近況ノートでこんなタイトルを付けている人いますかね?シリーズみたいになるなら、普通に投稿したらどうだという声が聞こえて来そうですが・・・
正直なところ、自分の訳出の不味さとか考え合わせると、ちょっと、投稿して、PVが一つ二つと付いたり、 普段ありがたいコメントなんかが付いた日には心臓が縮みあがりそうなほどなので、敢えて、あまり読む人がいなそうなここへ投稿しています。
(そんなことを言いつつ、コメントがついたら付いたで大喜びに違いないんですが)
さて、軽薄な考えに支配され尽くした、自分の文章迷子の誰それは置いておくとして、前回、ついに兄弟の約束を交わし、そして武士赤穴は、改めて丈部(はせべ)左門の老母にご挨拶申し上げたい・・・といったところで終わっていました。
我らが主人公丈部が断るはずもなく、非常に喜びます。曰く、母はいつも私(丈部)が孤独であることを心配していた、と。
当然です。ほとんどひきこもりじゃないですか!人のことは言えませんけれども。
丈部左門が赤穴を伴って家に帰ると、老母は予想通り、大層喜びます。
我が子(丈部)には才能がなく、身につけた学問も時勢に会わず、立身出世の道もない、どうか見捨てず、兄として教えを施してほしい、と。
身もふたもない言われようですね。まあ、もちろん謙遜でしょうけれど、低すぎる腰は帰って失礼です。
兄者赤穴は当然否定。意思の堅固な立派な男は信義を重んじる、公名富貴(=てがら、名誉、富と地位)はくだらない。自分は母上の慈愛を受け、賢弟に兄として尊敬されている、これ以上望むことはない、とうれしがります。
その後しばらく逗留していましたが、季節が巡り夏になると、赤穴は親子に、
自分が近江を逃れて来たのも雲州(出雲)の動静を見るためだったので、一度そちらへ行きすぐに帰って来て、極めて貧しいもてなしながらお仕えして、御恩に報い申し上げる、しばしお暇をください、といいます。
左門が、「兄上はいつごろ帰られるか」と問うと、「遅くてもこの秋よりは遅れることはない」といいます。それに満足しない左門は、秋の日のいつの日を待てば良いのかわからないので、月日を約束しようと言います。
それに対し赤穴「重陽の佳節をもて帰りくる日とすべし。」九月九日という約束の日ができます。
左門「兄上、決してこの日を間違えなさるな、ひと枝の菊花に薄酒を用意して待っているから」
と、お互いに誠実に約束をし、赤穴は西へ帰って行きました。
さてあっという間に月日は流れ、ついに九月に入ります。九日の日には、丈部はいつもより早くに起きだして、そわそわと準備に取り掛かりますが、現実主義のお母様は、出雲国は遠く、ここから百里は離れていて今日と定めることは難しいのだから、来てから準備しても遅くはないはずだと、現代的な感覚でも、わりとごもっともなご意見。
それに対し左門は、赤穴は信ある武士であるから、決して約束を破るなんてことはない、来てから慌てて支度をしたならば、彼がどう思うだろうかと想像するだに恥ずかしい・・・
それくらい、武士の約束は厳しいものだったのですね。左門は結局美味い酒やら鮮魚やらを煮て準備します。
この年の九月九日は晴れていて、旅人もなかなか多いけれども、待つ人はなかなかやってこない。丈部左門は外の方にばかり視線が注がれて、「心酔へるがごとし」
大切な大切な友人、来るのが待ち遠しくて待ち遠しくて、心ここに在らず・・・というのを見兼ねた老母は言います。
「赤穴の心が変わったのでなし、二人の交情の深く約束の固いのも、今日だけのことではないだろう、帰ってくることが本当であるのなら、恨むことはないではないか、家に入って横になって、明日また待てば良い」と言う。
左門は断ることできず、家に入って母を納得させて先に寝かせ、それでも、性懲りも無く、もしかしてと思って外に出ると、
天の川にある星々は朧で、冷たい月は自分一人ばかりを照らし出している、その寂しい中に、犬の吠える声が澄み渡り、海の音も、すぐそこへ打ち寄せてくるように感じた。月の光も山の端に隠れて暗くなってしまったので、もうこれまでと戸を閉めて入ろうとしたとき、ふと見ると、おぼろげな黒い影の中に人がいて、風のまにまに来るのを怪しいと思っていたら、他でもない、待ち人である赤穴 宗右衛門であった。
丈部は嬉しさに飛び上がる思いで、
「小弟(丈部)は早朝から待っていて、今になりました、約束を違えずにいらっしゃったことが嬉しい、嬉しい。さあさあ、お入りください。」と言うけれど、赤穴はただ頷くばかりで一言も何も言わない。左門は赤穴を、南の窓の下へ迎え、座に付かせて、
「兄上がいらっしゃるのが遅かったために、老母は待ちかねて、明日には来るだろうと眠ってしまいました、起こしてまいりましょう」と言うと、赤穴は首を振ってそれを止めるけれど、やはり一言も発さない。
そこで左門は、
「夜も昼も休まず旅を続けておいでになったので、心も足も疲れ切っていらっしゃるのだろう、よろしかったらお酒を一杯酌み交わしお休みください。」
と言い、酒を温め、ツマミを連ねて勧めると、赤穴は袖で顔を覆い、その臭いを嫌っているようだった。
「手料理ではもてなしに足りないけれど、私の心遣いです。」
赤穴は答えず、長いため息をつき、しばらくしてやっと言葉を発します。
「賢弟の真摯なもてなしを、どうして断れようか。嘘をつくこともできないので、真実を申します。決して、どうか怪しまないでください。私はこの世の人ではなく、不浄な魂が、仮の姿を現したものです」
つまり、自分は死んでいて、魂だけだと言うのです。左門は大いに驚き、
「 兄上はなぜ、そのような不思議なことを語り出したのか、どうしても本当だとは思えません。」
赤穴は、しっかり何が起こったのかを、親友であり、義理の兄弟である左門に告げます。曰く
「わかれて 国へ戻ったが、大方が経久(親しかった塩冶を滅ぼした、現富田の城主)に従い、塩冶の御恩を顧みるものもいない。(塩冶はもともと赤穴が仕えていた人)
従兄弟である赤穴丹治は、私が富田の城にいたのを訪ねて来て、利害を説き、自分を経久へ会わせた。一応その言葉を受け入れ、よくよく経久がすることを見たところ、武勇は人に優れ、兵士を訓練するけれど、知恵者を登用するのに疑い深く、主君と心を一つにし、手足となって働く家臣はいない。長くそばにいても無益だと思い、賢弟(もちろん、丈部左門)と菊花の約(つまり、九月九日に会う約束)があるからと言って去ろうとしたところ、経久に恨まれ、丹治に命令し、自分を富田の城の外へ出さず、ついに今日という日になってしまった。この約束を違えたならば、賢弟は自分をどんな人間と思うだろうかと、一途に思いつめたけれど、逃げる方法もない。
昔の人は言う、人は1日に千里を行くことはできない。しかし魂は、1日に千里をも行くことができる、と。
この道理を思い出し、刃に伏し(自殺し)、 今夜陰気な冷たい風に乗り、はるばる来り、菊花の節句に会うために駆けつけた。この心を、どうか憐れんでください。
と言い終わると、涙が流れていく。
「今は長い別れの時です。どうか、母上に奉公してください。」
そう言って席を立つように見えたが、そのままその姿はかき消えてしまった。
左門は慌てて止めようとしたけれど、冷たい風に目がくらみ、赤穴の行方がわからなくなってしまった。
左門はその場でうつ伏せにつまづき、倒れたまま、大声をあげて泣いた。老母はその声に目を覚まし、驚いて立ち上がって、左門がいるところを見ると、客席の辺りに酒甕や魚を持った皿など、沢山並べてある中に倒れているのを、急いで助け起こして、どうしたのだと問うたけれども、ただ咽び泣くばかりて一向に言葉を発さない。老母は、
「 兄である赤穴が約束を違えたことを恨みに思うなら、明日もし来た時、何とも言う言葉がないでしょう。お前はこれほどまでに愚かなのか。」
と、厳しく諌めます。
左門は、ようやく答えていう。
兄はこの夜、菊花の約束のために、訪ねて来た。酒や魚で迎えると、何度も辞退された上、『これこれの事情があり、約束を破ることになるので、自ら刃に伏し、陰風に乗って魂だけが訪れたのだ』と言ったきり、見えなくなってしまった。 そういうわけで、母上の眠りをお覚まししました。どうかお許しください
と言ってさめざめと泣くのを、母は、
「牢獄に繋がれた人は夢にも赦されるのを見て、喉の乾いた者は夢で水を飲むと言う。お前もまた、その類のものだろう。心を静めなさい。」
と言うけれど、左門は首を振り、これは夢のような、不確かなものではない。兄上は 本当にここへいらっしゃったのだと、声をあげて泣き倒れる。老母も今は疑わず、お互いに呼び合って、その夜は泣き明かす事になった。
次の日左門は母に頭を下げ、
自分は 幼い頃から学問に励んだけれども、 国に対し忠義の評判もなく、 家に孝信を尽くすこともできず、ただ無駄に生きているだけです。そんな私に引き換え、兄者赤穴は一生を信義のために終始しました。弟である私は今日出雲へ行き、せめて遺骨を拾い、信義を全うしたいのです。母上はお大事になさり、しばらく暇をください。
老母、「わが子よ、どこに行くのであれ、はやく帰って来て、年老いた私を安心させておくれ。長く逗留し、今日この日を永遠の別れの日とすることのないように。」
左門が、老母を元気付けるだろう思ったら、
「生命というものは、水に漂う泡のようなもので、朝に夕べに消える時を定め難いが、間も無く帰ってまいりましょう。」
・・・いつ死ぬかわからないという道理を説きながら、全く安心材料を残さずに、涙を払って家を出、佐用氏(妹が嫁いだところ)へ行き、老母の介抱を頼み込んでおいた。
なんだかいくつかフラグが立ったような気もしますが、先へ進みましょう。
出雲国へ向かう途中は、飢えても食事のことを思い出すことはなく、寒いのに上着を着ることを忘れ、眠っている夢の中でも泣きあかしつつ、10日の後に富田の城へたどり着いた。
さて、ひたすら赤穴を想い涙を流す左門、ついに仇とも言える人たちと会うことになるでしょうか。
先ず、赤穴丹治の家に行き、名前を告げ面会を申し入れると、丹治が出迎え、
鳥や雁が手紙を伝えたのでもなく、どうしてお知りになったのか、不思議です。
と仕切りに問うてきた。
左門、
「武士たるものは財産に富み、位が高いことを論じてはならない。ただ、信義のみを重要だとする。兄である赤穴宗右衛門の、菊花の約を重んじ、亡くなった魂が百里を来た信義に報いようと、夜を日についで急いでここまで参りました。
私が学び知ったことで、貴君に是非お尋ねしたいことがあります。どうか、はっきりお答えください。」
と、ここで博識の人ならではなのか、中国の歴史が軽く入ります。
昔、魏の国の公叔座が病に伏したとき、魏王が自ら訪ねて来て、手を取り言うには、
『 もしお前に死が迫ったのならば、誰が国を守ると言うのだ。私のために、教えを残してくれ。』
叔座は、『商鞅(政治家)には、若いけれども優れた才能があります。王よ、もしこの人を登用しないと言うのならば、これを殺しても、決して国境を出してはなりません。他の国へ行かせたのなら、必ずや後々禍となるでしょう。』と懇ろに説き、また、叔座は商鞅を密かに招き、『私はあなたを推薦したけれども、王は聞き入れない様子である。ならばいっそあなたを殺しなさいと教えた。この措置は主君を優先し、家臣を後にしたものである(つまりは、自分は一応、 家臣としての道を全うしたと言っている)。あなたは速く他国へ逃げ、難を逃れるべきだ。』といった。
このことを、貴君と宗右衛門(親友兼兄 赤穴)と比べてみたらどうでしょう。
回りくどすぎて本題を忘れる長い例(笑)たまにやらかして家族に笑われますが、昔は普通だったのでしょうか。
丹治はただうなだれて、言葉もない様子。
左門はさらに身を乗り出し、
「兄宗右衛門が、塩冶との古い交際を思い、尼子に使えなかったというのは義士である。(義を重んずる武士である)。貴君が旧主塩冶を捨て、尼子に降伏したのは、武士の義理を全うしていないと言える。兄上が菊花の約を重んじ、命を捨て、百里を来たのは信義を重んじる極致である。今、あなたが尼子に媚びて従兄弟を苦しめ、この非業の死に至らしめたことは、友とする信義もない。経久が強いてとどめなさったのも、久しい仲を思えば、赤穴に対し密かに商鞅叔座の信義を尽くすべきであったのに(つまり、叔座が商鞅を逃したように、赤穴を逃すべきだったということ)、ただ、栄達と利益ばかりを重んじ、武士としての気風がないのは、つまり尼子の家風ということなのだろう。そうした国に、なぜ兄上がとどまっていられようか。私は信義を重んじ、態々ここまで来た。あなたはまた、不義であるために、汚名を残すがいい。
左門は言い終わらないうちに、さっと鞘から抜いた刀を、構えずに打ち、斬ってしまうと、一刀で(丹治は)そこへ倒れ臥す。家来たちが騒いでいる間に左門は逃げ出して、跡形もない。尼子経久はこのことを伝え聞き、兄弟の信義の篤いことを憐れみ、左門のあとを追わせることもしなかったという。
ああ、軽薄な人と交わりを持つべきではない。
一度に書ききれずに、小説の下書きスペースで書き溜めていたら、実に五千字を超えていました。
誰が読むんでしょう(笑)読んでくださった方がいたのならやはり嬉しいですが、さすがに次からは、もう少し区切って投稿します。このままの調子で「蛇性の淫」まで行くと、間違いなく、過去最長の近況ノートになると思うので。
注意!
例によって書き加え、省略を含みます。一応新潮日本古典集の注などを参考にしていますが、それを言ったら笑顔で殺されそうなくらい、無視したりもしているので、本当に、あ、こんな作品あるんだな、くらいに受け止めてください。