年前から人が暮らし、様々な文化と歴史を重ね」――から考えた作品。まさに角川武蔵野文学賞のために執筆した短編であり、その意味では、こちらが残ったのは、とても嬉しい出来事でした。


 ……と、本題に関しては終わりですが。
 ついでに近況報告もしておきます。
 前回の近況ノートから、一ヶ月と少し。やはり『水面下で新しい長編の執筆に専念している』が続いており、ほとんど投稿活動のない状態でした。
 カクヨムでは、長編どころか短編の投稿も皆無であり、かろうじてエッセイを一つ更新しただけでした。

『カクヨムを使い始めて思うこと ――カクヨム二年目の視点から――』
https://kakuyomu.jp/works/1177354054889095417

8件のコメント

  • おめでとうございます。
    確かに読み比べると、どちらも小説としての面白さは同じくらいだと思いますので、武蔵野感の強い方が取られたのでしょうね。朝顔の話は武蔵野である必要性は全く無い、おそらくは何処が舞台であっても通用する話ですので。
    自分が今回全くこの賞に参加しなかったのは、武蔵野という土地がさっぱり想像もできなかったということもありました。
    そしてやっぱりその名がついている以上、土地柄をぼんと前に出さないとあかんのだと思います。

    ……浜名湖だったら……いや、それはよそう。
  •  江戸川ばた散歩様、ありがとうございます。
     読み比べていただいたのが、とても嬉しいです!
     朝顔の方も「鬼子母神」という土地をキーにしたつもりだったのですが、書いていた時は、二つの「鬼子母神」が武蔵野台地に含まれていること、全く意識していませんでした。それを応募したのは、さすがに無理があったようです。
     考古学の方は、この賞が告知された時点で「考古学ネタで一つ書くぞ!」と考えて、WEBで資料を探し始めたのですが……。実際に書くのはコンテストが始まってから、と思って放置していたら書く気が薄れて、資料も無くしてしまった状態。やっぱり書いて応募しよう、と改めて資料を探し始めたら、当初の予定とは作品舞台が全く違うものになっていました。前と同じ資料が見つからない、その程度のいい加減な資料探しでした。
     それもこれも、実は私も、武蔵野という土地に土地勘がなかったからです! いや上述の「鬼子母神」が武蔵野台地に含まれている時点で、私は地理的には武蔵野台地で生まれ育ったはずなのですが、どうもその辺りには「武蔵野」というイメージがなくて……。
     結局この作品、ストリートビューで作品舞台の風景を見ながら書く、という形になりました。自分の足で取材せずともストリートビューだけで行った気になれる(まるで歩いているような感じでその場所の風景を見られる)というのは、便利な時代になったものですね。インターネット黎明期には考えられない執筆環境です。そんな形で武蔵野っぽさを描くのは、少しズルをしている気分になるくらいでした。

     ……この方法なら、例えば浜名湖がテーマでも、何かしら書けそうです(笑)
  • おめでとうございます!
    私も読み比べてきました。考古学者の方が好みです。ふわっとして自然体だからかな。これからなにか始まりそうな感じも良かったです。
  •  オレンジ11様、ありがとうございます。
     読み比べまでしていただき、本当に感謝しています。
     応援コメントの返信でも書きましたが、心情描写過多になりがちな私にしては、この作品、抑えめなのかもしれませんね。そこが『ふわっとして自然体』に繋がっているのだとしたら、「詳説」にならずに「小説」になっている分、こちらの方が小説としての完成度も高いのでしょう(近況ノート記事本文では「もう一つの方が完成度は高いはず」なんて書いてしまいましたが)。
     よく考えてみたら、名前に『文学賞』と入ったコンテストですからね。行間を読ませる度合いの高い方が、より「文学」っぽくて、好まれるのかもしれません。武蔵野っぽさだけではなくて。
  • 完成度はどうなんでしょうね、私の好みが考古学の方、というだけで、完成度には関係ないかもです。通過作品の方は、主人公たちの気持ちに寄り添いやすかったかなと思いました。武蔵野っぽさも出ていましたよ。
  •  オレンジ11様、再びありがとうございます。
     落選した方は、ギミックに頼ったというか、その分ピタッとハマる部分があるというか、そんな感じを自分では「完成度」と認識して、近況ノートを書いた時点では「もう一つの方が完成度は高いはず」と書いてしまったのですが……。今にして思えば、それは書き手の独りよがり。策士策に溺れる、というほどではないですが、ちょっとそれに近いのかな、と思いました。ただのパズルじゃないですからね、小説は。
     オレンジ11様のエッセイで、どんでん返しについて書いておられましたが(二転三転!)、そういう構造的な面白さ(パズル的な部分)もあるし、そうでない部分もあるのが、小説というものなのでしょう。改めて、奥が深いと感じます。
     で、話を戻しますと。『主人公たちの気持ちに寄り添いやすかったかな』というのが、小説として大きなポイントなのだろう、と思います。私はこれを小説っぽさ、文学っぽさ、と感じてしまいますが、むしろラノベっぽいWEB小説を書く上でも(ラノベはキャラクター小説という意味で)、『主人公たちの気持ちに寄り添いやすい』というのは、重要なのでしょうね。
  • おめでとうございます。
    実は私もこの賞に出していました。
    2作のうち、「或る女」が選考対象に残ればと思いながら力を入れて書いた作品で、もう1作「100年と一秒と1時間の私」は、2作くらいは選考対象として残る作品をと思い、締め切りギリギリの3日前に書いて応募しました。
    結果として、100年が残っておりました。
    なんだか同じように感じましたので、こちらに、ついつい書かせていただきました。

    ところで、先ほど読ませていただいた「あと5分なの」とても素敵な短編ですね。
  •  アメリッシュ様、ありがとうございます。そして、おめでとうございます。
     中間選考結果発表ページでお名前を拝見した際「この作品を読んだ履歴はないのに、作者名には見覚えがある。どこかの自主企画で交流があったのだろうか?」と少し不思議だったのですが……。
     ようやく謎が解けました。私は『或る女』の方を読んでいたのですね!
     力を入れて書いた作品が落ちて、もう片方が残る……。書いた本人としては「なぜ?」という気持ちにもなりそうですが、何事も案外そんなものかもしれませんね。

     角川武蔵野文学賞とは関係ないですが、新作短編を褒めていただき、ありがとうございます。書いていて「ホラーって短ければ短いほど良いのかもしれない」と感じる作品でした。3倍の長さがあれば、内容的に「5分で読書」短編小説コンテスト(「通学路、振り返るとそこにいる」部門)に出せそうなのですが……。少し残念です。
コメントの投稿にはユーザー登録(無料)が必要です。もしくは、ログイン
投稿する